33.洗濯日和
パチリと目が覚める。朝の鐘より前だろうか。
何かしらの夢を見ていた気がするが思い出せない。いつもの淫らな夢を見なかったのであれば、一人で寝るのは効果的かもしれない。
昨日不具合を起こしていた相棒の様子を伺おうと思ったときに、下半身にひどい不快感を覚えた。なんだ、冷たいような…恐る恐る下半身を触ると下着が濡れている。
嘘だろう、三十超えておねしょとか…ええ、マジか。え?どうしよう。
シーツをめくると最近嗅ぎ慣れた匂いがする。いや、勘弁してくれよ…生まれて初めてだが、夢精ってやつか…
俺は魔力を練って停滞した世界に逃げ込んだ。
逃げたはいいが、このままでは状況は好転しない。まずはどうするべきか方針を決めよう。
…あまりにも格好が悪すぎる。こんなこと言えるわけがない、証拠隠滅一択だ。
パンツごと消し飛ばして無かったことにしたいが、当然ロマには頼めない。攻撃魔術の組み込まれた魔道具は持ち合わせていない。ポピュラーなマジックリングを買ってくるには時間がかかりすぎだし、発動音が大きすぎる。それに消し飛ばしたとしたらパンツが一枚消えたことにサーシャやニアが気づく恐れもある。
…こっそりと抜け出して外の洗い場で洗った上で、何食わぬ顔で洗濯用のタライに混ぜてしまうというのはどうだ。これはいい案かもしれない。抜け出すときには周囲の様子を探るために身体強化を縛る必要があるだろう。理由としては魔力感知に優れるロマに逆に気づかれてしまうからだ。
ロマに悟られる危険性に気づくと同時に魔力を霧散させる。頼む、気づかないでくれ。
祈りながらもそそくさとパンツを脱いで履き替える。事は一刻を争う、万が一こんな状態で二人と鉢合わせてみろ、昨日の今日でなんて言い訳をする気だ?いきなり家庭内別居の危機だぞ。
パンツを手に自室のドアから恐る恐る外の様子を伺う。早く目が覚めたおかげだろう、二人の姿は見えない。チャンスだ、気配を可能な限り殺しつつ移動を開始する。なぜ俺はスカウト技能を体得していなかったのだ…
一人丸腰でダンジョンに潜ったとしたらこんな感じだろうか…ひどい恐怖と不安に苛まれながらも、俺は誰にも見つからずに庭に出ることができた。
庭の井戸がここまで頼もしく見えるとは、思わず駆け寄って抱きしめたくなるような気持ちを押さえつけ、水を汲んでパンツを洗う。自分の物とはいえ直接手で洗うことに多少思うところはあるが、こんなことで証拠隠滅が叶うのであれば小さすぎる抵抗感であった。
ざぶざぶと汚れを落とし、洗濯用のタライを覗き見るといくつかの洗濯物が入っている。
しめた!俺は頭が回っていなかったが、タライが空っぽの可能性もあった。その中に俺のパンツだけがぽつんとあったら不自然すぎる。ある程度冷静になって考えると、他の洗濯物も持ってきていれば万が一鉢合わせたとしても洗濯物を出すついでにといった言い訳も立っていたはずである。何にせよ危ないところであった。
朝の鐘の音が響く。ほっと胸を撫で下ろし、自室に戻ろうと振り返る。
いつからそこにいたのだろうか、少し離れたニアと目が合った。
心臓が口から飛び出すかと思う程に跳ねる。反射的に魔力を練って停滞した世界に逃げなかった自分を褒めてあげたい。
「お、おはようございますご主人様。今日は、えっと、お早いですね」
大丈夫だ、落ち着け。声が裏返りながらも挨拶を返す。タライのパンツは湿っているが、多分バレやしないだろう、バレないよな?せめてカモフラージュのためにタライの中の洗濯物をもっと増やしておきたい。
いっそこれからは洗濯を俺がやると申し出るか、そうだ、それがいい。どうせ俺は暇なのだ、洗濯は体力もいるだろうし、俺が手伝うには最適だろう。
「えっ!いえ、だ、大丈夫ですよ?お洗濯は、その、私の仕事ですし、それに…えっと…そう!ロマさん!ロマさんの洗い物もこれからは出てきますし、私の方がロマさんも安心かな…っ、いえ!ご主人様を疑うとかそういう話ではなくてですね、その、慣れるまではってことです!」
すごい勢いで拒否されてしまった。
