魔塔主のお世話係
そう声をかけられるまで、フィデリス様が部屋に来たことに気づかなかった。
「どうして、フィデリス様が……?」
「俺たちが呼んだんだよ!」
「ベネを助けてほしいって。魔塔主様がダメなら、一番弟子のフィデリス様しかいないと思って」
どうやらルカとマリスが、宮廷魔法使いのフィデリス様を呼びつけたらしい。後ろには魔術師長もいる。
よく見習いのふたりの連絡で来てくれたなぁと思っていたら、フィデリス様は困った顔をして「助けはしないよ」と言った。
いやいや、何しに来たのこの人。
「助けないって、どうしてですか⁉」
「ベネの為に来てくれたんじゃないんですか!」
「妹弟子の様子を見にきただけだよ。僕はね、師匠の意に沿わないことはしない主義なんだ。魔塔のこともどうでも良いしね」
優しい笑顔なのに、出てくる言葉はひどく冷たい。
絶句するルカたちをちらりと見て、フィデリス様は「さっさと見限ったほうが良いんじゃないかな」と言う。
「あまり無理をすると死ぬよ。魔法使いだって死ぬときは死ぬからね」
師匠を呼ぼうかと、フィデリス様はわたしに問いかけた。
でもわたしはなんとか首を横に振った。もう少し、やれるところまで頑張りたい。
そのとき、魔術師がひとり、血相を変えて部屋に飛びこんできた。
「辺境に竜が再び現れました! 前回追い払った、あの竜です!」
魔術師長たちの顔が青ざめる。前回の討伐のあと、魔塔に帰ってきた彼らはボロボロだった。激しい戦いだったんだろうなと、あのときは思うだけだったけど、いまは違う。
みんな、まだ疲れが取り切れていない。こんな状態で竜に挑んで勝てるだろうか。
「フィデリス様……」
わたしがすがるように彼を見ると、兄弟子は笑顔のまま首を横に振った。
魔塔への依頼は、魔塔がどうにかしなければならない。そう言いたいんだろう。融通のきかない兄弟子め。
魔術師長が意を決した様子で「全員、出撃準備を――」と言いかけたとき。
部屋の床が青白く輝いた。
浮かび上がる魔法陣を見て、わたしはほっとして、気づけば微笑んでいた。
「魔塔主様……!」
光が収まったとき、そこに立っていたのは黒いローブを羽織り、杖を手にした師匠だった。
ひどいしかめっ面で「わずらわしい」と全身で訴えている。思わず吹き出しそうになってしまった。
「ベネ」
師匠はわたしを呼ぶと、すぐにベッドのそばまで来て、わたしの額に指を当てた。
一瞬焼けるような熱を感じたあと、急に体が軽くなったので驚いた。いままでのだるさが嘘のように、簡単に起き上がることが出来る。
「ベネ!」
「大丈夫なの⁉」
「師匠、いま何を……?」
「魔石との回路を切った。まったく、頑固な弟子だ」
あきれたように言うと、師匠は魔石の前に立ち手をかざした。
カッと目を開けていられないほどの光が放たれ、次に目を開けたとき、そこには紫の強い輝きで満ち満ちた魔石があった。
信じられない。わたしが魔力を供給し続けても、溜まることなく使われていくのみだった魔力が、この一瞬で満たされたのだ。
「あは……さすが師匠」
「……馬鹿者が」
ため息をつくと、師匠はローブを翻し、部屋を出て行こうとする。
「ま、魔塔主様! どちらへ⁉」
「辺境だ」
短く言うと、師匠はさっさと部屋を出て行ってしまった。
辺境。つまり、師匠は竜の討伐に行ってくれるのだ。
それがわかったのだろう。魔術師長は気が抜けたように、へなへなとその場に座りこんでしまう。
「ベネ。見に行ってみるかい?」
フィデリス様が、そう言って手を差し伸べてくる。
わたしは迷わずその手を取った。
辺境の草原に、竜がいた。
遠くの丘に降り立ったフィデリス様とわたし。こんなに離れているのに、竜は山のように大きく見える。
草原の地面を踏み荒らし、赤銅色の鱗が陽光に鈍く光っている。口から炎を吐くたびに、周囲は燃えて炎の海となった。
師匠は空に浮かび、竜を見下ろしていた。
竜が師匠に気づき、禍々しい口を開く。その口の中に炎の塊が見えた瞬間、師匠が竜に杖を向けた。
ただ、それだけだった。杖から放たれた光の線が、一瞬で竜の眼球から頭部を貫いたのだ。
鋭い牙も、爪も、硬そうな鱗も、まるで関係がない。圧倒的な力の差がそこにあった。
竜が崩れ落ちる。
草原に、地響きが走り、砂煙が舞った。
「相変わらず、規格外な人だなぁ」
のんびりとフィデリス様が師匠を褒め称える。
わたしはと言うと言葉を失い、しばらく動けもしなかった。
竜を一瞬で死に至らしめる実力。
