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29.遭遇戦

途中から主人公と別視点になります

 朝の鐘で目を覚ます。悲しいほどに体調は万全だ。



 外を見れば昨日よりもやや明るい気がする。鐘の時間が冬に切り替わったのだろう。



 いや、現実逃避は止めだ。俺は隣ですやすやと眠るニアを見て、ここ最近の自分を振り返る。この体たらくが始まったのは数日前にロマと会った日の夜からだ。



 前からだらしなかったと言われても仕方がないが、サーシャが来ない理性的に振舞う日にさえ俺はニアに手を出してしまった。毎日が安息日という程ひどくはないが、そんなことになったら人として終わりだと思う。



 思い返せば一時期は人として終わっていたな…いや、そこから持ち直しただろう。ダメな面にばかり目を向けていても仕方がない。俺はどうやってあの状態から抜け出した?ああ、サーシャに救われたんでしたね。



 昼はいいのだ。サーシャがいる時は当然問題ないし、ニアが仕事の日は街をぶらついたり、酒場に入り浸っているので問題ない。あれ?俺普通にロクデナシだ…



 百歩譲ろう。俺は確かにロクデナシだ。それは良くないが、話が進まないのでよしとする。



 問題は夜だ。読み聞かせの日は…これも目を瞑ろう。一番の問題は、本来冒険譚を話す日の夜に我慢が出来なかったことだ。以前はできたことができなくなった。成長が見えないどころではない、退化している。



 あの日はいつも通りの夜で、俺はロマのとっておきエピソードを話そうとしていたんだ。その時のニアの格好はとても落ち着いた服装であり、生地も透けるようなものでなく、スカートも膝下まであるようなものだった。



 だから俺は安心していて、自室でふとニアの後姿を見たのだ。彼女は何か片付けをしていたのか、俺に背を見せてゴソゴソと何かをしていたんだ。その時スカートの後ろの部分がめくれていて、どうやら腰の部分に引っかかってしまっていた様である。



 俺も探索中にマントがめくれていた事があった。ああいうのは意外と自分では気づかないものだ。その時は後ろの仲間に指摘されて直してもらったりしたっけ。



 俺も紳士的にニアに指摘して、スカートの裾を正してやるべきだった。でも、できなかったんだ。だからこの話は終わりだ。



 その時のニアが穿いていた下着は不良品なのかと疑うばかりに穴が開いているものであった。後で確認したが、破れているわけではなく、そういうデザインなのである。店主よ、何故、どうしてそれを選定したのだ…俺は理性を失った。



 あれは事故か?事故なら不可抗力だ。しかし事故で済ませていいだろうか。



 下着にどのようなものを穿いていたとしても、スカートが正常なら見えなかった。そしてスカートがめくれていたのは事故だろう。不幸が重なったということだ、そうだろう。そうしてくれ。



§



 いつものようにニアの出勤に帯同して酒場の前で別れる。



 万全の体調とは裏腹に、気分は冴えなかった。



 街をぶらつくのも、酒場に入り浸るのも今日は止めておこう。そうすると途端にやることが無い…俺はなんてダメな奴なんだ…



 日常生活を送ることすらニアがいないと満足にできない。あの夜、彼女と出会えていなかったらと思うとぞっとする。改めてニアに感謝するとともに、彼女にばかり負担をかけているこの現状を打破する必要性を強く感じる。



