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切れるまでが長いおばさんの話  作者: 恭子@新参者(旧PN:三宮 奈緒)
第二章 かずこさんと状況説明
12/18

12・お腹が空くと悲しくなるよね。

 「さて佳津子さま、お腹は……」

 ぐーぎゅるきゅるぐーーーー。


 自分よりも早く返事をした腹の虫を、この世の誰もが抱えているのか、ぜひ問いたい。


 佳津子はにこやかにメイド、エリーへと笑いかけた。お着替えから、実に自然にさりげなく鏡台へと場所を移され、流れるように髪の手入れを始められてしまったのだ。

 何とかしてその合間に彼女の名前だけは聞き出せたが、佳津子にしてみれば知らないうちに自分の名前を把握している初対面の人間に、さらに言えば女性から何かを聞き出せるような高等テクニックは持っていない。問いを発せばたちまちのうちにこちらが丸裸にされる勢いで質問を返されるだろう。


 それは予測ではなく事実だ。これまでの経験からすれば。


 ありがたいことに、エリーの特性なのか、メイドさんは佳津子が無口でいる間は喋らないでいてくれるようだ。言葉もなしにどうして理解してもらえるのか、そこから佳津子には理解できないが、エリーは佳津子の顔色を読むのが上手だった。

 ここがコーリーンの屋敷であること、自分の名前はエリーであること、昨夜遅くにこの屋敷に転移させられていた佳津子を思いやって、コーリーンたちは応接室で彼女の身支度が終わるまで待っていること、などを、佳津子の身だしなみを整えながら――どれだけ拒否してもここはスルーされた――ゆっくりと説明してくれた。


 ……コーリーンとは、確かA、北斗のことだったと佳津子は思い出す。かずおと佳津子は同一人物であり、情報は常に共有している。落ちはない。

 つまり、記憶をたどる限り『棺桶に入れられた状態で』『コーリーンの屋敷に届けられた』佳津子は、例の会議室を経由してぐるりと一周、再度コーリーンの屋敷にいることになる。


 またもや、見知らぬ服を着せられて。


 「ああ、お寝間着に関しましては北の隠者様のご趣味だそうです。今朝、こうして私がおそばに来るまで誰も佳津子様に触っておりませんので、ご安心ください」


 なんだその情報。ビタイチ安心できないんですけど。

 

 佳津子はぐるぐると忙しい自分の思考をぐっと抑え、礼を言った。立ち上がり、ドアの方へ向かう。食堂でよろしいですか? と先回りしてドアを開けてくれたエリーに小首を傾げ、応接室です、と答えた。


 「……コーリーンさまとお話しされるあいだ、お腹が鳴るかもしれませんけど、どうされます?」

 「食堂一択で」


 わかりました、と柔らかく笑うエリーのイメージを書き換えて、佳津子は彼女の後ろについて歩き出す。侍女頭というからには怖い人だと思っていて、そんなわけでもないんだ、と理解しかけていたがとんでもない。やはり怖い人だったらしい。

 お好きなものはありますか、嫌いな味は、と軽い質問に答えるうち、佳津子はエリーの言葉から確信した。


 きっとこの人、私がここじゃない場所から召喚されたことをしらないんだ。


 だよね、かずお。と問いかけるまでもなく答えは是として胸中に浮かぶ。……気を付けたほうがいいかもしれない。こちらに来てから、異常事態が続いたせいもあって『かずお』を意識する回数が増えているようだ。最近では名前すら意識しなくなってたことが多かったのに、予想外だ。

 あれは本来、名前をなくさなければいけない存在なのだ。名前があるということは人格があるということにつながってしまう。二重人格だとかは佳津子もかずおも目指していない。普通、平凡を合言葉にしているのだ。

