28.帰り道
魔術協会を出て、足早に道を進む。
俺が遅れたことでニアが一人で自宅に帰ってしまうかもしれない。道行く人々を全員なぎ倒してでも駆け抜けたいが、そうもいかない。
逸る気持ちを押さえつつ魔力を活性化させ、夕暮れ時に賑わう路上の人の流れを観る。その間を泳ぐようにして、可能な限り急いで戦乙女へと向かった。
§
店はもうすぐだ。ここは思っていたよりも人通りが少ない。俺は身を沈めて全力で足を回す。ダンジョンで逃げることがあっても壁役は殿を務めるため、全力走のタイミングは基本無い。だからこれは訓練以来の全力疾走だ。
マジックブーツは地面をよく掴み、俺の力を無駄なく推進力へと変換してくれる。
頬が風を切り、ひゅるりとした音が耳を打つ。俺も結構動けるではないか、クロウに今度自慢してやろう。本職の方が身のこなしは良いだろうから、なにかしらのアドバイスが貰えるかもしれない。また急ぐ事があれば役立つだろう。
店の前で停止しようと足を止めたが体が止まらない。足は地面を削りながら入り口の前まで線を引いていく、まずい。魔力を練り上げ、体感時間をゆっくりとしたものにして考える。
速度は落ちてきているが、このまま滑り続けると店の段差に躓くのが確定する。店の入り口付近を見れば、幸いにも扉は開いており、人の影は無かった。
足に最低限の力を籠めて、段差をギリギリで飛び越え、目隠し用のスイングドアをぶち抜き入店する。
ダンと強く床を踏みしめ、足は何とか止まってくれた。魔力を霧散させると周囲の景色は普段通りに流れ出し、音も戻ってくる。いや、音がしない。周囲を見ると全員がぎょっとした目でこちらを見ていた。
その中にノワールを見つけたので声をかける。
俺は間に合っただろうか、まだ帰っていないだろうか…あと驚かせてすまない。
「え?えー?この流れであたしに話しかけるのー?…いま奥で着替えてるところだよ」
どうやら急いだ甲斐があったようだ、ほっと胸を撫で下ろす。
しかし、この空気をどうしたものか。常連だからこそ、あまりに無体な振る舞いは避けたいところだ。店に迷惑が掛かってしまう。
カウンターからオヤジさんがつかつかと出てきて俺の頭を叩いた。パーンと小気味良い音が静まり返った店内に響く。
「驚かせてすまなかったな。ホレお前も頭下げろ」
オヤジさんは事態の収拾のために一肌脱いでくれたようだ、ありがたいことである。
俺は頭を下げてもう一度謝る。急いでいたので、つい。次からは気を付けます。
「急いでたって街中でそこまで魔力を漲らせて走るヤツなんて初めて見たぜ!<不沈>は返上して韋駄天でも名乗るつもりかよ!」
「違ぇねえ!つうか店の前抉れてんじゃねえか!酒飲むのに必死すぎだろ!」
顔見知りの探索者がヤジってくる。それに呼応してあちこちで笑い声が上がり、店内の雰囲気はいつも通りのざわついたものに戻っていった。
「ったく、ドアがぶっ壊れていたら弁償しろよ。飛び切りいいヤツだ」
オヤジさんに礼を言う。どうせ換えるのであれば対レイス用の魔除け効果を持ったヤツがいいかもしれない。実体を持たない敵は一般的な物理攻撃が通らないので対処が面倒だ。ニアが働いているときに厄介なのが襲って来るのも防げる。まあオヤジさんなら従業員を守るために銀製の食器を手に、命を賭して立ち向かってくれることだろう。
「バカ言ってねえで今日は帰れ、さすがにこのまま飲んでいく雰囲気ではねえだろ。嬢ちゃんは裏口から帰すからよ」
重ねて礼を言い、俺は店を出て裏口に回る。
そうか。普段従業員はここから出入りしているのだろう。ノワールは普通に入り口から入ってきていたが、あれは顔見せも兼ねているのか。考えてみればここの二階に住んでいる彼女が入り口から入ってくるのは不自然だ。
一人納得しているとドアがゆっくりと開き、ニアが出てきて俺に抱き着いてくる。
「やっぱりご主人様だったんですね!さっき気配を感じたんですよ。迎えに来てくれてありがとうございます。そういえばさっきすごい音がしましたけど、お店の方で何かあったんですか?」
ふわりとニアの香りがして、ぞくぞくとした感覚が背中を伝う。数時間ぶりではあるが、長く顔を合わせていなかったような気がした。思わず強く抱きしめてしまいそうになるが、軽く抱き返すに留めることに成功する。誰か褒めて欲しい。
にこやかに話すニアと手を繋いで家路につく。お互いに今日あったことなどを話し合うが、先ほどのダイナミック入店のことは伏せておこう。
「今日は何とノワールさんからパイのことを教わったんです!でも分量が分かっても生地のこね方から何からなかなか難しくて、すぐにはできそうもなくて…しばらくはお手伝いをしながら勉強しますので、お家で作れるようになるまで待っててくださいね」
それは楽しみなことを聞いた。ノワールもオヤジさんの味を再現するまでにはなかなか苦労したと言っていたので、焦らずに頑張って欲しい。そのうちニアのオリジナルパイも作れるようになるだろう。
