19 魔王になる覚悟
結局シャインはユニコーンが育てることになった。息子ショックから復帰したとき、勝手に名前をつけたことを怒られ、俺に任せるのも癪だと一蹴する始末だ。
おかげでまだ、のんびりと暮らすことができる。けど、シャインの子育てがうまくいくのか本当に不安である。
「本人が乗り気だもの、口を挟むことはできないわ。あとは、祈りましょう」
時期魔王から『祈り』なんて言葉が出るぐらいだ。ならば俺も祈ることしかできないだろう。ユニコーンがヘソを曲げないことを切に祈った。
アラクネ・シャドー・スケルトンの様子も伺ったが、今日すぐに六人目が生まれることはないようだ。
「今日は一気に生まれたことね。この調子だと、残りも時間がかからないかも」
日も暮れ、夕食を終えてからチェルの部屋で顔を突き合せた。赤い瞳は俯き気味で、視線は噛み合わない。
子供がポンポンと生まれているといことは、チェルの実験は順調に進んでいることになる。外から見たら、だが。
「かわいいモンムスが生まれてきてホッとしてるぜ。なんて話じゃねぇよな」
チェルの口元から、静かなため息が漏れる。
周りの期待が高まればプレッシャーは嫌でも重くなってくる。異世界人である俺はほぼ部外者であるから何も感じない。が、当事者は無関心にはなれないだろう。
思案気な視線は、困っているだけかもしれない。憂いを帯びているのは、行き場を失っているからかもしれない。全部が俺の推測で、まだチェルの心には触れていない。
「なぁ、魔王になるってそんなにも覚悟がいるのか?」
なんだかんだでつきあいも長い。言葉を軽くして聞けば、案外すんなりと気持ちを聞けるかもしれない。
キッと赤い視線が目を貫いてきた。口元に力を入れ、しばらく無言で睨みつけられる。
やべ、踏み込んじゃいけない話題だったのかも。喉の奥がひりつくような威圧だ。
視線で射殺さんと睨んでいたチェルだったが、やがて息をついて俯くと、肩の力を抜いた。
「逆に聞くけどコーイチ、あなたは殺されるとわかっていながら堂々と人間の王になれる?」
「殺されることが前提での王様かぁ」
目をつぶって想像してみる。が、いまいち王様の実態がわかない。なので会社の社長に切り替えて再度考えた。
まだ現実味があるけれど、やっぱり想像できんな。上に立つっていうと、仕事を社員に用意しないといけないだろ。あっ、その前に社員の数だ。魔王と対にするには小中企業じゃ割に合わない。社員が一万人以上いる大企業だ。
まずそれだけの人数が食っていけるほどの仕事を受注。役職の管理もあって社員のストレスの問題もあって……ダメだ。あれこれ多すぎて想像が効かない。
そんな訳がわからないのに重大な役職につかされて、殺されるのが確定しているのか。しかも逃げられない。
考えただけで気分が重くなってきた。まるで飛行機が飛ぶような高さで、見えない足場を歩いていくような危機感だ。一歩一歩、自分の重力を足の裏に感じるたびに安堵しては汗が噴き出す。踏み外せば血の気が一気に冷凍されるような落下死が待っている。
そして死ぬときは、下にいる社員全員が道連れとなる。自分一人ならまだ軽いと思えても、一万以上となると重すぎる。
とても正気で耐えられるようなものじゃない。
更にそれを乗り越えた先に待ち受けるのが、幸せではなく結局は死。そう考えると、何のために生きるのかわからなくなる。
気がついたら背中に汗がジットリと流れ、服が張りついていた。いつの間にか息も荒くなっている。
「酷いもんだな。俺ならごめん被りたい」
俺は丸テーブルに視線を落として呟いた。
「少し、コーイチを見くびっていたわ」
えっ、と声を漏らして視線を上げると、チェルが子供を慈しむように微笑んでいた。見るだけで惹きこまれてしまう。
「てっきり何の考えもなく、無理だ、と言うと思っていたのよ。もしそう答えたら、ここで殺そうと思っていたし」
表情を変えない宣言に背筋が凍る。下手な脅しよりも、本音の微笑みの方が重くて恐ろしかった。
雰囲気だけでガチだと理解できた。
「喜んでいいとこなのか、ここは?」
「さぁ。見直したといっても、ただ見直しただけだもの。安心するには早くってよ」
ふふっと妖艶に微笑む。今のやり取りで余裕でも生まれたのか、すっかりチェルらしさが戻っていた。
「おう。それじゃ俺は、怯えることにするぜ」
コロコロと笑うチェルに心が惹かれる。いくら強かろうが、まだ歳場もいかない少女なんだ。血筋だけを理由に大役に収めさせるのには、俺の納得がいかない。
俺はアクアに、グラスに、エアにフォーレにシャインに、みんなに俺の考えを押しつけるようにはしたくない。
子供たちは生まれたときから個人なんだ。親のオモチャじゃないんだ。そしてそれは、チェルも同じなんだ。
何とかしてやりたい。俺が替わってやれるなら替わりたい。でも俺は、何の力もないただの人間だ。異世界人って特殊なだけの脆弱な人間なんだ。
力になれないことが、もどかしくてツラい。
柄にもなく熱くなってきている。抑えろ俺、背伸びをするな。求めれば求めるほど、手に入らなかったときの落胆は大きいんだ。
立ち上がれないほどの絶望感を抱く羽目になる。だから、無茶なことに手を伸ばすな。そうやって、日本でもすごしてきただろう。
「難しい顔をしていてよコーイチ。少し、冷めた話をしすぎたようね」
チェルは立ち上がると俺の傍まで近寄った。座ったまま見上げると、白く細い手が俺に伸びてきた。小さく長い指に、丸く尖った爪。こんな華奢な手で、魔王の座にすわろうとしている。
ひんやりと冷たい手のひらが俺の頬に触れたことで、顔が熱くなっていると気づかされた。
「大丈夫よ。私はちょっと、ほんの少しだけ怖かっただけ。自分の責は自分で負うわ。だからもう、今日はお休みなさい」
オモチャであるはずの俺にやさしさを込めてくれる。見つめられると、視線を離せなくなった。ずっとこうしていたいような甘えが、胸の奥からじんわりと浸透してくる。
「……あぁ、そうするよ」
俺は頬から手を放して立ち上がり、白いソファーへと足を向けた。
「おやすみ、チェル」
「おやすみなさい」
ソファーに身体を預けながら思う。俺はもう、チェルを見捨てられないんだ、と。




