イージス機関。
──とある街の区画。
「せ、先輩ッ!!」
思わず声が裏返る。
目の前では、瞳孔を限界まで見開いた拡張人間が、今にも弾けそうな気配を纏っていた。
(やば、これ…訓練の時より全然──)
すると、背後から妙に落ち着いた気配。
振り返ると、紫色の肌をした大柄な男が立っていた。
次の瞬間に低いダミ声が聞こえた。
「オイオイ、研修ン時寝てたのか?こういう時はまずデシベル下げろよ」
自分はその指摘にドキッとして、慌てて声を落とす。
「あ、ヴォルト先輩!ごめんなさいっす…!!で、でも、この状態でも本当にマニュアル通りにできるんすか?」
「とにかく、刺激せずに誘導すんだよ。少しでも自制が効く状態になれば治療まで持っていく、わかったか?」
「…ッス!」
先輩──ヴォルトが単身で前に出た。声が十分聞こえる距離まで緩慢な足取りで接近し、さらに低い声で呼びかける。
「バロン、聞こえてるか。大丈夫だ、俺たちが戻す。」
数拍遅れてから相手の瞳孔は少し縮まったが、すぐに理性を取り戻す気配はしない。
それを見たヴォルトは控えていた別の現場部隊員に合図を送る。部隊員は即座に鎮静剤が入った射撃器具を放つ用意を整え、タイミングを伺う。
「よし、鎮静入れるぞ。」
ヴォルトが二つ目の合図を送る。その瞬間に小型注射弾が放たれ、当たる。
——が、倒れない。
一瞬遅れて、暴れた。
目の前にいるヴォルトに飛びかかる。
それを躱される間に鎮静剤が効き始め、徐々に動きを重々しくさせながら、最終的には崩れ落ちた。
「ふー、あとは医療班に回す!現場部隊員は支部に戻るぞ!」
そう指示を出したヴォルトが自分に近づいてくる。
「で、どうだ。さっきの見て、やり方はわかったか?」
「……正直、さっぱりっす!」
「フッ、素直でいいこった。…ま、つまり、呼びかけで落ち着きゃそれが一番。ダメなら鎮静。現場はそれを見極めるだけだ」
「あの一瞬でっすか?!自分、さっき全然わかんなかったっすよ!先輩凄いっすね!?」
「ま、経験積みゃお前も慣れてくるだろ。そう力むなよ」
「…ウッス!」
──”E.G.I.S.”支部。
「お…?」
支部に戻ると、そこには見慣れた後ろ姿があった。珊瑚のような温かみのある色の肌に、植物のような緑のツノを持つ青年。それが荷物を抱えたまま、落ち着かない様子で立っている。
(しかも尻尾まで巻きついちゃってんじゃん。相変わらずだな…)
「知り合いか?」
ヴォルト先輩が横から覗き込む。
「そうっす!」
「なら任せるわ。俺は先行くぜ」
そう言って、先輩はさっさと奥へ消えて行った。
その人物につかつかと歩み寄る。
「エニ!久しぶりだな!」
その人物──エニは聞き覚えのあるハツラツとした声に、弾けたように振り返る。
「あ……リク。その……久しぶり」
「おーう!ってあれ、イージスに入るって言ってたの、今日だったっけ?」
「……うん、そうだよ。……えっとぉ…」
言い淀むエニ。
「……あー」
「さては、受付の人に聞くか迷ってるな?」
自分は茶目っ気のある表情を浮かべ、冗談めかして言った。
「あはは…どうやって説明すればいいのか、わかんなくて……」
彼は胸の前で自身の手を軽く握りしめた。視線はやや左下を彷徨う。
「……」
自分はその様子を見ていた。
少しして、満面の笑みを浮かべる。
「じゃあ自分と一緒に聞きに行こうぜ!」
「えっ!で、でも…君にも仕事が……」
「今休憩だからいーの!いくよ!」
なるべくゆっくり、エニの手を取る。
「あ……あり、がと…。」
エニは戸惑いを見せる。
それでも、少し──本当に少しだけ、手を握り返した。
「そんじゃ、受付はこっち!」
そう言って歩き出す。
「わわっ……ちょっと待って……」
エニは半ば引っ張られるようについていき、俯き加減で周囲をキョロキョロと見ている。
「すいませーん!」
カウンターの奥から人が顔を出す。
「今日から入るやつ、連れてきたっす!」
「……ああ、エニさんですね。お待ちしておりました」
「あ、えっと……ほ、本日から、お世話に、なります……。」
「はい。では、担当の者をお呼びします」
「お願いします……」
受付係の女性は内線電話を手に取り、向こう側の誰かに呼び出しをした。
「……リクが知ってる人かな…」
エニは言う。
「え?…まあ、自分も新人だから、保証はできないわ☆」
自分がおどけた表情を浮かべると、エニは「んふ…」としおらしく笑った。
その顔を見て続ける。
「でもさ、ここの人たちは全員優しいから!安心しなって!」
「あっはは……さっき保証できないって言ったのに、断言しちゃっていいの?」
「いーのいーの!言霊ってやつだろ!」
「……あはは、またそれ──」
その時。
「ごっほん…」
咳払いが聞こえる。
「呼ばれたんですけど?」
そう険のある口調で言い放った声は、下からだった。
視線を落とすと──そこにいた。
身長はエニの肩…よりもさらに低いだろうか。真っ白な肌に黒いスーツの拡張人間だ。
小柄なその人物は、不機嫌そうに眉を寄せた。
「で、君が担当?」
彼女はエニを見て確認をする。
「…はい……っ。本日から入ります……。エニ、です……」
気圧されて不安そうに自身の手を握るエニ。
「はあ…。僕はティモンです。人事部門に所属しています。」
「……あ、えっと──」
「いいから行きますよ。時間を無駄にしたくないんです。」
そう言って彼女は奥へ歩き出した。
エニは戸惑ったような表情を浮かべた。立ち尽くすリクの顔と、段々と遠ざかっていくティモンの小さな背中を交互に何度も見る。
「……リク…っ、ありがとね…!俺、頑張ってくるから……またね……」
「…え、ああ……頑張れよ」
自分は我に返って、一瞬言葉に詰まった。
その間にエニは荷物を持ち直し、早歩きでティモンを追いかける。
「待ってぇ……」
小さな声が、確かに聞こえた。
(……大丈夫かな、エニ)
そう思いながら自分は頭を掻き、もう遠くにいるエニに手を振って見送った。