「わあ!そっか、自分の好きなものを作ってもいいんですもんね!できることが増えていくって楽しみです!」
ふふ、俺にはもっとニアを喜ばせるネタがある。なんと、近日中にニアお気に入りのロマが自宅に来訪するのだ。彼女のことだ、そうと決まれば行動は早い。今日明日ということはないだろうが、今週末に準備が整ったとしても不思議ではない。
「本当ですか!?初めてのお客様がロマさんだなんて素敵です!いつもよりもしっかりお掃除しないと、だらしないところを見せるわけにはいきません!」
やはりロマへの好感度はかなり高い。冒険譚で仲間の活躍を少し盛りすぎただろうか…しかし、仲間たちが自分にできないことをさらりとやってのける様はどうしてもかっこよく見えてしまうので致し方ないのだ。
そうだ、ロマは最近部屋に篭りっぱなしで行動食二号改をずっと食べていたみたいだから、ニアの手料理をぜひ振舞ってやって欲しい。確かに味に頓着しない発明品を作るが、決して味音痴というわけではない。美味しい料理を振舞えばきっと喜んでくれるだろう。
「あ!お話で出てきた食事ですか。ロマさんが作ったんですよね、どんな味なんだろう…え、無いんですか?味」
家に手つかずの物があるから、話のタネに食べるくらいは良いかもしれない。ただ、あれには一つ注意点がある。水以外の何かに混ぜると痺れるほどの不味さを発揮するのだ。だからそのまま食べるのが一番である、混ぜるな危険というやつだ。
「あるんですか?私も食べてみたいです!私も皆さんと冒険している気分になれそうでワクワクします、半分こしましょうね」
そんな話をしながら自宅につき、夕食前に行動食二号改をニアに見せる。食べるなら今だろう、腹が膨れたところに味のしないこれを入れるのは苦労するだろう。
「見た目は…漆喰、のような?結構固いんですね、どれどれ…」
半分こしたニア曰く漆喰のようなものを二人で食む。うん、いつもどおり味がしない。もしゃもしゃと咀嚼してさっさと飲み込む。まあ、食感は焼き菓子に近いだろうか。菓子をイメージすると味がしないコレをとたんに不味く感じるのも不思議だ。
ニアの表情からは食べる前のワクワクした成分が抜けていた。二号改、味だけでなく彼女のワクワク感をも抜き去るとは…おそろしい食べ物である。
「…これを、ひと月も?…でも、自作パイは間に合わない…自信が無いものをお出しするわけにはいかないもの…せめて私にできる一番美味しいものを作ってあげないと。パイはまた次にいらっしゃる頃にはきっと!」
なんだかロマにいいものを食べさせてやりたいという使命感に目覚めたようだ。
しかし安心してほしい。ロマが次に来る時を心配する必要はないのだ。
ロマの置かれた状況を説明して、しばらく自宅に滞在することを伝える。俺がだらしないばかりにニアを俺の部屋で寝かせてしまっていたが、良い機会だ。空き部屋の二つをニアとロマで使うといい。生活する上でプライベートな空間というものは必要なものだ。これまで不便をかけてしまっていたのを申し訳なく思う。
「ええ、はい。とてもうれしいです。ありがとうございます。まずはロマさんの部屋を整えましょう。私はあとで大丈夫です」
抑揚が消えた声でそう話すニアは、張り付けたような笑みを浮かべている。
この味?がよほどダメだったのだろう。ニアの手から食べかけのものを受け取り、すべて口に入れて飲み下す。まあ、そんな顔にもなるよな。
夕食を終え、二人で風呂に入った。これからは一人ずつ入る必要性があるだろう。
寝るための服装に着替え、自室で今夜の冒険譚をどうするか考える。やはりロマのエピソードをチョイスするべきだ。しかし、どれがいいだろうかと考えているとニアが入室してきた。そちらを一度見て目線を戻し、また見つめてしまう。完璧な二度見であった。
「すみません。いつもの部屋着を洗濯するのを忘れてしまって…」
いや、俺のシャツだってなんだってあるだろうと思うが、我が家の洗濯時事情は分からない。素人がうかつに突っ込んでいい世界ではないのだ。
ニアが纏うひらひらとした柔らかい色合いの服。いや、服なのか?カーテンよりも薄地で向こうが透けて見えてしまう程だ。しかし、見えそうで見えない。いや、見えるだろこれ。
よく見ようと無意識に目に魔力を回す。見、見え…?ないのか?
いや、あまりにもじろじろと見たらニアが不快に思うだろう。つまり短い時間で済ますべきだ。
魔力を練り込み、意識を加速させる。
そういえば以前はこんな簡単に魔力を練り上げることはできなかった。酒場の時はとっさにやってしまったが、まあ簡単にできるようになったのならばよい事であろう。
停滞した世界でよく観察したところ、見え…ないかな?という結論が出た。世界がまた動き出し、体なんて見ていませんよとアピールするためにニアの顔を見つめる。赤い瞳がゆらゆらと揺れていた。




