001話 ~ 勇者歴元年
その日、プライムという男の子が生まれた。
それと同時に、勇者歴が始まった。
次の勇者が生まれるのは、百年後。
魔王を殺せるのは、その百年で彼一人だけだ。
彼は、両親だけではなく、村全体から愛された。
六歳で剣と魔法を覚え、十歳で王と出会った。
そして月日は流れ――
十六歳。
曲刀に吊るされた魔王。
その両脇には、スケさんとカクさんが立っていた。
「プライム様、止めをどうぞ!」
プライムがうなずく。
額から落ちた汗が、床に弾けた。
スケさんの教えを思い出す。
――考えるな。
魔王はもう十分考えている。
何も考えずに、勇者にしか見えない心臓を探した。
「見えた!」
プライムは剣を振り下ろした。
人には決して出せない悲鳴が響く。
それでも手を緩めない。
壁ごと心臓を貫くまで、剣を押し込んだ。
静寂。
荒い息をこぼしながら、プライムはスケさんとカクさんを見る。
金色の髪が汗で張り付き、灰色の瞳は忙しなく揺れていた。
「初めての魔王討伐。見事でございます」
「カクも嬉しいです。プライム様がここまで大きくなられるとは」
二人の言葉に、プライムは照れ臭そうに笑った。
ずご、ごごごごご――。
魔王の間が揺れた。
床が鳴り、何かが押し寄せて来るようだ。
「スケ!カク!」
プライムの視線が二人を行き来する。
それでも、スケさんとカクさんは、その場にどっしりと立っていた。
「よく見て下さい、プライム様。あれを!」
カクさんの言う通り、プライムがそちらを見返すと――
無数の灯りが揺れていた。
ぞろぞろと現れたのは、鎧の兵士ではない。
そこにいたのは、見知った顔ばかりだった。
カレハ爺さん。
パン屋のミナおばさん。
川で遊んでいた悪ガキたちまでいる。
誰もが笑っていた。
「おめでとう! プライム様!」
歓声が魔王の間を埋め尽くした。
人々の奥から、一人の老人が歩み出る。
「王様……?」
王は、魔王の血など気にせず、濡れた床へ膝をついた。
「見事であった、勇者プライムよ」
震える声で礼を告げると、王は一枚の地図を差し出した。
「これが次の魔王がいる場所じゃ、頼むぞ!プライム!」
「……はい!頑張ります!」
プライムたちの背中が扉の向こうに消えた。
その姿を見届けると、王は懐から石板を取り出し、小声で耳に当てた。
「……はい、メル殿。問題ありません。三人とも無事です。次のダンジョンへ向かうことでしょう」
石板をしまった王は、祝福の笑顔のままだった。
――半年後。
魔王城の入口で、プライムは煙草をくわえながらイライラと歩き回っていた。
暗闇の奥から、揺れる明かりが近づいてくる。
「プ、プライム様! 煙草はおやめください。体に害です!」
「ったく。知ってるよ! だから火なんて付いてねーだろ?」
プライムは肩をすくめた。
「ってか、お前らが魔法で吸えないようにしてんじゃねーか」
そう言うと、くわえていた煙草をカクへ放り投げた。
「確か今日のノルマ、魔王十匹だろ? 道中のモンスターなんて、お前が倒す必要ねーじゃん。捨て駒が足りないなら、メルじいに補充頼めよな」
「も、申し訳ありませんプライム様」
角刈り戦士のカクは、うざいほど泣き虫だ。
プライムがこうなってしまったのは、自分のせいだといつも嘆いている。
「泣いてんじゃねーよ。さっさといくぞ」
「はい! こちらです」
カクさんは、今来た道を引き返していく。
足元には、黄や緑の血の海に沈むモンスターたち。
「この酸っぱい匂いなんだよ……。もっと遠くで倒せなかったのか?」
「すいません……プライム様」
「だーかーら暗いっての。お前ミリカ国一の戦士だろ? 俺の鎧まで貸してやってんだから、しゃんとしろよ」
「はい、この鎧のおかげで魔王の攻撃もへっちゃらです! あ、こんなに汚していますが、あとで綺麗にしますのでご安心ください」
「ああ、毎日お前が磨いているようだからいいよ」
モンスターの死骸はすでに片付けられ、罠も丁寧に解除されている。
安全になった通路を、プライムたちは早足で進んだ。
壁、床、天井にまで“魔王意匠”が刻まれている。
「この意匠は、魔王デデルク……だよな?」
