13・物覚えと難しい話
「改めまして、佐藤 佳津子です。長々とお待たせしてしまったみたいで、大変申し訳ありませんでした」
いやそのなんだな、ぶっちゃけると三人には見覚えが、ない、わけでも、ない。
佳津子は曖昧に笑い、頭を下げた。一晩寝れば大概のことはリセットされる残念な佳津子の脳内仮想メモリはやっぱり、今回もデータを海馬に書き込む前に消去してしまったようだ。本当に、電源を落としてしまったパソコンのように綺麗さっぱりと、ない。
パソコンならばそれなりの手順を踏めば再生できるだろうに。人とは残念なものだなぁ。
佳津子は思考の流れを漂いながらも一人一人の顔を順に見やる。恐ろしいことに、名前まで聞いた気がするがスッコーンとその手のデータが脳内に残っていない。そもそも、この人たちは誰で、どんな経緯で…………ああ、うん。
「コーリーン、さま」
助けて、と言って舌打ちされたのは人生で初だ。その強烈な経緯からコーリーンは覚えていた、らしい。思い出したというべきか。
「昨夜は色々とご面倒をおかけしたみたいで」
日本人の見本のように、佳津子は語尾を曖昧にして心持ち笑って見せる。頭を下げることも忘れない。申し訳ありませんでした、と、ありがとうございます、で迷った挙句に止めておいた。さて、どう出られるのか。
目尻を緩め口角を上げてキープ。学生時分にさんざんっぱら鏡の前で練習した胡散臭い笑顔でコーリーンの鼻下、口元を見続けた。ちらりと他の男性に目をやると、どうしてだかひどく驚かれているようだ。……うん?
「………………驚いた。本当に、昨夜の方とも違うようだ」
うっわぁおぅ。なんていい響きの声の人。
佳津子はついうっかりと目を見開いてまで横を見てしまう。話しかけたのとは違う方向から聞こえてきた声の良さに素直に感心した。かすかに走った違和感は意識の底に沈める。そうして、美声に驚いた、この思考の流れに覚えがあることを脳内から引き上げる。
…………えーと、この美声の君、確か名前は。
「Cだ」
「C?」
おっとりと首を傾げられてしまった。やべぇ。やばすぎるッスよ先輩。
「いえ、失礼しました。……ええと、申し訳ないのですが」
BやCなどと失礼な個人認識用単語はこれ以上口に出さない方が賢明だろう。佳津子は肩をすくめる。名前を何度も聞く失礼さは重々、承知の上だ。怒られることも致し方なかろうが。
「なるほど、では名乗りなおしましょう。私はシグネベア」
「ボクはポール」
「コーリーン、は覚えてくれていたみたいだが」
「俺はディノです。初めまして、ですね」
「リオウはリオウだよ。佳津子はリオウを見るのが初めて、だよね。よろしく」
おっと最後。実に個性豊かな自己紹介じゃなかろうか。
佳津子は、リオウと名乗った少年をちらりと見る。どうやら第一人称が名前なのはこちらでも珍しいらしい。周囲の男どもがぎょっとした顔をしている。
ウィーン少年少女合唱団に確実にいそうな金色と緑の眼………………あ、いや、待った。会ってる。うん、この顔は見たよ。昨日のラストで出てきた子だ。
「昨夜、お会いしましたね。リオウ……くん、かな?」
「あれ? 佳津子にはリオウの記憶があるの?」
不思議そうに小首を傾げられる。か、かわいいじゃないか。C、じゃなかった、シグネベアと同じぐらいに違和感がないとか、おおっと、さぁ、どっちに驚くべきだこの状況。
「くん……隠者相手にくん付けか」
「しかも隠者殿のそんな口調は初めて聞いたが。恐ろしく似合わないな」
成人をとうに越していそうな推定軍人に首傾げが似合うことと、女の子かと見間違えんばかりにかわいらしい男の子のあざといレベルの首傾げと。
どちらによりいっそう驚くべきかと考えつつも、ちかりとまた違和感が走った。どこだ。
どこに違和感のもとが、…………名乗り、か?
かちりと疑問が形を成す。昨日の方とは、と強調されたような気がするのだ。
リオウに至っては、『佳津子には』に傍点が付いていたような発声だった。ふむ。……ふむ?
「お話をしていた記憶はありませんが」
「……ふーん? 丁寧なしゃべり方だね? いつも通りにはならない?」
「…………申し訳、ありません」
ゆっくりと頭を下げるあいだに、佳津子は心のざわつきを必死で抑える。 いつも通りってなんだ。私とこの子は今が初対面みたいなもんじゃなかったか?
