第七話 師匠と弟子と闇市場(6)
「元気がありませんね、メリーシャ」
「ここで元気いっぱいになるほうが、どうかしてないかしら?」
しばらくお互い無言で歩いていた二人だったが、リエルがあまりにも無神経なことを言うものだから、メリーシャは目をすがめた。
気分がみょうに落ち込んでいるのは、メリーシャ自身も分かっていた。
奥へ奥へと進んでいっても、闇市場は相変わらず明るい雰囲気ではなかったし、それ以上に先ほどの『スリ』の少年のことが尾を引いていた。
自分も魔術師でいながら、まさかこんな場所であんな魔力を持つ少年に出会うとは想定外のことだった。
なんとなく、腹が立つ。
シェリ・カルートというこの世界において、魔力は生命力とも呼ばれるもので、言ってみるなら“誰でも持っている”ものである。魔術師と人々との違いは、もともと生まれもつ魔力量の違いでしかない。
それでもメリーシャのように魔術師になれるのはほんの一握りで、その他の人間は自分の生命力を維持しながら、普通の暮らしを送っている。
そして師弟制度を利用する者が右下がりの今、教育を受けられる魔術師はある程度“身分のある者”に限定されてしまっている。それもあって魔術師は選ばれた人間だと、思いあがりも甚だしいことを口にする者も居たが、メリーシャはそんな人間が一番嫌いだった。魔術はみんなのものというのが、メリーシャの持論だった。
そう思っていたはずなのに、この闇市場に魔術の才がある者が居るという事実に、メリーシャは驚いてしまった。
ただ魔術薬を作って、街の人たちと仲よくしながら生活できれば満足。そう堂々とリエルに宣言したのは自分だ。間違いなく自分だ。なのにこんなにも、“魔術師”の思想に染まっている自分に気づいて腹が立つ。
再び訪れた沈黙のなか、リエルはどうして、自分をここに連れてきたのだろうとメリーシャは思った。
しかも、“危なっかしいから”とわざわざ、彼みずからがこうして手を繋いでまで。
ひとつだけ、心当たりがあるにはあったが、合ってるかどうかも分からない。
メリーシャは未だに繋がれたままの右手をじっと見おろした。人肌に触れているのはとても落ち着く。こんな暗い雰囲気の場所だとなおさらだ。
でもなんとなく、それに加えてふわふわと落ち着かない心地がするのは気のせいだと、メリーシャは自分に言い聞かせるのに密かに躍起になった。もしかして自分は金髪の大魔術師のことを好ましく思ってるんじゃないか? そう疑うまではいいが、そこまで舞い上がっているとは思いたくない。
絶対に、絶対に違う。
こんな魔術師、好きになったって破滅にしか向かわないでしょ。
からかわれ続けるのはこりごりだ。それに、リエルの思惑も分からない。
いくら探し物があると言っても、彼は何の理由もなしに『闇市場』なんていう“あからさまに”危険な場所に小娘を連れて行くような人物ではない。そういう面倒事を嫌いそうな彼である、何かしら裏があると疑ってしまうのが普通だ。
それは先日の、ルーベル家にやってきた詐欺師の男達や、メリーシャ自身に向けた態度からもよく分かるし、それに彼はどこか人を突き放すところがある。
その一方で、彼はメリーシャの過去を気遣い、諭すような一面を見せるのだ。
リエル・シャフルードという人間が、見えてこない。
それに気づいたとき、メリーシャには、急に彼が輪郭を失ったように思えた。彼は信用ならない人間で、ときどき攻撃的でメリーシャをいつも小馬鹿にして、父親の仇となるかもしれない人で。
でもとても国の未来を心配していて、優しいところもある人で。
繋いだ右手が、温かい。
いったいどれが本当の彼なの?
「リエルさん」
呼びかけると、金髪の青年が少女を見おろした。
穏やかな黒の瞳の奥に、なにが隠れているのかは読み取れない。見つめ返されるときゅっと心臓が縮むような心地がした。
「ねえリエルさん。あなたは」
あなたは何者?
