花売り姫と魔塔主
家が、ない。
いつも通り街で花を売り、仕事を終えて街はずれのスラムに戻ってくると、家が花と緑に飲みこまれていた。
「な、何これ……⁉」
わたしが生まれ育った祖母の家は、元々あちこち穴の開いた屋根に、崩れかけた壁という、いまにも倒壊しそうなボロ屋だったけど、それがいま本当に緑に飲まれ壊されそうになっている。
「おい、ベネが帰ってきたぞ!」
家の前に集まっていた近所の人たちが、わたしを見つけて「どうなってんだ!」と責め立ててきた。
「何でこんなことになってるの⁉」
「最近花が育ち過ぎじゃないかって注意したでしょっ」
「俺の家までよくわからん蔦が伸びてきてんだよ!」
「うちが壊れたらどうしてくれんの!」
大勢に囲まれ、わたしはわけがわからないまま「ごめんなさい!」と謝り、花と緑に飲みこまれた家に飛びこんだ。
驚くことに、庭だけでなく、植物たちは家の中にまで侵入していた。床も壁も天井も、様々な蔦が伸び所々花を咲かせている。
いや、何で⁉ 何がどうしてこうなった⁉
今朝までは普通の――貧しいボロ屋だった。テーブルでは質素な食事が出来て、薄いお茶も飲めた。でもいまはすべて植物に覆われてしまっている。
「わたしが花を売っている間に、一体何があったの……?」
窓から庭の様子を見ようにも、その窓も花と緑に覆われている。最近、花の成長が早いなぁとは思っていたけれど、さすがにこれは普通じゃない。
うん。普通の花は、家の中まで侵入してきたりしない。共存共栄の精神は素晴らしいけど、実際一緒に住むのはちょっと違うと思う。
外からはまだ近所の人たちの怒声が聞こえてくる。仕方ない。スラムの人たちはみんな、生きることに必死だ。自分のことだけで精一杯。そんな人たちが住むのがスラムなのだ。
わたしはまだ、この辺りの子の中では恵まれていたほうだった。父は元々いなくて、母はわたしを産むときに命を落とした。それからは花売りをしていた祖母がわたしを育ててくれた。
ここには親も祖母もいない子どもたちがたくさんいる。わたしは祖母と、雨風しのげる家があるだけマシだった。
祖母は庭で育てた花を売って生活をしていた。わたしもそれをずっと手伝っていて、去年祖母が病気で亡くなってからは、ひとりで花を売る毎日だ。
祖母が亡くなりどうなるかと思っていたけれど、わたしの花は長持ちをすると評判になった。
他の花売りの花が三日で萎れるのに、わたしの花は一週間経っても瑞々しいのだそうだ。
水の上げ方が上手いのか、何か良い肥料を使っているのでは、とよく聞かれる。そのたび「丹精込めて育立てるだけですよ~」なんて言っていたけれど、そんなわけあるか。普通に堆肥で土を作って、骨粉や灰を撒いて、あとは井戸水だ。気持ちの程度で花が育つなら肥料はいらない。
でも、花の評判が良い理由はわたし自身よくわかっていない。祖母のやり方と同じように花を育て、摘み取っているだけで、特別なことは何もしていなかった。
おかげで、余裕はないけれど、何とか食べるのには困らない生活を送れていた。それが、こんなことになるなんて。
「確かに最近、庭の様子がおかしい気はしてたけど……」
花が増えた。増えすぎた。摘んでも、次の日には倍になっている。
緑は一晩ごとに育ち、朝起きると昨日より草丈が伸びている。蔓は切っても切っても窓枠に伸びて絡みついた。
毎朝剪定しても、追いつかないほど花と緑はたくましく成長していた。「売り放題で助かるわ~」なんて、のんきなことを言っている場合じゃなかった。
「もう、何なのよこれ!」
「こんなになるまで何してたんだ!」
「迷惑だぞ、出ていけ!」
怒鳴り声がどんどん増えていく。
台所に溢れる花。寝室の天井には何かの根。それらを見て、わたしは呆然と立ち尽くした。手をつけようとしても、触れるとなぜか植物は余計に育つ。何もしなくても、ここに座りこんでいるだけで緑はどんどん増えていく。
もう、どうしよう⁉ どうしたらいい⁉
外の怒声が大きくなり、わたしは家の中でうずくまった。耳を塞いで、これが夢なら醒めてくれ! と願ったそのとき。
緑が動いた。
蔓が、根が、入口の壁から離れ始めた。花たちが、ゆっくりと退いていく。
広い空間が生まれると、そこには男の人がひとり立っていた。
細身だがけど背が高い。肩より長い癖のある黒髪を揺らし、黒い外套を纏っている。四十代くらいに見えるけれど、もっと上かもしれない。目が灰色で、底がなかった。
その人の周囲だけ、緑が除けていた。近づいてはいけないものが来た、とでもいうように。
わたしは緑の床の上で、ぽかんと口を開けてその光景を見た。
「お前が貧民街の花売り姫か」
「……え?」
何ですか、それ。
まさかそれが自分の呼び名だとは思わず、わたしは困惑する。
その男の人は真っすぐわたしの前まで来ると、底の見えない灰色の目で見降ろしてきた。
まるでわたしの全身をじっくり観察するように見たあと、その人は手を差し伸べてきた。わたしより色白で、けれどしっかりと骨ばった男の人の手だ。
「私のところに来なさい」
「い、いきなり何ですか? 来なさいってどこに……」
「魔塔だ」
わたしは「魔塔」という言葉を聞いて固まった。
魔塔。それは魔術師たちの総本山、権威の象徴、最先端の魔法の研究機関の名前だ。貧民街育ちのわたしでも、名前だけは知っている。
そう、名前だけ。魔塔なんて、遠い異国くらいわたしとは縁遠い存在だ。
「どうして、わたしを魔塔に……?」
「来るか来ないか、どちらだ」
わずらわしそうに言われ、ムッとしそうになる。
でも、外では近所の人たち怒声がまだ続いていた。花と緑は目の前の人を避けただけで、まだすくすくと育ち続けている。
どちらにせよ、ここにはいられない。
「……行きます」
「付いてきなさい」
男の人はそれだけ言って歩き始めた。
わたしは慌てて後を追いながら、彼の名前すら聞いていないことに気がついた。
「あの、あなたのお名前は?」
「アルティウォルス」
それは絵本になるほど有名な原初の魔法使い、魔塔の主の名前と同じだった。
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