第54話 エピローグ
夕刻の音楽室。
斜めの光の射し込む窓からは、カーテンを揺らす優しい風が時折舞い込んでくる。
部活終了の予鈴が鳴って、教室にいたコーラス部の生徒たちは帰っていった。
静けさを取り戻した教室で、私はキラキラと遠くで波打つモノトーンの海に目を向ける。
「ふー」
なんだか不思議な気分だ。
かつて三年間通った学び舎で、自分が音楽の教師をしているなんて。
教師になってまだ二か月足らず。
未だに先生と呼ばれることに対して実感が無い。
「なんだかここにいると、まだあの頃のままみたいな気がする」
白くて古い校舎、放送用のスピーカーからは相変わらず酷いノイズが聴こえてくる。
そんな時が止まったかのような風ノ巻中学で、私は赴任早々、コーラス部の顧問をさせられることになった。
そしてもう一つ、昨年結婚退職した養護教諭、大江律子先生の代わりに私がボランティアサークルの顧問を引き継ぐこととなった。
退職後も律子先生からはちょくちょく連絡があり、近況を伝えたりしている。
「ボランティアサークルを頼んだわよ」
律子先生は私と唄子が立ち上げた部活の顧問を、ずっと続けてくれた。
律子先生からバトンを受け取った私は、律子先生の様に上手くやっていけるか不安を感じながら、二つの部活の顧問を手探りでがんばっている。
瑞希先輩とこの葉先輩は大学卒業後、本州で各々福祉関係の仕事に就き、長い間ボランティア活動に関わってくれた後輩のミャー子と節子は進学し、今は東京の大学に通っている。
結局地元に残ったのは私だけとなり、実は少し心細い。
あの子がいてくれたならな。
私は時々考える。
いつも傍にいた、あの頑固者で負けず嫌いのカラフルな相棒を。
あのコンサート以降、私と唄子の間に起こった奇跡は完全に消滅してしまった。
観客全員が総立ちで喝采を送った二人の少女は、あれ以降もう二度と舞台に立つことはなかった。
今思えば、あの時に起こった最後の奇跡は、消えかけた蝋燭が見せた最後の眩い光だったのかも知れない。
一瞬の輝きであったけれど、それは私の中で今も鮮明に残っている。
鳴りやまない拍手の中で、子供の様に笑っていた彼女の姿を、私は一生忘れないだろう。
「さあ、そろそろ教室閉めないと」
遠い異国へ旅立っていた少女は、今も私の中でカラフルに色づいている。
あれから一度も会っていないせいで、私の中の唄子はカラフルな少女のままだ。
少し風の強くなって来た西側の窓を閉めようとした時だった。
「志藤先生、ボランティア部終わりました」
「ああ、ご苦労様」
部室を閉めたボランティア部の部長が、私のもとへと鍵を戻しに来たのだ。
私は窓を閉めようとしていた手を止めて、入り口に佇むおかっぱの少女に歩み寄る。
「先生、あの、先生にお客様らしき人が来てまして……」
「お客様らしき人?」
どうも歯切れの悪い少女のもの言いに、私は首をかしげるしかない。
「その、ちょっと私じゃ上手コミュニケーションが取れなくって」
「どういう意味? ややこしい人とか?」
「いえ、そうじゃなくって、まだ私、手話を覚えたてなので、ここへ連れて来るのがやっとだったんです」
その言葉で私はハッとなった。
そして、おかっぱの少女は、少しやりにくそうに教室の外で控えているであろうすりガラスに映る人影を手招きした。
教室に入って来た黒髪の人物。
艶のあるストレートヘアを後ろで括ったその姿に、私は一瞬言葉を失った。
「唄子……」
モノトーンの光の中ではにかんだような笑顔を見せたのは、紛れもない彼女だった。
「ありがとう。気を付けて帰りなさい」
私は女生徒から鍵を受け取って帰宅を促すと、そのまま唄子に駆け寄った。
「久しぶりだね」
手話でそう伝えてきた唄子に、私は涙腺が緩むのを感じた。
「うん。元気だった?」
「うん。元気だったよ。彩夏は?」
「私も元気だったよ」
当たり障りのない挨拶を済ませたあと、私たちは手話でたくさん話をした。
唄子は遠く離れた異国でたくさん福祉の勉強をして、経験を積んだことを熱く語り、私は先輩から引き継いだボランティア部を頑張りながら教師になったことを唄子に手話で話し聞かせた。