「あなたは……あたしに、街の現状を見せたかったの?」
そう訊ねる代わりに、メリーシャは別の質問で誤魔化した。彼が何者なのか、それは聞いてはいけないような気がしていた。どうしてそう思うのかは分からないけど。
「見てどう思いましたか?」
と、リエルは言った。
話が若干かみ合わないように感じて面食らったが、おそらくメリーシャの問いが斜め上の質問ではなかったからだろう。素直に“そうですよ”と言えばいいのに、彼は捻くれている。
彼はいつだって、本当の意味でメリーシャに会わせる気なんて無いのだ。リエル・シャフルードは十六年しか生きていない小娘よりもずっと年上で、魔術の技能も、人としての考え方も、全てが彼女を超えていく。
でもそれじゃ悔しいとメリーシャは思った。
お前には理解できないだろうと、暗に言われている気になってしまう。
あなたは、あたしの弟子なのに。
いま確かに、あたしとあなたは手を繋いで歩いているのに。
「あなた、あたしが“街の人たちと仲よく暮らしたい”って言ったこと、実は根に持ってるわね?」
こちらも負けじと返してやると、リエルの瞳がほとんど分からない程度に見ひらかれた。
「心外ですね。私が怒っているみたいな言い方はよしてください」
どうだか、と内心つぶやく。
自分の考えが間違っていなければ、リエルはメリーシャに対して、ずっと静かな怒りを湛えていたはずなのだから。
感じていた唯一の心当たりだ。
彼が自分を、ここまで連れてきた一番の理由。
彼はメリーシャのことは知らなかったが、“メリサルル・ルーベル”という魔女のことは最初から知っていた。あげく経緯はどうであれ、取材されたテキストまで読んだという。だったら彼女がどんな魔女か、ずっと前から知っていたはずだ。
これは、一種の賭けのようなものだった。
メリーシャはなるべく挑戦的に見えるようにと、すっと自分の黒い瞳を細めてみる。久しぶりに思い出した学生時代の教師の顔が、呆れたような顔でこちらを見返す。うるさいわね、こっちはなりふり構っていられないの。
「あなたあたしに失望したんでしょう? だからわざわざ、あたしに話したのよね。後世にあらゆる魔術を残したいって」
後世にあらゆる魔術を残すこと、失われていく魔術に憂いていること。それを自分に話した理由は、彼女の“いま”に失望したから。
彼はやはり、“魔術は上流階級のもの”という常識を壊そうとしているに違いないのだ。彼の言動はどう考えてもそうだとしか思えない。そして彼は自分の考えをメリーシャに話すことで、彼女を皮肉っていたのだ。かつて抱いた夢をあっさり手放した彼女に対し、天才魔術師とはそんなものか、と。
ここまで言ったのだから、何らかの反応が来るはずだとメリーシャは思った。口を引き結んで彼の言葉を待ったが、予想に反して彼は眉ひとつ動かさなかった。
「さあどうでしょうね」
「誤魔化すの?」
「誤魔化してなどいませんよ。あなたの言葉は、ただの想像の内にすぎませんから」
やはり彼は、あのうさんくさい顔で微笑んでいた。
認めなければどうとでも、とでも思っているに違いない。言われてみれば彼は言質を重んじる貴族社会の世界から来たのだった。
「……馬鹿」
メリーシャは不満に思いつつ、目を伏せた。
教えてくれてもいいと思うのに。
だって彼が、ひょっとすると彼女に“きっかけ”をくれた人物かもしれないのだから。
メリーシャは無意識に繋いだ片手を握りしめていた。意外にもリエルが握り返してくれて、少しだけ泣きたい気持ちになる。かつて夢見たことは、彼から始まったのかと思いたくなる。
それとも、そう思いたいだけ?
あたしが、彼を好きだから。
きっかけは――…ある人の言葉だったんです。
『どうしてその内容にしたのですか?』
『きっかけは、ある人の言葉だったんです。本当に幼いころの話で、――えっと、今よりもずっと前ってことです。誰が言ったのかはもう覚えていませんけど、世の中には薬もろくに買えない人がたくさんいるんだって、あたしに教えてくれました』
『それに心当たる人物は居るんですか? ぜひ教えてください』
『さあ……でも、とても優しい人だったなって。そんなことがあったので、あたしは魔術薬を学ぶって最初から決めてました』
『分野専攻としては前衛術が多数派だと聞いていますが、そちらを取ろうと考えたことはありましたか?』
『そうですね、前衛術専攻だと就ける職種も多いですし……でも、やっぱりこっちだなって。あたしも幸い魔術薬学が得意でしたし、それに何よりルーベル家は薬医学に長けた一族ですから』
『ルーベル家出版の薬学書は今でもベストセラーですね』
『そう言われると恥ずかしいですね。あたしの手柄じゃありませんし……でも今回の研究は、昔からずっと魔術薬学の研究に取り組んできましたから、あたしも何か貢献したいと思って。あ、論文ですけど、実際に研究したのも結論付けたのもあたしですからね。どうしても色々言われるんですけど、これだけは絶対ですから』
『ふふ、さすがは名門ルーベル家の血筋でいらっしゃいますね。小さな薬学博士にはかないません。――さて、この辺で今後の抱負をお聞かせ願えますか?』
『抱負、ですか……人をたくさん救うことです。ありとあらゆる人に、ルーベル家の魔術師として、救いの手を差し伸べることです。いずれはあたしも弟子を取ると思いますから、色んなことを教えてあげて、一緒に薬師として活動していけたらと思っています』
『そうですか、それはとても素敵な抱負ですね』
『はい。身分に分け隔てない世界を作ることが、あたしの長年の夢なんです』
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