44.ロマの微睡
目をうっすらと開くと、彼と友の穏やかな寝顔が見える。どうやら少しばかり早く目が覚めたようだ。鐘の時間までは微睡ながらこの贅沢な時間を享受しよう。
このボクにこのような幸せが訪れるとは想像もしなかった。何物にも代え難い愛しき時間である。
「ぅうん…えへへ…」
ニア君は何やら幸せな夢を見ているのだろう。もしかすると夢の中で昨夜の続きをしているのだろうか…とてもじゃないが二人の夜のタフネスについていけない。ニア君の特異性の一つである。
探索者として長く活動してきたボクは後衛とはいえ体力には自信がある。それこそ精神力なら前衛にも引けは取るまい。装備品に加えて荷物を背負い、一日歩き詰めでも問題ないし、パフォーマンスを大きく落とさずに数日間眠らずに活動することだって可能だ。
普通に考えて、ニア君がボクよりも身体能力に優れることはあり得ない。しかし、この差はなんだ。慣れ、というのもあるかもしれないが、ボクがもっと慣れたとしても彼女のように無尽蔵になるとは思えない。
そもそもだ、慣れると楽になるというわけでもないのである。彼らとの経験上、一度目よりも二度目、二度目よりも三度目の方がより強くそういったものを感じてしまう。こちらの許容量が圧倒的に増えでもしない限り、おのずと限界は決まってきてしまう。
ニア君とて何度も意識を失うほどには消耗しているはずなのだ。仮に回復力がボクよりも優れているとして、ドワーフとも張り合う程の体力お化けの彼に勝る程…?冗談だろう。
やはり人とはどこか作りが違うと結論付ける。日常生活において余りにも人と同じ振る舞いをするので勘違いしてしまっているのだ。だからといってこれまでの付き合い方を変える必要性は見当たらない。観察を続けて適切に対応していくだけで良い。
彼女に対しては彼との生活に後から割り込んでしまったという負い目がある。それに加えて彼女が彼女らしくあるのであれば、どうあろうとも肩を持ってやりたいと思うほどには親愛の情も芽生えているのだ。
彼の体に顔を近づけてゆっくりと息を吸い込み、ぼんやりとニア君の特異性を思い浮かべた。
まずは何と言っても黒い翼の具現化。夢を除けば一度しかお目にかかれていないが、あの時にもっと良く観察しておくべきだった。当時は色々と余裕が無く、やむを得なかったが、これほどレアケースなのであればやはり惜しかったという思いはある。
化け物を除いて、獣人を含めた人型有翼種の観察例はないと言っていい。どれもが眉唾物の逸話ばかりだ。神話やおとぎ話の登場人物は気軽に備えているが、実際に目にした者はいないだろう。
あまりにも印象的だったからか、ボクの夢の中のニア君にはよく翼が生えている。さらには尻尾のおまけつきだ。ボク自身、何から連想してそうなっているのか理解が及ばない。そして、その夢の中で性に奔放に振舞う彼女を見て、ひどく自己嫌悪したものだ。
その後の様子を見る限りでは彼限定ではあるものの、全くの見当外れではなかったと知って少し気が楽になったことはボクの胸に秘めておこうと思う。
二つ目に我々を結ぶ魔力経路。あれから意識して観察を続けているが、普段大きな変化は見られない。しかし、明らかに変わる場面があった。口に出すのは憚られるが、主に夜。直近では昼から昨夜にかけて。
それは他に類を見ないユニークな挙動であり、魔力が一方向に移動するのではなく、双方向に行き来しているように見えた。まるで循環しているかのようだ。あまりにも常識を外れた挙動のため、どう捉えてよいものか判断に迷う。知る限り前例などないし、研究をしようにも共同研究は絶望的だ。
学会で≪性交時における男女間のユニークな魔力移動について≫発表したら、ボクは気が触れたと判断されるであろうことは想像に難くない。
仮に他の誰かがそれを発表したら、当然ながらボクはその者の気が触れたと判断するし、他の者も同様だろう。即追放は免れない。
地道に観察を続けていきたいとは思うが、いざその時になって自分が愛される番に冷静に観察する余裕などなく、なかなかに難儀しそうな見通しだ。
三つめは変化する瞳。普段は美しい青緑色をしているのだが、そういったことをする時には決まって緋色に染まる。気が高ぶった時に変化していると見受けられるが、瞳の変化自体は魔術を取り扱うものにとっては珍しいものではない。
瞳を媒介して発動する魔術は往々にして発動時に術者の瞳が変化する。色が変わるどころか発光するものもあるので、それらに比べれば地味であるが、彼女の場合は変化が長時間に亘る点と、魔術を発動している様子が見られない点が腑に落ちない。
あの瞳に射抜かれ、ワインを経口摂取した時に彼もボクも「その気」になった。しかし、精神汚染を含めた干渉は無かったと断言する。
仮にニア君がサモンマジックの目指す頂の一つである完全召喚に近い存在でも、ボク相手に魔術干渉を仕掛けて悟らせないのは不可能だ。万が一そんなことが可能だとすれば、現時点において人知を超えた存在と言える。
そういえば彼との接触時も「その気」になってしまうが、これは判断に迷う。俗な書籍にて、好む異性との行為は天にも昇る気持ちと表現されることは良くあるようだ。学術的な裏付けこそないものの、経験上一理あると認めざるを得ない。
思考が逸れた。
しかし干渉か…いや、まてよ。対象の抵抗に関係しない干渉があった。そう、祝福や強化だとしたらどうだろう。
思い付きはしたものの、あまりの馬鹿らしさに笑ってしまう。一体何を祝福しているのだ「産めよ、増やせよ、地に満ちよ」とでも言うのか?いよいよ神話めいてきた。
もう一度彼の空気を胸いっぱいに吸い込んで目を閉じる。
ああ、こんなにも心地が良いのだ。鐘撞人も少しばかり寝過ごして、鐘を鳴らす時間を遅らせてくれないものだろうか。