確かにニアの目の前でロマに粗相をしてしまった俺である。その衣服を洗濯させる役割を任せるにあたり、昨日の今日では信頼度が足りないだろう。ここは大人しく引き下がるが、せめて、自室にある服とかの洗濯物を追加してもいいだろうか。そろそろ冬になるし、着なくなるような夏服とかをしまう前に洗っておくとか…どうだろうか。
「いいですね、いっぱい持ってきてください!今日はお洗濯日和ですし、私頑張っちゃうぞー!なんて、えへへ」
通った!俺は急いで自室へと向かうと、途中リビングにはロマが燃え尽きたように座っていた。とりあえずおはようと声をかける。
「…キミか…おはよう…すまない…ボクは…いや、ニア君には優しくしてやってくれ…」
ロマは朝が弱い。普段は朝食を食べたあたりで調子が出てくるのだが、それにしても今日は不調の様だ。彼女には悪いが、俺には洗濯物を追加するという急務がある。短く励まして、自室へと向かった。
「…ハハ…このボクが、この歳で?あんな夢を見て…くっ、ニア君に見られて、庇われて?…冗談だろう…夢についての研究をするべきだろうか…」
自室に戻り、洗濯物を選定する。あまりにもたくさん出すとニアの負担が増えてしまう。それはさすがに心苦しいので、適当なものにパンツをちょい足しで決まりだ。
ふと、洗濯物を見繕っているときに電流が走る。
あの匂いを感じない。起きた時は分かったが、今は認識できていない。鼻が慣れてしまったのか?まずいぞ、今俺の下半身が匂っている可能性を否定できない。
ニアと爛れた生活を送っていた時にサーシャが来訪し、顔を顰めていたシーンが思い出される。あの時彼女は真っ先に何をした?そうだ、換気をしていた。ニアもやっていたぞ。もしかして、彼女はあの匂いに気づいていたのか?顔から火が出そうだ。
気にしだしたら居ても立っても居られない。気づかれたくない相手である二人に匂っているかと確認できるはずもない。どうしたらいい…くそ、考えろ…
せめて拭き清められればいいが、水場には間違いなくニアがいる。
どうする?…そうだ!風呂だよ!風呂!!
先ほどニアは洗濯を頑張ると言っていた。朝風呂を沸かせば、入り終えた後の湯を洗濯に回せる。最近は寒くなってきたし、汚れも落ちやすく、ニアも喜ぶだろう。今日は安息日だし、たまの贅沢ということにすれば実に自然だ。この作戦は完璧じゃないか!
ゲンジ…ありがとう。俺これほどまでに家に風呂があって良かったと思ったことはない。
俺は洗濯物を手に、未だリビングに座るロマを横目に通り抜け、庭に戻る。
あのタライにこれを入れて、後は風呂を沸かせばよい。水はまあいいだろう、追い炊きだ。洗濯をするニアの後姿に遠巻きに声をかける。
「ひっ、ご主人様、今近づかないでください。えっと、危ないです!水が跳ねるので!」
なんだか鬼気迫るような雰囲気だ。水で体が濡れて風邪をひく的なことだろうか、心配しすぎである。
とにかくニアを刺激しないように追加の洗濯物を持ってきたことを伝えて、ここに置いておいてもよいかと尋ねる。実際今の俺もニアに接近するのは避けたい。俺の匂い的な意味で。
「はい!大丈夫ですよ、一緒に洗っておきますので、そこに置いておいてください。すぐに朝ごはんも作りますからお部屋で待っていてくださいね」
ここで俺は朝風呂について切り出す。俺が外で火の番をするから、先に二人が入るといい。俺自身は外で煙を纏うことにより、多少の匂いなど誤魔化せると踏んでの提案だ。
「あっ、それは助かります。すごくいいですね。でもこれだけは洗ってしまいます、残りの洗濯物にお湯を使わせてもらいますから」
よし、ニアの了解は取った。勢いよく薪を放り込み、ごうごうと燃やす。多少熱くなろうが水で冷ませばよいのだ。ふはは!いいぞ!俺は煙まみれだ!
「…もしかして、朝風呂を準備しているのかい?」
どうやらロマが風呂場にいるようだ。ちょうど良かった、湯加減を見てくれ、入れるようなら入ってもいい、外は俺に任せろ!
「ありがとう、ありがたく頂戴するよ」
風呂に入り終え、三人で遅い朝食を済ませる。
そのころにはロマも目が覚めたのか、すっかりといつもの調子に戻っており、今はニアと共に家事をしている。完全に手持無沙汰となった俺は剣の素振りを行うことにした。
やや曇りがちの空の下、剣を振りながら庭に干された洗濯物を見れば、シーツに紛れ、何故かみんなのパンツが気持ち多めであった。