 せいぜい、切れたら口調が変わる、くらいにとどめておきたい。

 階段を下り、食堂に案内されるまでの短い時間で佳津子は改めて心に刻む。佳津子の中身は佳津子だけでいい。驚いたら冷静になっちゃうんです、レベルを目指さなければ。


 しっかし、つくづくと、内装が好みのお屋敷だわぁ。


 作りのしっかりした室内履き(クローゼットの中から魔法のようにエリーが出してきた)を穿かせてもらっていてもわかる。足元のじゅうたんはふかふかだ。廊下に絨毯とか、個人の住宅だとすればちょっと佳津子の常識にはないが、ホテルだとすれば理解できる。

 お屋敷ってエリーさんは簡単に言ってるけど、私の知ってるお屋敷とは桁が違うんだ。

 階段の手すりを凝視して、そのぴかぴか具合に恐ろしくなった佳津子は断じた。


 触んないでおこう。なるべく。この家を出るまで。


 その思考をまたも読み取られたのか、斜め前に立つエリーがころころと笑い、手を差し出してくる。裾を踏まないようにワンピースを持ち上げた手とは逆の手で、しっかりとその手を握った。一瞬だけぎゅっとしてくれたエリーの手は乾いていて気持ちいい。単なる勘だが頼っていい人だと思う。


 ドアを開ければ、廊下にはずらりと扉が並んでいた。一階だろうか二階だろうかと少しだけ悩むも、すぐに階段に辿り着いて理解する。

 ここは二階なようだ。

 降りる前に二階の向こうを確認すると、階段をはさんで対称の作りになっているようだった。オールドアメリカンと言うか、古き良き南部アメリカ、のイメージに近い。

 廊下の両並びにずらりとドアがあるのに邸内が暗くならないのは、どうやら天井に定期的にあけられた天窓らしき何かがあるおかげだろう。突き当りには扉も見える。こちらはほぼ全面がガラスだ。みっちりと色付きガラスで模様が……色味の抑えられたステンドグラスか。それだ。

 そうして、踊り場まで下がれば玄関ホールが一望できた。逆に言えば効果的に登場シーンを演出できる設計だ。すごいな、と思考の流れのどこかに感想が浮かび、沈む。

 ああ、そして、確かに、昨日見たホールだ。

 ぎくりと足を止め、思いがけなくも強い感慨を連れてくる光景に佳津子は瞠目する。

 重厚な玄関扉。今の佳津子が立っているのは階段の踊り場になるが、玄関からまっすぐにこちらに視線が通るようになっている。二階へはこの踊り場から左右へと分かれて上がっていく設計であり、先ほど感じたように注目を集めるように考えられているのだろう。昨日は気が付かなかったが、現にここにもステンドグラスが嵌まっている。

 逆に、目立たないように配置された玄関わき左の小さな扉。

 あの中には個人用エレベーターみたいなシステムがあることを、今の佳津子はもう知っている。

 複数の人が同時に動いても動線が重ならないように上手に練られた設計でもある。佳津子から向かって、つまり玄関を背にすれば左側のこちらには応接セットが……えーと、三組? はぁ? 真面目にこのお屋敷、ホテルか何かなのか? ロビー? 

 くるくると思考を散らす佳津子の手をエリーは淡々と引いていく。

 左右に棟が別れた形式なのは二階と同様だが一階にはさらにあちこちに扉がありガラスが入れられていた。二階よりも明るいことが少々意外だ。どこからどう採光しているのか、まったくもって実に探検のし甲斐のあるお屋敷である。


 これだけ、あちこちに家具が置いていなければ。

いたるところに花が飾られてなければ。

 内装に、あからさまにお金がかけられていなければ。


 佳津子は、目に入る光景のざっとの金額すらもはじき出せないことにすくみ上る。


 これ……これ、お屋敷? ってレベル? や、うん、確かに個人宅ならお屋敷だろうけど……コーリーン邸、というか。……日本なら、重文扱いじゃない? 重要文化財。


 うっかりと思いついた単語にもっと委縮した。止まりがちな足はエリーが絶妙なタイミングで手を引くことで止まることはない。玄関を背にして右側の棟へと連れて行かれる。左側の部屋には扉が付いていなかった。だから覗き込む。……厨房だ。ご飯だ。

