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幸田露伴「新浦島」現代語勝手訳  作者: 秋月しろう
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幸田露伴「新浦島」現代語勝手訳(20)

其の二十


八百屋の娘、おしち、白木屋の娘、お駒、それから三勝さんかつ此糸このいとなどと言う美女、また、吉三きちざ才蔵さいぞうそれから半七はんしち蘭蝶らんちょうなどと言う美男等は皆、魔風に吹き飛ばされていったが、その後はどうなったか判らない。


今、この宮殿は主人の次郎と臣下じんか同須どうしゅとの二人だけになってしまった。銀燭のろうは流れてしまって、薄暗くなったが、明るくするために蝋燭ろうそくの芯を切る者もなく、酔い覚めに薄茶の一服を持ってくる者もいない。さすがに魔界の歓楽は自分には必要ないと思った次郎であったが、今となっては淋しくもの悲しく、『ええ、やっぱり眠るまではあの美女、美男の連中を置いておけばよかったな』と、少しは悔やむ気持ちも出たが、ここは我慢とばかり歯を食いしばって弱いところを見せず、

「同須よ、俺はもう寝る。もとの住まいへ案内せよ」と言えば、かしこまりましたと、同須は雪洞ぼんぼりを明かりに先へ立って導き、くらを開いて、真っ暗の中に雑然とした、いつもの臭いがする、つい昨日までの次郎の家に誘い入れた。先ほどまでの絹緞通きぬだんつうとは違い、板敷きの上に七島筵しちとうむしろだけが敷かれてある囲炉裏の縁に何とも言えぬ憐れさを感じ、赤螺あかにしの油皿なども同須がそれを見つける前から目に入り、悲しく思えた。ではあるけれど、次郎も浦島家の第百代に生まれただけあって、尋常の男ではない。


「同須よ、これも風流というものよなぁ。そなたも適当な夜具を取り出して、引っかぶって寝るがよい。どれ、私も気持ちよく一眠りしよう」と言いながら勝手知ったる自分の家、自分の蒲団を出してきて、書生のようにごろりと寝転がった。それを見て同須は驚き、

「余りにももったいなく思われますけれど、それがお好みとなれば何とも申しようがありません。我等風情は臣下として、一つ屋根の下でご一緒するというのは恐れ多く、元の地へ帰ることにいたします。何かございましたら、何時でも私の名を三度お呼びください。すぐに参上してご用を承ります」そう言うと、そのまま姿は消えるように見えなくなってしまった。


雪洞ぼんぼりの火を我が家に元からある赤螺あかにし貝の油皿に移し替えれば、まったくの闇という訳でもなくなったが、一旦いい思いをするとそれよりも悪くなって行くのには、なかなか気持ちの切り替えがしにくいもので、鼈甲べっこうの天井と煤けた粗末な板の天井とは比べものにならず、黄金きんが張り付けられたふすまとありきたりな玉河唐紙たまがわどうしさぎの他に鳥類のない文人画が描かれた襖とは雲泥の差があり、すすぼけた紙に雪花形ゆきはながた桜花形さくらがた、あるいは無茶苦茶な形の四角や五角の紙を貼り付けて、穴を塞いだ障子と水晶の障子とは月とすっぽんの違いがある。咳をすれば唾壺はいふきを持って来たり、噴嚔くしゃみをすれば鼻紙を持ってくる者がいたありし日のあの宮殿の住まいとは様変わりした一室で、いくら次郎でも面白いことがあるわけもない。自然と何をすることもなく、何の風情もないことに堪えかねて、すぐに眠ることもできず、同須が昼間話していた言葉の数々、あるいは軍荼利王ぐんだりおうの威厳の恐ろしかったこと、毘奈耶迦天王ひなやかてんのうが話されていた意味深い言葉などなどを思い巡らしたり、また、人の子は弱く、魔の誘惑いざないに負けてしまいやすいことなどが次から次へと頭に浮かんできて、寝付かれもせず、この世の中というのは月が綺麗に中空に浮かぶようになるとそれを隠すように自然と雲が生じたり、花が満開になると酔っ払いがその枝を折って帰るようなものなのかと、独りあざけっていると、どうやら宮殿や我が家を覆っていた庫はいつの間にかなくなってしまったようで、家は元のようになった。海辺に面した裏口も月の薄明かりにほの見えて、昔時むかしながらのなみのじょぼつく音が聞こえて来たり、片貝の殻がしおに光ったりして、まったく昔に戻ったようであった。


次郎はつくづく魔力の広大さを感じながら、ようやく眠気を覚えて、トロトロとした時、ほとほとと、戸を叩くものがある。水鶏くいなにしては季節が違うし、だいたい今頃我が家を訪れるような者もいないはず。聞き違いだろうと思い、起き上がりもせず、再び眠ろうとしたが、戸を叩く音がしきりに聞こえ、また澄んだ声で自分の名前を呼ぶようにも聞こえた。まさか千鳥が次郎様次郎様とは鳴かないだろうに、不思議なことがあるものだと呟きながらやむなく立ち上がって、戸の外を見ると、月は落ちたのか、真っ暗である。紙に油を染み込ませた紙燭ししょくに火を灯し、草履を引っかけ、「誰人どなた?」と言いながら柴の戸を開けると、転がるようにして入ってくる女の雪白ゆきじろの顔は火の光りにパッと映って明らかに……。

目つき、眉つきは紛れもなく勇菊ゆうぎくであった。思いもかけないことに、これは! と驚き、何も考えられずに家の中に駆け上がる後から袖にすがって女も急に駆け上がり、

「お懐かしゅうございます、次郎様。はるばる苦労をして来たものを、よう来たともおっしゃらず、お逃げなさろうとはどこまでもむごいなされ方」と膝に取り付き泣き口説く。

外面そとには闇に捨てられた紙燭が今や消え消えに微風に揺らいで瞬いている。


つづく

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