47 初めて彼女を部屋に呼ぶような気分
「どうぞ上がってくれ。あっ、靴は玄関で脱いでくれると嬉しい」
「靴を脱ぐ、ベッドでもないのに。コーイチのくせに変わったことを要求するのね」
モンムスたちを寝かせてから、俺はチェルをマイルームへと案内した。いざ部屋へ連れ込むとなると、こう照れくさくなるのはなぜだろう。
いつも二人で暮らしていたというのに、不思議と高揚感が湧き上がってくる。心臓が高鳴って顔が熱く感じる。
「高尚な趣味をしているわね。靴を脱がせて興奮するなんて」
「いやいや、そんな理由じゃないからな。靴下姿に興奮したわけじゃないからな!」
いや、スリッパも用意してないのは悪いと思っているよ。友達もいなければ客すらも来なかったから、スリッパって概念そのものが頭からスパっと抜けていたんだよ。
「はいはい。それにしても狭い場所にたくさんの物が置かれているじゃない。まるで物置みたいね」
「キッチンと廊下を一緒にしたような部屋だからな。奥の部屋なら少しは空間とれるから、そっちに行くぞ」
キッチンで立ち話もあれだ。リビングで座りながらの方がまだおちつけるだろう。
引き戸を開くと青空のやさしい光が出迎えてくれる。イッコクではおやすみの時間なんだけど。やはりマイルームは時間が動いていないんだな。
「あら、随分と明るいじゃない。どうなってるの」
「それをこれから話すんだよ。とりあえずコタツ……えっと、そこのテーブルに座ってくれ」
「地べたじゃない。椅子はないの? そもそも、テーブルの背の低さはありえなくってよ」
「そういうテーブルなんだよ。俺の世界……っていうか国では一般的だかんな」
イッコクって時代が中世っぽいからな。靴だって部屋に入っても脱がなかったし。免疫がないのかもな。
チェルは不服そうに眉をひそめつつも、膝をたたんで腰を下ろした。短いスカートだから、座るとほどよく太ももつぶれて目に眩しいぜ。
「あら。このテーブルに挟まった布は、ひょっとして入るためにあるのかしら」
コタツ布団に太ももは隠されてしまう。しまった。昼に入ったときにコタツ布団をしまっておくんだった。くそ、俺が転移したとき夏だったら、眺め放題だったのに。
「コーイチ。まさかとは思うけど、私を床に座らせるためだけに招待したわけじゃ、なくってよね」
目を山形にしてニコリと俺を見上げる。細い肩がピリピリと帯電していらっしゃるので、下手な回答は死を招くだろう。あかん。完全に俺の視線がバレてたわ。
「はい、おふざけはここらへんでやめておきます。ところでさ、チェルは酒は大丈夫か」
「これでも歳は二三よ。嗜む程度になら飲めるわ」
「おっけ、じゃあビールでいいな」
てか、二三歳だったのか。いっててJKぐらいだと思ってたわ。
一旦キッチンに戻り、冷蔵庫から缶ビールを二本取り出した。部屋に戻ってチェルの対面に座り、ビールを置く。
訝しげな赤い視線が、缶ビールに注がれる。
「何これ?」
「何って、缶ビールだけど。あぁ、開け方がわからねぇのか」
よくよく考えりゃそうだよな。イッコクにプルタブなんてあるはずねぇから、当然開け方もわかりっこねぇよな。
カシュッと音を立てて缶を開けてやり、チェルの前に置いてやる。続いて俺の分も開けて、缶ビールを突き出した。
「で、どういうつもりかしら?」
「いや、酒といったらカンパイだろ。カンパイすら知らないのか?」
「そうじゃなくて! もぉ、いいわ」
チェルは投げやりに缶ビールを握った。俺の缶と軽くカチ合わせると、コンっと小気味のいい音が小さく響く。
いいね、雰囲気があって。一度やってみたかったんだよな。
ニヤつく笑みのまま、グイっとビールを煽る。クックッと喉を鳴らして胃の中へと流し込んだ。
「クーっ。悪くねぇ」
ぶっちゃけると、酒はあんまり得意な方じゃない。飲んで一日一本だ。調子が悪いと缶半分で捨ててしまうこともあった。
けど、酒を嗜んでいる雰囲気は好きだった。
ふとチェルを見ると、眉を困ったようにゆがめて缶を凝視していた。口は苦いものでも食べたように波線になっている。
「って、あれ。どうしたチェル。飲まないのか」
「コップはないのかしら。それとも、直に口をつけて飲めとでも言うの?」
さすがは魔のお嬢様だ。お上品でいらっしゃる。一般人には想像のいかない発想だったわ。あれ、なんだろう。お嬢様に缶を初めて飲ませるネタの漫画がどっかにあったような。
