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20、虹色の瞳に映る景色

 今日は朝からいい天気だった。それもそのはずだ。


「じゃあテスト用紙隣の交換して、採点してね」


 化学のおじいちゃん先生がのんびり指示を出し、虹さんと紙を交換する。


 空欄は全部、綺麗なアルファベットで埋められていた。間違えやすいと注意されていたPdも、しっかり書かれていた。1つずつ、赤丸を付けていく。虹さんの答案に花丸を書いたのは初めてだった。


「虹さん、おめでとう」


「えっ! やった、やったぁ……!」


 小さく、そして大きく、虹さんは喜んだ。はしゃぐ虹さんは可愛い。けど俺は心から喜べなかった。ああ、嫌だ。いっぱい褒めたいのに。


「満点、満点だ……」


「そうだよ、頑張ったね」


 頑張ったんだよ、虹さん。頑張ったんだ。


「江雪さんにもお礼を言わないと……!」


 返ってきた俺の答案には、ニコニコと笑う可愛らしい花丸が描かれていた。それを、少しだけクシャクシャにしてしまった。



 ☁  ☁  ☁  ☁  ☁  ☁  ☁




「あおっち元気ないねぇ」


「1時間目からああなんだよ。これどうしたらいい?」


「1発叩いてみたら? すばるんの本気でバコーンとさ。治るかもよ」


「いっとく? せーのっ、」


「やめろ、聞こえてるから」


 ワイワイ賑やかな昼休み。今日も今日とてアマネは7組に来ていた。昴と一緒にパックジュースを飲んでいる。昴はため息をついた。


「青晴さぁ……、それ無意識なん?」


「何だよ」


「なっちゃんばっかり見てることだよ」


 ハッと顔を上げてしまった。2人は揃ってまた、深くため息をついた。


「なっちゃんの人気、ちょっとは落ち着いたけど相変わらず囲まれてるもんねー。どこにいるかすぐわかるもん」

 

 廊下から、女子特有の甲高い笑い声が聞こえる。その中心には、虹さんがいる。


「あっちゅー間に一軍女子の仲間入りだもんな。可愛いし優しいし、そりゃそうだろーけど」


「なんかなっちゃんを狙ってる男子がいっぱいいるらしいよ。でもなんか隙がないんだってさ。大体隣に誰か人がいるし、保護者がいるから。」


「過保護は嫌われるぞ、青晴ー」


 その時、誰かが悲鳴をあげた。──いや違う、悲鳴じゃないな。黄色い方か?


「江雪様ー!!」


 虹さんを囲む1人が、叫んだ。目を凝らしてよく見てみれば、嫌という程見覚えのある姿があった。


「えっ、しゅいちろ!?」


「待てアマネ。今お前が行ったら多分ややこしくなるぞ」


「ちぇっ。……ねぇ、あおっちさぁ」


 隙間から、虹さんの姿が見えた。江雪と会話してる。楽しそうに。きっと小テストの結果報告をしてるんだろう。通りすがりの誰かがこう言った。 

 

「四大美人のあの2人、付き合ってんじゃね?」


「美男美女お似合いだもんな」

 

 ──は?


 心臓が、変な音を立てた。

 

 違うってわかってる。江雪には好きな人がいる。それに、虹さんは、そんな簡単に誰かのものになったりしない。……しない、はずだ。

 

 廊下の向こうで、虹さんが笑った。江雪が何かを言っている。虹さんはうんうんと頷いている。

 

 その光景が、やけに遠かった。


「──ダメだアマネ。聞こえてねぇぞ」


「嫉妬深い男は嫌われるぞ、あおっちー」


「お前ら一旦黙ってくれない?」

 

 虹さんは、人に愛される魅力がある。もしも俺より頼りがいのある存在が現れたら、もしも虹さんが秘密をまた誰かに話してしまったら、


 ……もしも、俺が必要とされなくなったら。


「なんか知らんけど多分杞憂だと思うがね。んね、すばるん」


「ああ、俺もそう思う。めんどくさい奴だよこいつ。青晴ー?」


「……なに」


「相談ならいつでもなんでも聞くからな」


「恋バナはオレの得意分野だよ♡」


「……別に」

 

「別に、そんなんじゃない」

 

「俺はただ」

 

 一瞬、言葉が詰まる。絞り出すように言った。

 

「……保護者だから」

 

 昴とアマネが、同時にため息をついた。



 ☁  ☁  ☁  ☁  ☁  ☁  ☁




 自分が何をしたいのか、整理ができなくなってきた。どうして俺は虹さんと目が合わせられなくなってるのだろうか。


「本日の部活動はいつまでの予定でしょうか」


 虹さんが天文学室に入ってきた途端、そう尋ねてきた。


「今日は5時くらいまでかな。俺、病院あるから少し早めに帰りたくて」


「了解です。1年生の皆さんは課外講習に行っているようですし、来客の予定もない。久々に静かな日ですね」


「確かに。望遠鏡のメンテも終わってるし、特にやることないんだよなぁ。今日は休みでもいいのかも」


「……そう、ですか。あの、青晴さん」


「どうした、の」


 虹さんはズイと顔を近づけてきた。一瞬目が合って、つい反射的に逸らしてしまった。


「やっぱり、今日の青晴さんおかしいです」


「え、そう……?」


「目が合わないです」


「気のせいじゃないかなぁ……」


 ふと窓の外を見る。さっきまで青かった空に、薄い雲が流れ込んでいた。

 

 こめかみが、じわりと痛んだ。

 

「……大丈夫ですか?」

 

 虹さんの声が、少しだけ硬い。


「大丈夫大丈夫。虹さん、なんなら今日早めに帰ってもいいよ。暇だし」


 どうして俺は、虹さんを避けようとしてるんだ?


