第六十九話・ヨナ・カトリンの記憶
「精神捕縛!」
富樫の詠唱した魔法が効果を発揮し、一瞬にして富樫は、ヨナ・カトリン二等兵の記憶を読み取った。
「母さん……」
ヨナは巨大なトロールと戦いながら、母親との記憶を思い起こしていた。
ヨナ・カトリンは、ドイツとベルギーの国境近くの、貧しい農家の子として生まれた。父親は、若い妻と幼い息子ヨナを食べさせるために、無理をして働いた。結果、強靭な肉体を持つ父親であったが、過労のため衰弱し、若くしてその命を落とした。
母親の手によって育てられたヨナは、優しくて引っ込み思案な子で、いつも母親の足の後ろに隠れているような臆病な性格であった。それを心配した母親は、ヨナをつれて教会に通い、ヨナのために祈った。
「神様、この子が強い男の子になれますように」
ある日ヨナは、母親が大切にしている聖書を好奇心から開き、その中に自分の名前、「ヨナ」という文字を発見した。
「ヨナ書?」
ヨナは分厚い聖書をぺらぺらとめくり、「ヨナ書」のページを食い入るように読んだ。そこには、神様に反抗したがために、いろいろあって海に投げ込まれ、巨大な魚に食べられ命を落とすという、ある予言者の話が書かれていた。
「な、なんで父さんと母さんは、僕にこんな人の名前を!」
ヨナはいらだちを覚えながら聖書を閉じた。その日からヨナは、強くなった。彼は家の農作業を手伝うことで、その筋肉を鍛えた。夜になると家の裏でナイフ投げの練習をした。それは女手一つで自分を育ててくれている、母親を守る手段としてであったが、そのナイフ投げのスキルが役に立ったことがあった。それは祭りの日に、酔った村人がヨナの家に押しかけ、ヨナの母親に暴力をふるった日のことだ。ヨナはその日、正確無比なナイフ投げのスキルを使い、生まれて初めて人を殺めた。ヨナは母親を襲う村人に、預言者ヨナを食らう巨大な魚のイメージを重ねたのだった。「人間を食らう巨大な生物」は、幼いヨナのトラウマとなっていたのだ。
「母さん! なんで僕にヨナなんていう名前を付けたの!」
巨大なトロールを前に、ガチガチと歯を鳴らして過去の記憶を必死にたどるヨナ。富樫はそんなヨナの思考を読み終え、叫んだ。
「おいヨナ、おかっぱ野郎! お前はセファを助けようとして俺をナイフで攻撃したよな! あの時の気持ちを思い出せ! 名前なんて、関係ないだろ!」
「え?!」遠くから響く声に、驚くヨナ。「誰だ!」
富樫は驚いて自分を見つめるヨナのそばに駆け寄り、言った。
「おいヨナ。その手りゅう弾を一個かしてくれ。この怪物に全滅させられるくらいなら、俺はその手りゅう弾を持ってトロールに食われて、こいつの体を中から破壊してやるぜ!」
「は?!」 ヨナが目を丸くして富樫を見つめた。
「この怪物に食われる、だって?」怯えた目で、ガチガチと震えだすヨナ。
「ああ、俺一人の命で、多くのドイツ兵が救われるなら本望だぜ。さあ、その手りゅう弾をよこしな」
「だ、だめだ、そんなこと!」
トロールに食われるかもしれないという恐怖で、前も見れない状態だったヨナが、初めてトロールを見上げて正視した。トロールは、薄笑いを浮かべながら周囲を見回しており、その口は半開きになっている。
「僕があの怪物の口に、手りゅう弾を投げ込んでみる」
「おお、そうしてくれると俺も食われずに済んで助かるぜ、おかっぱ野郎」
ヨナは腰につけた数本の取っ手付き手りゅう弾を取って身構え、トロールの動きとタイミングを合わせてピンを抜き、強靭な筋肉をもってそれをトロールの顔面めがけて投げつけた。
「お!」
その手りゅう弾を目で追い、声を上げた富樫。手りゅう弾はこちらを向いたトロールの口に見事に吸い込まれ、その内部で爆発した。
どおおおおおおん!
強く大地を揺るがし、トロールは倒れた。爆発は頭部を破壊するほどの威力ではなかったが、気絶くらいはさせられたかもしれない、トロールは横たわって動かなくなった。
「やったな! ヨナ!」
「う、うん、ありがとう。君のおかげだよ」
富樫は、さっきヨナの記憶に出てきた、ヨナの母親の姿を思い浮かべた。母親はヨナの帰りを、今も国境近くの家で待っているはずだ。もうすぐこの戦争は終わる。まってろよ、ヨナの母さん、と富樫は思った。
「残るトロールはあと2体か!」
富樫は東の方を見た。そこには、リモートクラッカーの赤い光に照らされ、巨大な幻想生物、二体のトロールが暴れまわっていた。
(続く)