「はっ! その通りです。メルキオル様に確認済みでございます」
プライムは足を止めずに言う。
「それにこの意匠……レベル36? スケと二人でやったんだ? すごいじゃん」
「はっ、ありがとうございます」
「俺の鎧のおかげでしょ?」
「も、もちろんでございます!」
プライムは軽く笑った。
「冗談だよ。ところでもうすぐだろ?」
「はい、そちらの角を曲がってすぐが魔王の王座です」
「よし! それじゃあ行こうか、カク」
「はっ!」
王座に座る、大剣で体を貫かれた魔王。
その剣は、まるで固定具のように魔王を床へ縫い止めていた。
プライムは一瞬だけ、カクの腰元に視線を落とした。
「スケ、ご苦労だな」
「いいえ。止めをどうぞ」
スケは俯きながらも、魔王から視線を外さなかった。
プライムは剣を抜き、床に飛び散った魔王の血を踏みながら近づいた。
「おい、スケ! その腕、どうしたんだ!」
プライムは魔王の心臓に剣を刺し、剣先で組織をかき分けながら、細切れにしている。
「そうかデデルクの爪か……。 回復魔法では治らないやつだよな」
既に魔王の悲鳴は、壁の苔に全て吸われて消えている。
「見せろ、俺の回復魔法なら治る」
プライムたちは、もう魔王のことは見ていない。
「プライム様、有難いのですが、先にメルキオル様にご連絡していただけますか?」
「メルじいに? 構わないけど、どうしたんだ?」
スケさんは珍しく口ごもり、頭を下げて視線を外した。
プライムはズボンのポケットから聖フォンを取り出すと、《大魔導士メルキオル》へとコールした。
「おお、プライムじゃな。早めに教えておこうと思ってな、大事なことじゃ」
「忙しいのに、何があるんですか?」
聖フォンの向こうで、メルキオルは一つ咳払いをした。
「ただ……。魔王が……」
声が小さくなり、プライムには聞き取れなかった。
「ん? 魔王が? 聞こえねーよ」
プライムは眉をひそめる。
背後では、まだ魔王の血が床を伝っていた。
「――魔王が十万匹に増えよる予定じゃて」
「はぅあ? 一万匹だろ?」
「んにゃ。十万じゃ」
魔王の血が、一滴床に落ちる音がした。
カクは口を半開きにしたまま固まり、スケも無言で壁を見ている。
「おいじじい! 先月は魔王を一万匹倒せばいいと言っただろ?」
「おお、そうじゃたかな? まあ、聞くのじゃ。良いこともあるんじゃ」
メルキオルの声は妙に明るかった。
「今日のノルマはなしとか言うんじゃないだろうな」
「いや、もっと良いことじゃ。なんと! お前たちのパーティーメンバーを増やしてやったぞ」
「お! それマジ? まともな奴だろうな?」
「……まずは、ヴェルサス魔法剣士じゃ」
「おお」
「次に、ナリア上級僧侶は知っとるじゃろ」
「ああ、名前だけはな」
スケとカクが顔を見合わせる。
何かを知っているような、その表情だった。
「次に――まぁ、ダンジョンから出ればわかるじゃろ」
「おい、待て。あと何人――」
そこで通話が切れた。
聖フォンを見つめたまま、プライムは舌打ちする。
「今の聞こえたかな? スケもカクも、少しは楽になるだろ?」
プライムはようやく剣を引き抜いた。
魔王の胸から崩れた肉片が、ぬるりと床へ落ちる。
「魔王十万匹ってどのくらい?」
「プライム様は、気になさることではありませんよ」
「予定は我々が組みます」
二人の返答に迷いはなかった。
まるで明日の天気でも確認するような口調だった。
「そうか。じゃあ戻ろう」
プライムは血だまりを踏み越え、出口へ向かう。
ナリア上級僧侶。
名前だけは前から知っていた。
別に縁があるわけでも、好みの女というわけでもない。
ただ、少しの退屈を紛らわせたかった。
結局、今日のノルマはあるらしい。
誰がいるのか少し楽しみにしながら、プライムはダンジョンの外へ出た。
ガヤガヤ……、ガヤガヤ……。
外には、大勢のパーティーメンバーが集まっていた。
百人近い視線が、一斉にプライムへ向く。
――ピタッ。
それまで響いていた話し声が、綺麗に止まった。
「……?」
視線の濃さに、プライムはわずかに目を細める。
歓迎にしては、静かすぎた。