「いえ、ここで勉強していきたいです。明日、数学βの授業で当てられる予定があるので、予習を」


「そっか、偉いね」


「……帰って、欲しいんですか」


 一瞬、言葉の意味が分からなかった。

 

「え?」

 

「私が、ここにいると」

 

 虹さんは、笑っている。でも、目だけが笑っていなかった。

 

「……邪魔ですか?」

 

 ズキ、とこめかみが脈打った。

 

 違う。そんなわけない。でも、言葉が、喉で絡まる。

 

 どうしてだ。どうして目を見られない。

 

 虹さんは、まだ笑っている。その笑顔が、少しずつ、ほどけていく。

 

「……私、なにかしましたか」

 

 静かな口調だった。だから、窓の外で、風が鳴った音がよく聞こえた。白い雲が、重なっていくのが見えた。

 

 胸の奥が、きゅう、と締め付けられて、してないって言うつもりだったのが、また遅れた。


 虹さんの指が、ぎゅっとスカートの裾を握る。

 

「……目、合わせてください」

 

 できない。できない。怖い。


 ──そっか、俺は今の俺を見て欲しくないんだ。独占欲に支配されて、勝手に嫉妬して、醜い今の俺を。

 

 遠くで、低く、空が唸った。

 

 次の瞬間。黒い空に閃光が走った。

 

部室の窓が、真っ白に染まる。遅れて、爆ぜるような雷鳴が轟いて、

 

「青晴さんのっ、ばかーーーーっ!!」

 

 虹さんの叫びは、雷と重なって、震えた。それは怒りというより、泣き声に近かった。


「な、虹さん?」


 思わず虹さんの顔を見た。虹さんは、息を荒くして立っていて、目の端が、赤かった。


「青晴さんいっつもそうじゃないですか! 1番最初のあの時も、体調悪いの隠して倒れたじゃないですか!私、青晴さんのその頭痛持ちをあなた本人から聞いてないの知ってましたか!? 昴さんから間接的に教えて頂いたんですよ!? なんで隠してるんですか!? なんで私に何にも言ってくれないんですか!? なんなんですか!?」


 虹さんは捲し立てる。ぐしゃぐしゃに泣きながら、しゃくりを上げながら、一生懸命話してくれた。


「私ばっかり迷惑かけて、フェアじゃないじゃないですか! 私だって、私だって……!」


 迷惑かけられる側になりたいのに。虹さんはそう呟いた。


 虹さんの肩が、小刻みに震えている。雷鳴はまだ遠くで唸っているのに、部室の中だけが、やけに静かだった。

 

「……ごめん」

 

 やっと、それだけが出た。違う。本当はそれだけじゃない。

 

「ごめん、虹さん」

 

 ちゃんと、顔を見た。泣いている顔。怒っている顔。寂しかった顔。

 

 全部、ちゃんと俺を見ていてくれてたのに。

 

 一度、息を吸う。頭よりも、喉が痛かった。

 

「俺、怖かったんだ」

 

 虹さんの目が、揺れる。

 

「虹さんが、どんどん人気者になって。俺より頼れる人なんていくらでもいて。……もし、俺がいらなくなったらって、思った」

 

 言ってしまった。ずっと、飲み込んでたこと。

 

「だから、かっこ悪いところ見せたくなかった。嫉妬も、独占欲も、バレたくなかった。その結果傷つけてしまった。本当に、ごめん」

 

 自分で言ってて、情けなくなる。下げた頭を上げられなかった。


「……なんだ、そんなことだったんですか?」


「え?」


 素っ頓狂な声が出て、顔を上げたらそこには呆れた表情をした虹さんがいた。


「あなたが、青晴さんがいらなくなることなんて絶対に絶対にぜっっったいに有り得ないです。だって、私にカレーパンの味も、いちごミルクの味も教えてくれたのはあなただって事実は変わらない……沢山沢山最初に教えてくれたのは、全部あなたじゃないですか。なんで忘れちゃったんですか。あなたは私の恩人なんですよ。私の本名も、知ってるのはあなただけなんですよ」


「……そっか、そうだ。そうだったね。俺って、本当に馬鹿だね」


「仰る通りです。もう二度と忘れないでください。あと、もう二度と、私から目を逸らさないでください」


 虹さんは、涙の跡を指先で拭ってから、小さく鼻をすすった。それから、ほんの少しだけ視線を落として。……もじ、とスカートの裾を握り直す。そして、ふわっと笑った。虹色の瞳の中に俺がいるのがハッキリ見えた。


「あと、それとなんですけど……やっぱり、私、あなたにお勉強を教わりたいです。江雪さんの教え方、分かりやすいんですけど……なんかこう、圧がありまして、質問しにくくて……」


 青晴さんは、私のことを出来損ない扱いしないから。虹さんはそう付け足した。


「……はは、あははっ!」


 気づいたら笑ってた。俺は本当に大馬鹿者だ。虹さんはこんなにも俺を信頼してくれていたのに。俺は、虹さんのことを信頼しきれていなかった。


「ねぇ、虹さん」


「はい、なんでしょう!」


 この人に知って欲しい、俺の事。


「俺の話、少し聞いてくれるかな」

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