 気が付けば俺の足は自然と自宅に向かっており、俺にできる数少ない仕事である風呂の準備に取り掛かったのだった。



 風呂の掃除をいつもよりも入念に行って水を張り、ただ時間を潰すためだけに剣を振る。



 体を動かすのは良い、なんだか元気が出てくる。井戸で体の汗を流せば、先ほどよりは幾分すっきりとした気分になれた。



 家の中に入り服を着替えていると、俺の耳が門の開閉音を拾う。



 誰かが入ってきたようだ、サーシャやサムの来訪日ではない。首をひねりながら来訪者を確認するべく玄関に向かうと、そこには救世主が立っていた。



「や、やあ、少しばかり気が急いてしまってね。夜まで待ちきれなかったのさ」



 そうだ。俺の窮地を救うのはやはり俺の仲間だった。叫びたいほどの喜びを感じる。ありがとう、来てくれてありがとう。やっぱりロマは最高だよ。



「…そこまで歓迎してもらえるとはねえ。もしかして、待たせてしまったかな?しかしボクにも段取りというものがだね…いや、とにかくお邪魔させてもらうよ」



 もちろんだ、弾むような足取りでリビングへとロマを案内する。あ、お茶を出さなければ。あれ、お茶ってどこだろう。



「ああ、前と変わっていなければある場所は分かるよ。でもキミ、できるのかい?いつもサーシャ君がいない時はリリア君かゲンジ君が淹れてくれていただろう。ああ、そんな顔をしないでくれたまえ。ボクだって自信はないからね、お互い様さ。ひとつボクがやってみようじゃないか」



 自分の家なのに偶に来る仲間の方が詳しいことがあるのは情けないが、お茶はロマに任せよう。その代わりと言っては何だが、俺は彼女のために風呂を沸かすことにした。家事で唯一自信のあることだ。先ほど準備を終え、あとは薪をくべて沸かすだけの状態。そちらは俺に任せてくれ!



「あ、ああ。なんていうか、その…ありがとう?」



 なんだか歯切れの悪いロマであるが、客である自分の茶を自分で淹れるのだ。変な気持ちになるのも無理はない。しかし、しばらくの間は一緒に過ごすのだから少しくらいは家事をやってもらわねばなるまい。俺が言えたものではないが。



 最近手馴れてきた風呂の準備、さあ後は沸くのを待つだけだ。今日からは三人なので三回入ることになる。途中で薪を追加する必要があるだろう。しかしニアとロマのためだ、この程度苦にもならない。



 リビングに戻れば一人お茶を啜るロマがいた。カップは二つ、どうやら俺の分も淹れてくれたようだ。



「やあ、先に頂いているよ。味の方は…ふぅむ、手順が違うのだろうね。いつもどおりとはいかない、難しいものだ」



 礼を言ってお茶を一気に飲み干す。すこし温いのがありがたかった。ニアを迎えに行く時間が迫っているからだ。ロマに戦乙女に行ってすぐ帰ってくるからと留守番を任せる。風呂が沸いたなら一番風呂はロマのものだ、先に入っていてくれと言い添えて家を飛び出す。朝よりも遥かに軽い足取りで酒場へと走った。





 彼はボクの入れたお茶を一気に飲み干す。いやいや!がっつき過ぎだねえ!



 お茶でも飲みながら落ち着いて話をしようと考えていたのだが、計算が狂ってしまった。



 最短でコトを進めたいということだろう。しかし、もともと予定していた夜よりも前に来たのだから、その…もっと雰囲気を盛り上げるというか、なにかあるだろうに。



 玄関でボクを出迎えてくれた時の彼の喜び様といったら、尻尾が生えていたら千切れんばかりに動いていただろうというのは想像に難くない。リビングに通される時に彼が背を向けていてくれて良かった。正直表情を取り繕えていたか自信が無い。



 しかし、ここまでストレートな姿勢を前面に押し出されると逆に気にならなくなる…ならば良かったのだがね。ボクは緊張しっぱなしだ。



 カップを置いて彼は酒場へと出かけて行った。ははあ、夕食を取りに行ったのかな。彼もボクをもてなすために色々と考えていてくれていたようだ。



 夕食などは携行食でも何でもいいと思っていた。雰囲気を盛り上げて欲しいなどと求めておきながら、そんなことにも気が回らないとは。我ながら情けない。



 そして去り際に残す言葉が先に風呂に入っておけとは…プレイボーイなのだろうか、いやいや、自分で言って笑ってしまう。彼以上にその称号が似合わぬ男もそうはいないだろう。



 しかし、そういうコトをする前に、き、キス?とか?そういうのだよ、頼むよ!