「手話上手くなったね」
「まあね。あんたが行った後、猛勉強したのよ」
唄子が行ってしまったあと、美津江さんは私にたくさんのことを教えてくれた。
唄子が旅立つとき、美津江さんはお嬢様にはもっといろいろしてあげたかったと唄子に言ったらしい。
美津江さんからそんな言葉をもらった唄子は、私にくれようとしたものを彩夏にしてあげてと残していったのだと後で聞かされた。
美津江さんは高校三年間、無償で家庭教師を定期的に引き受けてくれ、私はその恩恵を受けて進学し、教師になった。
親友の残していったひと言が、私の未来を切り拓いてくれたと言ってもきっと過言では無いのだろう。
「ねえ、山田君とはどうなの?」
器用に微妙なことを手話で聴いてきた唄子に、私はへへへと笑い返す。
「まあ、その……この間、結婚を前提にお付き合いしてとか言われちゃってさ……」
「ホント!? で、返事は!」
「いや、教師になったばっかりだし、結婚なんてまだ考えてないって言うか」
「でも、いつかは彼と結婚するんでしょ」
「まあ、そんな感じかな……ってなによ、唄子の方はどうなのよ」
そんな感じで談笑しているうちに、ノイズ混じりのチャイムが鳴った。
「あ、完全下校のチャイムだ。そろそろ私たちも教室を出ないと……」
席を立った私の手に唄子は手を伸ばす。
久しぶりに触れ合った手の感触。
私はその感触を確かに覚えていた。
しかし、あの時に起こった奇跡はもう起こらなかった。
「一曲弾いてくれない? あの頃みたいに」
手を合わしてせがまれた私は、少し時間を気にしながらピアノの前に座った。
鍵盤に指をかけた私の肩に唄子はそっと手を置く。
こうしているとまるであの日に帰ったみたいだ。
胸の奥に寂寥を感じつつ、私は懐かしい合唱曲を弾き始めた。
上達したピアノを唄子に聴いて欲しいな。
モノクロの世界で、この曲は君には届かないのだろう。
それでも感じて欲しい。
二人で過ごしたあの日々を。
私は伴奏しながらあの懐かしい歌を歌い出す。
空にひかる星を 君とかぞえた夜
あの日も 今日のような風が吹いていた
あれから いくつもの季節こえて 時を過ごし
それでも あの想いを ずっと忘れることはない
大切なものに 気づかないぼくがいた
今 胸の中にある あたたかい この気持ち
こうして肩に置かれた手の感じ、まるであの日のようだ。
振り返ればそこに、少女の頃の君がいる気がする。
この音を、この気持ちを君に届けたい。
そう強く願った。
……この感覚は……
奇跡はそれを望む者の前に現れる。
白くてただ眩しかっただけの音楽室が、鮮やかな色に彩られていくその奇跡を、いま私は再び目にしていた。
その美しいオレンジ色は、かつて二人で見たあの海の輝きのようだった。
スッ
息を吸い込む音のあと、君は歌い出す。
あの日聴いた懐かしい歌声で。
そして私も歌い出すんだ。
カラフルな君と、もう一度。
―――完―――
ご読了頂きありがとうございました。
また、随分と長い物語にお付き合いくださった皆様に感謝申し上げます。
「カラフルな君ともう一度」という物語は、思春期の少女が持つ不安定な揺らぎの様なものを、奇跡に遭遇した少女の視点を通して描いた作品となりました。
色と音の違いは有れど、同時に奇跡に出会ってしまった二人は、その特殊な関係性から深い信頼関係と友情を育みます。
どこか生き急いでいる様な、全てのものに前向きな鳴瀬唄子と、なんとなく流されてしまいがちな志藤彩夏。突進する機関車とあまり役に立たないブレーキの様な二人の関係は、紆余曲折しながらも互いを成長させていきます。
そしてそれは、なりゆきでボランティア部を立ち上げたことにより一層加速していくのです。
物語の終盤、奇跡の喪失と共に彩夏は本当の意味で唄子の大切さに気付きます。日常的な奇跡に彩られて気付けなかった大切なものを、彩夏は守ろうとして走り出すのです。
そして、色覚を喪失してしまった少女は、その時とても美しい色に輝いていたのだと私は思います。
では、この辺でお別れを。
ボランティア部の部室で賑やかにおしゃべりをする少女たちを思い描きながら。
感謝を込めて。
ひなたひより




