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ととと  作者: 紺野 睡蓮
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19話 二日酔い

 目が覚めても、しばらく起き上がれなかった。

 頭の奥が鈍く重い。ぐわんとして、それでいて浮遊感がある。

 『群星』はとても飲みやすく、するすると喉を抜けていった。思っていた以上に身体へ残っていたらしい。

 ホテルに帰ったあと、どうしたかの記憶があまりない。そのままベッドに飛び込んで、寝てしまったようだ。


 薄く開いたカーテンの向こうから朝日が差し込んでいる。

 新しい一日が始まっているというのに、頭が回り始めると昨夜の記憶が鮮明に蘇る。というよりも私の中だけがまだ昨夜に取り残されている感覚だった。

 ライブの熱気。彩子さんの言葉。

 それから凛の話。

 考えるべきことはたくさんあるはずなのに、どれも上手く形にならない。


 私は過去に縋っているのだろうか。

 私のしたいことって、何だろう。

 天井を見上げたまま考える。

 この旅の目的は父の足跡を追うことだ。

 父が何を見て、何を考え、なぜあの『拍』と手帳のメモを残したのか。

 だけど、その先は。旅が終わったら、私はどうするのだろう。

 全部なかったことにして元の生活へ戻るのだろうか。


 昨日のステージは楽しかった。脳裏にあの光景がこびりついてしまうくらいに。あの音が耳の奥で残り続けているくらいに。

 けれど、だからこそ怖かった。

 もし本気で続けたいと思ってしまったら。私はあの2人の方を向けるのだろうか。

 高校のころは、何も決められなかった。

 大学に入ったら、苦しくなって諦めて、中退して逃げ出した。

 そんな私が自分の人生を生きてきた2人の隣に立っていいのだろうか。


 その思考の輪郭は朝の光によって、朧げになる。

 ただ一つ確かなのは、まだ旅は終わっていないということだけだった。

 私は重たい身体を起こし、ゆっくりとベッドから足を下ろした。

 ふと顔を上げると、正面のソファに遥花と凛が並んで座っていた。

 2人ともスマホを眺めながら何か話していたらしい。

 私に気づくと、ほとんど同時に顔を上げる。

「あ、おはよう」

「おはようございます」

 ずいぶん普通の挨拶だった。

 昨夜あれだけ飲んだというのに、2人の顔には何事もなかったような爽やかさがある。お酒の残り香は感じられない。

「おはよう」

 私は少し掠れた声で返した。

 どうやら今回も、最後まで寝ていたのは私だったらしい。

 遥花が私の様子を見て、愉快そうに笑う。

「疲れてるね」

「うん。ていうか、そっちは大丈夫なの?」

「はい。少し飲み過ぎてしまいましたけど」

 凛はそう言ったが、そんなふうには見えない。

 服を着替え、ばっちりメイクもしていて、いつも通りといった様子だった。

「シャワー、浴びてきたら?」

「そうする」

 遥花の提案に、私は眠気眼を擦りながら頷いた。それからふらふらとシャワー室に向かった。


 ぬるめのシャワーで目を覚まし、寝癖を直して身支度を整えたあと、フロントでチェックアウトを済ませる。

 荷物をまとめてロビーを抜け、私たちはホテルを出た。

 自動ドアが開いた瞬間、ひんやりとした空気が頬を撫でた。

 山の朝は思った以上に冷たい。

 肺いっぱいに吸い込むと、昨夜の酒気が少しだけ薄れていく気がした。

 空はよく晴れていた。遠くの山並みは朝日に照らされ、霧が淡く白んでいる。

 静かな朝だった。

 鳥の鳴き声と、風で靡く葉擦れの音だけが聞こえる。

 私たちは昨夜のまま今田酒造の駐車場に置かせてもらっていた車まで歩いた。

 ボンネットには夜露が薄く降りていて、朝日を受けて細かな粒がきらきらと光っている。

 昨夜の賑わいが嘘のように、日本酒バーは静まり返っていた。その空気は滝鷺酒造のときにも感じた酒蔵の雰囲気に近しい。


 車の前まで来たところで、遥花が何かを思い付いたかのように「あ」と声を上げた。

「そうだ」

 そう言ってトランクを開き、荷物の隙間から取り出したのは、一升瓶の入った紙箱だった。

「それ滝鷺酒造のお酒?」

「せっかくだし、2人にお礼していこうよ」

「そうだね」

 私たちは顔を見合わせ、小さく頷いた。

 車も停めさせてもらい、ライブもさせてもらい、夕食をご馳走になった。

 せめてこのくらいはしなければならない。

 まだ朝早い時間だったが、私たちは蔵の母屋の方へ向かう。

 インターフォンはない。

 遥花が「すみませーん」と声をかけると、しばらくして引き戸が開いた。

「あら」

 顔を出したのは彩子さんだった。

 つなぎの作業着を着ていて、すでに仕事モードのようだ。

「どうしたの?」

「昨日はありがとうございました。お礼です」

 遥花はそう言って紙箱を差し出した。

 彩子さんは目を丸くする。

「え、いいの?」

「むしろこっちがお世話になりっぱなしだったので」

「ライブまでやらせてもらいましたし」

 彩子さんは箱のラベルを見て、嬉しそうに目を細める。

「滝鷺酒造じゃない」

 一目でピンときたらしい。さすが有名な酒造だ。

「途中で寄った酒蔵です」

「なるほどねぇ。それじゃあ、遠慮なくいただくわ」

 彩子さんは嬉しさを隠すことなく、おどけて見せる。その様子は可愛らしかった。

「こちらこそ昨日はありがとう」

 そして私たちを順番に見渡す。

「またこっちに来たら連絡してね。そのときはまた演奏してもらうし、お酒も飲んでもらうから」

「もちろんです」

 凛が似つかわしくない張り切った声で、笑って応える。

 そう答えると、彩子さんは満足そうに頷いた。

 

 私たちは頭を下げ、別れを告げる。

 車へ戻り、荷物を積み直す。

 ドアを閉める音が、朝の静けさに吸い込まれていった。

 遥花がエンジンをかけると、低い振動が車内へ広がる。

 バックミラーを覗く。蔵の前で、彩子さんが小さく手を振っていた。

 私たちもそれぞれ手を振り返す。

 やがて車が坂を下り始めると、その姿は建物の陰へ隠れて見えなくなった。

 ほんの一日しか滞在していない。

 それなのに、不思議と長く世話になった場所を離れるような気分だった。

 偶然だった出会い。遥花の言うとおり運命的なものを感じる。


「次は山口県だね」

 遥花がそう言いながら、ハンドルを握り直した。

 父の手帳に残された最後の場所。八重酒造。

 そこに『拍』はあるのだろうか。

 もしあるのなら、この旅にとってのゴールだ。

 胸の奥で小さな緊張が脈打つ。

 結局、私は何も見つけ出せていない。むしろ遠ざかっていくばかりだ。

 不安から目を背けるように、窓の外へ視線を向ける。

 流れていく山々の景色は、昨日までと変わらない。車はさらに速度を上げていく。

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