「俺が悪かった。すぐ持ってくるから、待っててくれ」
キッチンからコップを運びながら思う。
缶って中身が見えないから、どれくらい傾けていいかわからないんだよな。危なかったわ。あのままだったらチェルがビールまみれになっていたかも知れなかった。
想像すると卑猥なシチュエーションに脳内がワッホイするわけだが、そのあとで感電死する予感がした。素直に回避するのが無難だろう。
「おらよ。コップだ。注いでやるぜ」
ありがとうを耳に、コップへ注ぎ込む。白い泡と黄色いシュワシュワした液体がコップ内でバランスを保つ。五対五の見事な割合だ。
「すまんチェル。しくじった。もうちょっと待ってくれ」
「ふふっ。別にかまわなくってよ」
「嬉しそうだな」
「ええ。よくわからないけど、コーイチが失敗している顔を見れるのは嬉しいわ」
失敗を笑ったのかよ。相変わらずヒデェやつだ。いつかギャフンと言わせてやる。いつか、な。
自分でも永遠にこなさそうだなと思いながら、泡が収まるのを待つ。二度目の注ぎで八対二の黄金比を完成させた。
「さっ、どうぞチェル様。ビールでございます」
「急にへりくだらないでよ。怖いわ」
チェルはおそるおそる口をつけて、コップを傾ける。ピンクの唇が白い泡に触れ、なかから黄色い液体を喉の奥へと流し込まれる。
「おい、しい。エールのような下級の酒だと思っていたけど、洗礼されていて驚いたわ。この色で渋みがこれっぽっちもないだなんて」
赤い瞳を真ん丸にして驚いている姿がとてもかわいらしい。唇の上についた白いおひげが間抜けさを際立て、俺の新たな扉を開いてくれる。
「チェルもイケる口だな。初めて飲むビールをおいしいといえるとは、将来は立派なのんべぇになれるぜ」
「将来は魔王以外になる気はなくてよ。それより、酒を飲ませることが目的だったのかしら」
「ンだな。本題に入るか。この部屋は俺のスキル、マイルームだ」
俺が告げると、チェルは意表を突かれたように動かなかった。想像と話が違ったのかもしれない。
「それで、どんなスキルなのかしら?」
チェルは調子でも直すように、後ろ髪を優雅にかきあげた。サラサラと金色のボブカットがなびく。
「簡単に言うと、俺が住んでいた世界の部屋を出すスキルだ。この部屋は時間が止まってるみたいだから道具入れにはもってこいかもな」
「私たちは大丈夫なのかしら。うっかり未来に飛ぶなんてことは避けたいわよ」
「問題ねーよ。ドアをイッコクに出現させている限り、時間は平行に動いているはずだ」
ふと思い浮かんでしまった。マイルームに入った状態でドアを閉めることはできるのか、と。今度、一人で実験しないといけないな。
「それと、そこにパソコンって有能すぎるマッスィーンがあるんだけど、それを使うと知りたいことが検索し放題だ」
「それって、凄いことなの?」
あっ、そっか。チェルの常識はイッコクのそれでしかないから、現代文明の進行度がわからねぇんだ。俺も実感がないけど、たぶん一番恐ろしさを秘めているはずだ。
「たぶんな」
「曖昧ね」
呆れの言葉が漏れる。期待を裏切られたような、そんな絶望が含まれている感じだ。
「けどな、検索し放題ってありがたいぜ。現状でいうと、子育ての仕方も調べられる代物だからな」
「なんですって!」
凄い食いつきだった。コタツにバンっと両手をついて、身を乗り出す。ビールがこぼれないか心配だったが無事に耐えたようだ。
興奮しているのか普段より鼻息が荒い。顔が急接近するもんだから、心臓がビックリする意味で跳ねたよ。
「それが本当だとしたら、この先の困難がグッと少なくなってよ」
「まぁな。他にも色々と有用だし、ちょくちょく利用していこうや。マイルームに至ってはこんなもんだな。なんか他にあるか?」
俺が聞くと、チェルは落ち着きを取り戻したのか再び腰を下ろした。ビールをクイッと一口やってから、目を合わせる。
「意外ね。コーイチがスキルのことを教えてくれるだなんて。てっきり隠し通すものだと思っていたわ」
「あぁ、そういや話してなかったもんな。俺はあと、ステータスチェックと経験値ブーストLを持ってるぜ」
「聞いたわ。夜にフォーレと話していたものね」
目を閉じながら平然と言いのけた。
俺のスキルを知ってる。話したことなんて滅多にないはずなのに。でもフォーレって……あっ、あの夜か。
俺の脳内にビックリマークが浮かび上がると、チェルはしてやったりというようにクスクス微笑んだ。