あれが、伝説の原初の魔法使い、魔塔の主なんだ。
わたしたちが来ていたことに気づいていたのか、師匠がわたしたちの元まで飛んできた。
「ベネ」
師匠に呼びかけられ、ようやく「はい」と声が戻ってくる。
「帰るぞ」
帰る。そうか、帰れるんだ。
師匠の元に、帰るんだ。
「……はい、師匠」
初めて会ったあの日と同じように、わたしの差し伸べられた骨ばった手を取った。
***
魔塔に戻って三日が経つ。
わたしはすっかり調子が戻り、ルカとマリスを安心させることが出来た。
魔術師長は、魔塔の全魔術師を集め、彼らの前で「責任を取って職を辞する」と宣言した。
けれど聞きつけた師匠が現れて「引退は許可しない」と即時棄却したのだ。
珍しく人前に姿を現した魔塔主に、魔術師たちは驚きざわめき、魔術師長は「なぜです⁉」と混乱した。
それはそうだろう。自分のせいで魔塔が崩壊しかけたのだ。責任を感じる魔術師長の気持ち、わたしにはわかる。
けれど師匠は許さなかった。
「お前の研究結果を以前確認したが、面白かった」
そのひとことに、魔術師長が固まるのがわかった。
「だ、大魔法使い様が、私の研究を……?」
「私はこれまで通り、研究のためにこもる。魔塔の代表は引き続きお前に任せたい」
引退されては困る。本当に引退したいのはこちらのほうだ。
わたしにはそんな師匠の心の声が聞こえたけれど、魔術師長は感動したように全身を震わせた。
「魔塔主様が、私の研究を面白いと……」
魔術師長は涙を流しながら、ドンと胸を叩いた。
「わかりました! 続けましょうぞ! 魔術師長として、精進いたします!」
随分あっさりと翻意したのは、彼がただ、師匠に認められたかっただけだからなのかもしれない。
ちょろいなあ、魔術師長。
そう思ったのは、きっとわたしだけじゃなかっただろう。
わたしは再び最上階で、魔塔主のお世話係に戻った。
研究室の扉に触れると、今日もぎぃと音を立てて開く。
部屋の中はいつもと変わらない。薄明の中に本と羊皮紙と魔術道具。机の前に、師匠がいる。たまに奥の部屋にこもりきりになるけれど、時々一緒に霞を食べる。
掃除をして、薬草茶を用意して、補充物を確認する。そんな日常が戻っていた。
ある日の午後、研究に没頭している師匠の横顔を見ていたとき、師匠の髪が薬瓶に入りそうになっていた。
前にもこんな場面があって、そのときは手を伸ばして払われたっけ。
あのときのことははっきりと覚えている。でもあれは知らなかったからで、魔法使いの髪は魔力を溜める特別なもの、勝手に触れてはいけない。
触れてはいけない。
わかっている。だから触れない。見るたびに邪魔そうで気になるけれど、触れてはいけない。いけないのだ。
自分に言い聞かせながら別の作業に移ろうとしたとき「ベネ」と師匠がわたしを呼んだ。
「はい。何でしょう?」
「髪を結えるか」
わたしは思わず、持っていたぶ厚い魔導書をドサドサと落としてしまった。
え? いま、師匠は何て言った? 髪を、結えるかって?
「ゆ、結えるというのは……師匠の髪を、ですか?」
「ああ」
「あ、あの、でも、魔法使いの髪は……」
師匠は黙って、髪をくくる紐を差し出してきた。
それは髪紐だけど、ただの髪紐じゃない。わたしにとっては、特別な意味を持つ紐だ。
「……はい」
髪紐を受け取り、師匠の後ろに立つ。
長い髪が、肩から背中に垂れている。触れる前に、わたしは少し息を整えた。
そっと師匠の髪に触れる。ひんやりとして、滑らかで、触れた手のひらから心地よい何かが流れてくるような、不思議な感覚がした。
「何をしている。早く結え」
「は、はい! 師匠!」
丁寧に長い髪を集め、解けないよう編んで、しっかりと束ねる。
にやにやしていると、振り返った師匠に睨まれてしまった。
今、わたしは魔法使いの弟子で、魔塔主のお世話係として、この部屋にいる。
扉を開けるたびに、ここに来ていい人間だと確かめている。
髪を結わせてもらいながら、傍にいることを許されている。
胸の中にある名前のない何かが、また少し大きくなった気がした。
もう少しで言葉になりそうだけど、でも今はまだ、そのままに置いておく。
今日も魔塔の最上階は静かで、薬草茶の湯気が細く上がっていた。
長編用に考えたもので設定は色々あるのですが、がんばって短く終わらせてみました。
お付き合いいただきありがとうございました!
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