 だとすると。


 佳津子が検討をつけた部屋の扉は開け放たれている。予想通り、ここが食堂だったようだ。……うん、食堂。まちがってもダイニングじゃない。

 厨房が、キッチンでないのと同様に。


 佳津子の知っている広さで言うならば事務所に置いてあるオフィスの島、五個を一組として組まれるあの幅のテーブルだった。お向かいに座る人の表情が余裕で読み取れるだろう。……ああ、うん、一人一人のスペースも机一個分。そんな物かも。

 連れていかれようとするのがあからさまに上座であることに、ついに佳津子はその足を止めた。年齢を考えれば失笑されてもおかしくないが咄嗟の言葉が出ず、ただ、かぶりを振る。

 必死な顔にほだされたのか、エリーが仕方ありませんね、と柔らかく許してくれた。入り口からさほど離れていない場所に座らせてもらう。間髪入れずにワゴンが左側に付けられた。まったくその気配に気が付いてなかった佳津子が心底から驚いて振り向けば、ぽかんとした顔がおかしかったのか、初対面のおじさんに笑われる。


 「初めまして佳津子さま。お、私は厨房を預かってますエランドです。お腹はお空きですか?」


 その後、本当なら多分、なにがしかの言葉が続けられるんだったろうなと佳津子は思った。

 間髪入れずに佳津子の腹の虫が先に返事をし、エランドと名乗ってくれたおじさんが体を折ってまで爆笑してくれなければ。


 「……ご飯、はい、よろしければいただきたいです。ありかとうございます」

 「はい。……ふふふ、はい」


 仏頂面とまではいかない棒読みが、さらにエランドのご機嫌を加速させた、ようだ。なぜだ。腑に落ちん。


 しかしもちろん、佳津子にとって他人に笑われることは珍しいものでも気にするようなことでもない。彼の笑いは失笑ではないのだからスルー推奨だ。

 暖かいお皿に金色の卵が載せられる。

緑の野菜、赤い……何かの薄切り。白いパン、オレンジ色のスープ。

 食べ物はほぼ日本と変わらない、と佳津子は判断した。食べてみて、そのあまりの美味しさに驚くものの味も大差なしと断じ、それならと食べ進めることを選択する。


 うめぇ。っつか、ガチうめぇッスよ、コレ。


 この美味しさをあらわすとすればヤンキーのように砕けるべきだ。しかし佳津子の外見にその口調は似合わない。結果として佳津子はにこやかに笑いながら黙々と食べる。食べ続ける。エランドもエリーも、佳津子の食べ方に満足してくれているようだ。

 食べる。佳津子にこやか。美味しさをせめて届けたい。にこにこ。

 エランドとエリーもにこにこ。

 片言で説明してしまえる状況がすべてで、佳津子は思う存分に卵とスープを味わった。ちなみに赤い薄切りはハムとトマトの中間のような何かだった。肉と野菜の中間とはこれいかに、とやっぱりにこにこしながら佳津子が考えてしまったことで大量に皿にお代わりが載せられたが、なに、薄いハムがどれだけ重なろうとも大した問題ではない。佳津子は美しく皿を空にし、気持ち良くジュースのグラスを空け、エリーに応接室に案内を頼んだ。


 やっべぇ、歯磨き。ってーか、歯磨き。


 人と会うのだ、と言うことを佳津子が思い出したのは、応接室の扉が開かれてからだった。間抜けなことに美味しいごはんですべてがぶっ飛んでいたらしい。ぽっこり突き出たお腹が恨めしかった。ゆるい部屋着のワンピースも。

 

 人様のお屋敷で喰いすぎですよ佳津子さん。うっかりしすぎですよ?


 佳津子でもないかずおでもない何者かからの脳内突っ込みにしゅんとしつつ、見た目はきっちりと年相応の落ち着きを見せて黙ったままソファに座った。

 その場にいたのは男性が五人。そう、…………誰だ。


 わりとガチで、誰だ。



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