36.迫る冬
遠くで鐘の音が聞こえる気がする。
顔に感じる部屋の空気はひんやりとしており、そのせいか両脇の柔らかくて暖かい感触がひどく心地よい。たまには二度寝もいいだろう、俺は再度意識を手放した。
ノックの音と共にサーシャの声が聞こえる。
「旦那様?お目覚めでしょうか」
血が凍り付いた。一気に覚醒し目を開くと、両隣にはあられもない姿のニアとロマがこちらに抱き着くようにして寝息を立てている。
どうする、どうしよう。
焦りすぎて考えがまとまらない。相棒はいち早く立ち直ったようだ。お前…こんな状況でホント凄いよ、もうお前がどうするか考えてくれ…いや、お前は俺以上にへっぽこ頭脳だ。やはり俺がやらなくてはならないのだ。
とにかく時間を稼ぐためにサーシャに少し待ってくれるように答えて、着るものを求めでベッドから這い出すべく二人を起こす。
「ん…またですか?えへへ、いいですよ…」
「うぅん。すまない…もうちょっとだけ休ませて欲しいんだ…お腹も空いたよ…」
冷えた血と沸騰しそうな血がぶつかり合って頭がおかしくなってしまいそうだが、必死にサーシャが来たことを知らせる。
「…どうしましょう。あ、お主人様おはようございます」
ニアは意外と余裕あるな…?こちらもおはようと返せば不思議と少し気持ちに余裕が生まれた。ロマは反応が無い。再び寝てしまったのだろう。これは、俺がどうするか考える必要がある。覚悟を決めてニアと共にベッドから出て彼女に服を…服を…服が無い。
思い起こせば、昨日は風呂場から自室へと直行したのだ…
仕方なくニアには俺のシャツを着せ、俺も適当な服装に着替える。ロマは…寝かせておこう。
「えへへ、この服を着ていると最初の頃を思い出しますね」
ニアはそう言いながら手際よく部屋の窓を開けていく。
俺も負けていられない。覚悟を決めて部屋を出てサーシャと対面し、おはようと声をかける。
「おはようございます旦那様。ゆっくりお休みのご様子でしたので、お部屋の掃除は後回しにしておりました。まもなく昼食の準備が整いますのでお呼びした次第です。先にお体をお拭きになりますか?絞った布をお持ちしております」
流石サーシャ、できる女である。俺が何をやっていたかはお見通しというわけだ…冷静に対応していただき感謝です。しかし昼まで寝こけてしまうとは…俺はいつまでやっていたんだ、安息日を超過してしまっているぞ…
「おは、こんにちは、サーシャさん。ごめんなさい、遅くなってしまって。お手伝いしますね」
「ごきげんよう、お嬢様。もっとゆっくりされていても大丈夫ですよ」
ニアはあっさりと日常に溶け込んだようだ。ニアとの関係はサーシャも知っているところだし、こんなにビクビクすることはなかったのか。恥ずかしがっているよりは堂々としていた方がマシかもしれない。
「ところで旦那様。ロマ様のお姿が見えませんがお出かけでしょうか。ああ、もちろん昼食は三名分ご用意してありますのでご心配なさらず」
ロマは俺の部屋でまだ寝ているから、昼食が出来上がるまでもう少しだけ寝かせてあげて欲しい、昼食の時には俺が声をかけるから気にしないでおいてくれと伝える。
「…ロマ様にも手を出されたのですか?」
あ。サーシャにはロマを客人としてしばらくの間迎え入れると言っていただけであった…最初にロマが家に来た時に大変なことになったせいですっかりと頭から抜け落ちてしまっていた。
でも大丈夫、ロマとも婚姻関係だからと言おうとして顔を上げると、絶対零度の瞳と目が合い、俺は静かに床へと視線を落とした。
「まだ一週間ですよ、お嬢様は…いえ、失礼しました。後でお話を伺います。これでお体をお清めください、お嬢様には別にお渡ししておきます。ロマ様には旦那様からお渡しください」
俯いたまま礼を言い、絞った布を受け取る。目線は上げられなかった、もう一度あの目を見たら絶命する恐れもある。
そのまま反転し、自室へと戻り体を拭き清めた。
ロマを見れば物音に反応してもぞもぞと体を動かしている。そろそろ目覚めそうな気配だ。その蠱惑的な動きを極力見ないようにしつつ、もうすぐ昼食であることを伝えて布を手渡す。
「う…ん、おはよう?ああ、ありがとう。いやはや…何というか…一度肌を重ねても気恥しいものだねえ。いや、一度でもないか…」
ぐおっ、視覚的な暴力がすさまじい。気だるげに体をぬぐうロマを直視できずに相棒と共に背中を向けてしばし待つことにする。
「すまないが、何か着るものを持ってきてくれないかな。サーシャ君が来ているのだろう、同性とはいえ肌を晒すのは気が進まないよ」
そうだ、俺は何をぼーっとしているのだ、馬鹿が。背中越しにロマの体を拭く音を集中して聞いている場合ではない。こんなだからサーシャに蔑まれたような目で見られるのだ。
「ご主人様、お昼の準備ができましたよ。あとロマさんの着替えを持ってきました。もう起きていますか?」