いや、その仕草もかわいらしいぜ。白いおひげが再びついているところなんて特に。
「思い出したみたいね。あの夜、私も起きていたのよ。フォーレは全員を眠らせていたみたいだけど、誤算だったようね」
「あ痛ぁ。チェルに聞かれてたか……誤算って、どういう意味で」
額をペチリと叩いて仰け反ってみるが、疑問が浮かび上がった。
フォーレはあのとき、生後一ヶ月で至らないところも多かっただろう。でも、あのフォーレがそんなミスをしでかすかと考えると疑わしいものがあった。
「少なくてもコーイチにとっては、でしょうね。フォーレについては謎だわ」
チェルも引っかかりを感じていたようだ。恐らくはフォーレに乗せられた結果なのだろう。
「まっ、今さら仕方ないか。もうスキルの説明はいらない感じか」
どことなく気が抜けた。一杯クイっとやっていると、小さく声が聞こえた。見ると、チェルが俯いている。
「ん、どうした?」
「どうして何も聞かないのよ。面と向かって問いただしたいこともあるのでしょう。私の、スキルのこととか」
上目づかいに睨むさまは、恨みがましく呪い的だ。
怖いって。なんで、もうちょっとこう「あのね、お兄ちゃん」みたいな恥ずかしげと萌えを含めた上目づかいをしてくれないのよ。チェルは俺を呪殺したいわけ。
「いや、特にはないけど」
身体を仰け反らせながら、ドウドウと動物を落ち着かせる手の動きをした。
「そう。そんなに私のスキル、メッセージはどうでもいいのね」
「えっ、メッセージって……ちょくちょく耳にしたけど、チェルのスキルだったのか」
「何を白々しい。とっくにステータスチェックで知っているのでしょう!」
恐ろしい剣幕で俺に脅しをかけてくる。けど、チェルは激しく誤解をしている。
「いや、知らないけど」
「知らないって、何でよ!」
「だって、さすがにスキルを覗くのはマナー違反かなって思って。メッセージだって初めて知ったぜ」
「……うそ?」
目を点にして口を大きく開くチェル。キツネにつままれるって、このことなのかな。
「ていうかチェル。覗いてもいいのか? 正直、チェルのことは知りたいとは思ってるけど」
「バッ、バカ! 正面切って覗くなんて言わないでくれない。ダメに決まってるでしょダメに」
チビチビ飲んでいるビールにやられてきたのか、顔を赤くしてパニくっている。目がグルグルになって、言葉も飾れていない。
うん、貴重だ。写メにとってパソコン保存したい。電気も通っているんだし、スマホを充電しとけばよかったぜ。
「ダメかぁ。そうだよな。ダメだよな。いやぁ、残念だなぁ」
首を下げて盛大に落ち込んでみる。俺も酒が回ったせいか、リアクションが大きくなっている気がする。
「ちょ、コーイチ。そんなに落ち込まなくてもいいじゃない。そこまで知りたいなら、ステータスチェックさせてあげてもいいわよ」
「ホントか」
顔をバッとあげると、チェルが顔を更に赤くさせて驚いた。
「調子に乗らないでよ。でもいいって言っちゃったし、でも癪だしぃ。よし、コーイチが私の言うことを聞いてくれたら、覗いてもよくってよ」
「おー、聞いちゃう聞いちゃう。何をしてほしいのかな?」
かなり言葉が無責任になってきている。けど、魅力の方が強いから即座に返事をしてしまった。
「私を立派な魔王になれるようにサポートしなさい。そうしたら好きに覗いていいわよ」
「おっけー、そんなもんならお安いご用さ。命だって賭けてもいいぜ」
ドンと胸を叩いて言ってやった。完全に酒のノリだ。チェルも酒が回っていたのだろう、赤い瞳から涙が流れ出している。泣き上戸なのかもしれない。
「ンじゃ、失礼しまーす」
いつも道理のウィンドウを開いてスキルをチェックする。
『メッセージ』『王の風格』
「えっ?」
「何、どこかおかしいところでもあって?」
「いや、何でも。ちょっと意外に思っただけだ」
「もぉ、やっぱりメッセージしかなかったのね。あー、やだ。やっぱり覗かせるんじゃなかったわ」
チェルは顔から火が出るごとく真っ赤にしながら、会話を強引に打ち切った。両手をまるで「ノーカン。ノーカン!」とでも叫ぶように必死に振って。
「わかった。今日はもう寝ようぜ。なっ」
チェルと退室しながら思った。
チェルはまだ、本命のスキルに目覚めていない。これは、酒が抜けてから考えるべきだな。けどきっと、自覚するまでは知らない方がいいんだろうな。
秘密を胸に、チェルとおやすみをするのだった。