 …これではいけない。冷静にならないと。



 しばし頭を冷やしていると徐々に頭が回り始める。



 そうだね、彼がいないというのは好機だ。



 お風呂を借りるにしても、この状況ならば一人の時に入った方がいい。覗かれる心配などはしていないが、裸でいるときに扉一枚向こうに彼がいるかもしれないという状況で落ち着けるはずもない。



 自分の持ってきた鞄に忍ばせた、ノワール君曰く「勝負下着」に着替えるなら絶好だ。



 流石にこの下着を身に着けてここに来る勇気は出なかった。だって、それではまるで痴女ではないか。



 鞄を携えて脱衣所に入る。



 下着はまだ取り出してはいけない。彼が入浴中に帰宅して万が一にも脱衣所にあるコレを見つけるリスクを無視できない。大丈夫、ボクは冷静だ。



 服を脱ぎ風呂場に入ると、あるものが目に入る。



 これは、引っ越し祝いの時にボクが調合してプレゼントした洗髪剤じゃないか、取っておいてくれたのか…あの時に笑ってしまったから、てっきり捨てられてしまっているものだと思っていた。



 これを出しているということは、ボクにコレを使って欲しいということだね。なるほど、こうやって気分を盛り上げるという狙いか。なかなかに巧みじゃないか、効果は抜群だよ。



 手に取ると、半分ほど減っているのが分かった。もしかして、ボクを思い出してしばしば使っていたのだろうか…湯船に入ってもいないのにのぼせてしまいそうだ。



 洗髪剤で髪を洗い、体を入念に洗い、湯船に浸かる。



 お湯に浮く自分の胸を見て、ため息を一つ。彼はこれを見てどう思うだろうか。探索中に胸の固縛を怠っていないことが功を奏したのか垂れてはいない。しかし、そのせいだろうか、いつの頃からか突起部分が隠れてしまったのだ。それもあって、こういった個人用の風呂場というものがことさらに有難かった。



 脱衣所で体を拭いていると近くに人の気配を感じる。



 しくじった、彼が帰ってきてしまったようだ。布を一枚体に巻き付け、頭だけで外の様子を伺うと、そこには見知らぬ女が立っており、青緑の瞳が驚いたように見開かれた。



 強烈な違和感がボクを襲う、なんなのだこの魔力の流れは。サモンマジックで呼び出された異界の住人に近いものを感じ、反射的に戦闘態勢を取って短く叫ぶ。



「遭遇戦!」



 クッ、彼我との距離が近すぎる!ここまで接近されてこのボクが気づかないだと!?



 一体だけとは限らない、サモンマジックであれば術者も近くにいるはずだ、敵を能動的に察知するために魔力波を周囲に走らせる。



 それと同時に廊下に飛び出し、シールドリングを付けている左手を前に掲げた。素早く、手前から奥に障壁を張り出して敵を押し出すのだ。



 胸を固縛せずに激しく動いたため、軽く巻き付けただけの布が落ちるがどうでもいい。吹き飛べ!!



 障壁はボクのイメージ通りに展開し、女を透過して障壁の内側に収めた。



 馬鹿な!何故内側に女が残っている!?味方というわけでもあるまい!



「ごっごめんなさい!」



 なんとも気が抜けた台詞だが、人語を操るだと!?なんだ、一体どうなっている。



 予想に反して魔力波からの反応は二つだけ。一つは少し離れた彼のもの、もうひとつは目前の女からのもの。



 もしかして、敵ではない…のか?



 その時、ボクの名を呼ぶ声が聞こえた、彼だ!



 なんにせよ助かった、これで不測の事態にも対応できるだろう。



 次の瞬間、対峙する女の背後から魔力を迸らせ、下半身を露出した男がこちらに突っ込んでくる姿が見えた。




 は?


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