「ニア君、ありがとう。もう起きているよ、入ってきてもらえるかな」
ニアと入れ替わるようにして退出する。着替えを覗くわけにもいくまい。
しかし、部屋から出たのはいいが、相棒が落ち着きを見せるまではここを動けないなと、自分の中でサーシャと顔を合わせるまでの時間稼ぎの言い訳をしていると、恐ろしいまでの速度で相棒は正気を取り戻した。なんでだよ…
俺一人で行くのか…いや、相棒。お前も一蓮托生だ。
足を引きずるようにしてリビングへと向かう。さながら死刑囚の足取りであった。
「旦那様、どうぞ掛けてお待ちください。皆さまがお揃いになってからお食事にしましょう」
椅子を引いてもらうのも気まずいなんてものではない。座った瞬間に首を刎ねられそうな気分である。なんとか絞り出すように礼を言って席に着いた。頼む、二人とも早く来てくれ…
§
「ふぅむ。やはりサーシャ君のごはんも美味しいねえ。これはニア君を褒めるべきか、サーシャ君の手腕をこそ褒めるべきか」
「お褒め頂き感謝します。お嬢様の成長には驚かされました。ロマ様もお嬢様の自習を手伝っていると聞いておりますよ、お嬢様は凄いでしょう」
「うーん、ボクの方は教え始まったばかりだからねえ、まだ何とも。しかし、聞けば加減算すらままならなかったそうじゃないか。それをこの短期間でとはニア君の才覚もあると思うけれど、サーシャ君の教え方が良かったのではないかな。ボクはそっちに興味があるよ」
意外にも先生同士のお話に花が咲いたようである。ちょくちょく二人に褒められるニアは少し居心地が悪そうにしながらも、終始はにかんでいて可愛かった。俺?会話に混ざれるわけがない。
食後にサーシャから声をかけられて胃がキュッと絞まる。お説教の時間だ…
「あ、サーシャ君。ボクから先に説明したいことがあるのだよ、ニア君と三人で話そう」
助かったと思う反面、二人に面倒事を押し付けてしまったような後ろ暗さがある。俺も同席した方がいいのではないだろうか、それともドアの前に控えていようか。
「キミの前で話せない話題ではないのだが…ボクも恥ずかしいのさ、わかっておくれ」
「ご主人様、大丈夫ですよ。私たちに任せてください」
情けないが、ここは二人に任せた。一つ頷き、三人を部屋に見送る。
クソ、うまく立ち回ることができない己に腹が立つ。俺は迷わずそのまま庭に出た、猛烈に体を動かしたい気分だ。
荒々しく魔力を活性化させて、一気に練り上げ剣に纏わせる。
愛剣は魔力に共鳴し、甲高い音を立てながら暗い燐光を放つ。
音がひときわ高くなった時に剣を鋭く切り上げれば、独特の高音と共に大きな三日月が空中に描かれた。
「旦那様、あまり驚かさんでくだされ。どうされました、そんなに荒れて」
サムがこちらを唖然として見つめている。意図せず彼を驚かせてしまったことに謝罪をする。しかし、このまま感情のままに剣を振っても同じことの繰り返しになってしまいそうだ。
「何かありましたかな、儂で良ければ仕事のついでに話ぐらいは聞きますぞ」
相談にも乗って欲しいし、体も動かしたいので薪割りを手伝わせてくれないだろうか。最近は薪の消費も激しい上、冬も目前であるので割りすぎて困るという事はないだろう。
「はっはっは、そりゃあいい。話を聞くだけで旦那様をこき使えるとは。こんなにおいしい依頼なら現役中でも飛びつきますわい」
サムに教わりながら薪を割る。黙々と作業しつつ、どう話を切り出していいか悩んでいた。彼が玉切りの丸太を設置し、俺が斧を振るう。徐々にこのやり取りに慣れるにつれて俺の口も動き出す。
そうだ、ロマとの事なんてどうせすぐにバレるのだ。男同士で年が離れていることも話しやすさを助長させてくれる。気づけば俺はここ最近の己の不甲斐なさぶちまけていた。
「ふーむ、旦那様が気に病む理由が儂にはちと分かりかねますな。ニア嬢もロマ嬢も納得の上でしょうに」
それはそうであるが、なんというか不誠実な感じがして二人に申し訳ない気持ちもある。かといってどちらかを選ぶなんてこともできそうもない優柔不断さがなんとも歯がゆいのだ。
「何をおっしゃいますやら。どちらかを選ぶ必要なんてないでしょう。旦那様はどちらも選んだ、だからお二人と婚姻したんでしょう。制度上許されていて、遊びじゃない。二人を養っていけるだけの金もある。何の問題があるかさっぱりですな。ああ、しかし一週間というのはちと我慢が足りんかと」
そう大きく笑われる。話したことで気分は落ち着いたが、すこしやり返したくなって自分が若いころはどうだったのかと聞いてみる。
「儂ですか?儂は昔から嫁一筋ですな」
くそう、かっこいいじゃないか。
「なんにせよ、よく皆で話し合う事です。パーティもそうだったでしょう。もうじき冬が来る、寒くなれば自然と人肌恋しくなるものです。若いころは火遊びに夢中になるのも仕方がないことかもしれませんが、暖炉の前でゆっくりと話し合うのも家庭円満の秘訣ですぞ」