待て待て待て。混乱するな。
「カジューク、カジュ、俺は上手に貴方の名前が言えないようです。愛称か何かありませんか?」
「甘い海みたいな?」
ディノが話に割り込み、さらにポールがそこに上乗せしてきた。甘い海、と聞いた佳津子が記憶をたどる。……ああ。うん。
つながった。
「ポールさま、それで、私の簡易翻訳は調整できますか?」
「さま?」
「……はい。それと、ディノさま、ですね。私にシャツを貸してくださった方。私、うっかりしていてシャツの行方を把握していませんが」
「いやだなぁ、佳津子。その喋り方だと他人行儀にすぎるよ。リオウ達はこれからいっぱい仲良くなる予定なんだからね? 悪いけど、あっちの方が可愛らしかったし、話し言葉を思いっきり砕いてくれる? 夕べみたいに」
「隠者殿、無理強いは」
唐突だが同時にリオウとコーリーンからダメ出しが入り、佳津子は沈黙せざるを得なかった。口を閉じ十秒。
表情を変えずに口角は上げたまま、佳津子は微かに首をかしげて見せる。頭の中はもちろん、思考の大奔流がものすごい。
おいおいやばくねぇッスか? どう贔屓目に見ても私の話し言葉がアレだって見抜かれてるっぽくね? っつか、もう少しぶっちゃけると、夕べの、ってかずおの態度ってことだよね? あっれー? どうする? どうしちゃうのよ、俺。
最後は少し懐かしいテレビのCMをもじりつつ、佳津子は疑問の渦の中を泳ぐ。ポールもディノも、さま付けを嫌うかのようにしわを寄せた。黙っているシグネベアも。
コーリーンは普段からこんな顔をしていると仮定しても、いやだやっぱりどう考えても。
砕けろ。態度も、言葉も。……って要求されてる、んだろうな。これは。
「……わかった。頑張る」
「ありがとう」
爽やかなリオウの笑みが胡散臭い。こんな年少さんの姿だが、しかし佳津子はどうしてもリオウを年相応に扱う気にはなれなかった。コーリーンたちが彼に対して実に丁重に慎重に返事をしていること、全員の家名を一度も聞いていないこと。
そして、最重要なのが佳津子の勘だ。
こういう目をした人に、油断をしてはダメ。
自分に強く言い聞かせて、佳津子はふと指を擦り合わせる。飲み物、というかティーカップが欲しい。手持無沙汰だし。
「それで……どうして私はここに?」
「うーん。ちょっと長い話になるんだけど。先に、お茶を用意してもらおうか」
リオウの仕切りに、佳津子は自分の勘が間違っていなかったことを知る。ここはコーリーンの屋敷だ。人様の家で、当人より偉そうにできる場合はたった一つのパターンしかない。すなわち。
圧倒的、絶対的に、リオウの方がコーリーンよりも、立場が上だということ。
かちゃりと音を立てて、エリーが佳津子の前にお茶を置いてくれた。昨日も飲んだ白湯だ。いや、えーと、確か。
「リーリアのお茶です。お口に会えばいいのですが」
「ありがとう。はい、昨日も頂きましたので美味しいこと、知ってます。ありがとう」
礼を二度も言ったのは、メイドさんが主人の前で口をきいてくれたことに、だ。礼儀上ならば無口を貫く立場だろうに、佳津子が難しい顔をしていたから説明してくれたのだろう。親切だ。
きれいな笑みを見せてくれたエリーはすぐに退出する。リオウはその間に考えをまとめていたようだった。とんとんと組んだ腕の上で、もう一方の指を躍らせる。
「佳津子は、世界の構造についてリオウと喋れるかな」
「……質問が広範囲すぎて答えが絞れません。どういう意味でしょう」
「いいね、その答え。リオウの好みだ」
するりとリオウの腕が解かれた。流れるような所作でティースプーンを縦に、そう、立てて重ねて人数分並べる。
「世界はミルフィーユのようなもの。薄いパイ皮一枚が君たちのいた、それぞれの世界だと考えればいい。文化レベルも進化も一緒。ただし、ミルフィーユの一番上と下じゃ多分、すっごーくイロイロなものが違ってきてるだろうけどね。ここに並べたスプーンはその簡易モデルだと仮定してくれる?」
「……平行、パラレル世界の構造は、小説の中でしか読んだことはありません」
「上出来。つまり、言葉だけでも理解してるってことでしょ?」
「そうですね。理解と言う単語の定義に不安が残りますが。……私は、この世界とはどれだけ離れたところから来たんでしょうか」
「……ん、うん。そこだよ」
リオウはそこで、ばつの悪そうな顔をして見せる。肩をすくめ、頭を下げることなく追加説明を始めた。
「佳津子はね、リオウが召喚したんだ。これに関して謝るつもりはない。リオウにもいろいろと都合があったから」
「…………」
「この簡易モデルがどれだけ簡易なのかは想像がつくと思う。その上で聞いてほしい。佳津子がこの端。リオウたちのいる層が反対側のこの端っこ。世界を構築する層の中でも端と端、両極端からリオウが佳津子を探し出した。条件を聞く?」
「…………はい」
「魔法のない世界で育ってる……つまり本人に魔力がないこと。愛されて育ち、巣立ちの時を超え、自立はしているけれども少々もて余され気味の存在がさらに望ましい。それなりに有能だが代わりがいないわけでもない。まだ誰とも婚姻を結んでいない成人女性。人が良く、恨みを知らず、明朗闊達にして機転もきく」
「……」
「言っとくけど、佳津子は平々凡々じゃない。どこにでもいるような子でもない。少なくともリオウは召喚に際してあり得ないほどの高望みをしたし、これが適えられるとも思ってなかった。……失踪しても、周囲には嘆かれるだろうけど層を綻ばせるほどの執着はされてない。この条件だけなら合う女の子は腐るほど転がってるんだけどね。追加条件が厳しくて」
「聞けば聞くほど、隠者殿のやったことは非道なようですね」
さらりと渋い声が佳津子の目の前に座るリオウを非難した。そうだね、と穏やかなリオウの声が肯定する。だが心持ちでいい。待ってはもらえないだろうか。
よくまとめられているだけに、リオウが告げてきた話は短時間では把握できないほどの圧倒的情報量だ。佳津子は自分の思考の中で溺れそうになる。
意味が、よく、わからない。
ぱちり、かちりと脳内で音がした。非常に残念で心から喜ばしいがこれは、かずおの出てくる前触れだ。昨日みたいに劇的な入れ替わりではなく、穏やかな方。
少しだけ、そう、人によっては『スイッチが入った状態』と言い表されるような、そんなささやかな人格の交代。
「……今のお話の、大体は、把握したようです」
佳津子は、いやかずおは、いいや、やはり佳津子だろう。
彼女は、ゆっくりとリオウの眼を覗き込みながら、頷いた。




