24.初出勤
食後の片づけをして外出の準備を整える。
サーシャからのお墨付きをもらったので、今日から戦乙女での見習いが始まるのだ。
仕事着のエプロンドレスを手提げに持たせ、ニアにはいつもの装備をさせる。着替えは向こうで行えばよいだろう、道中の安全確保の方が大事である。
ちなみに俺はこの出勤に伴い、護衛と言う形で帯同することにした。
探索者にも護衛依頼はある。ダンジョンの魔素を吸収し、身体強化を目論む金持ちが主な依頼主だ。暗殺対策にもなるし、やはり若さを保ちたいと願うものは多い。
寿命が延びるかどうかは知らないが、ダンジョンアタックを繰り返したものは若作りになる傾向だ。ただ、霊薬を飲んだかのように若返るといった事はなく、ある程度魔素を吸収したところで老化が鈍化するという風である。
「いろいろと教えてもらいましたけど、本当に私に務まるでしょうか…サーシャさんに比べればお掃除だってお料理だってまだまだなんです」
ニアは大分ナーバスになっているようだ。俺も駆け出しの頃は肩に力が入りすぎだとオヤジさんによく窘められたものだ。
サーシャは文字通りプロである、比較対象が高すぎるのだ。ひと月足らずで並ばれたら彼女も立つ瀬がないだろう。勉強面では俺を抜いてしまっているし、十分に戦力になるだろうと俺もサーシャも考えている。気楽にいけばよいのだ、酒場の仕事で失敗して命を落とすような取り返しのつかない事態にはならないだろうから。
「ご主人様も最初は緊張したんですか?ちょっと意外です、同じなんですね。少しほっとしました。でも、なるべく失敗はしないようにしたいです。やっぱり迷惑をかけてしまいますし…」
根が善良すぎてちょっと眩しいくらいである。こうして戦乙女までの道のりをニアを励ましながら歩いて行った。
「おー、きたきた。期待の新人さんおはよー」
「ふん。お前もついてきたのか、物々しい格好しやがって」
そう出迎えてくれたのは、ノワールとオヤジさんの二人であった。
「お、おはようございます。本日からよろしくお願いします。一生懸命頑張りますので、えっと、よろしくお願いします」
「うんうん、こちらこそよろしくねー。じゃー奥で着替えよー。エプロン貸そっか?持ってきてるんだ。あ!可愛い!ほらこっちこっち」
ノワールはニアを連れだって店の奥に入っていく。そちらまで行ったことはないが、従業員用の着替えを行う場所があるのだろう。
「嬢ちゃんを働かせると聞いた時は耳を疑ったぞ。まさかマジとはな。まあ心配すんな、従業員はみんな知れた奴だし、うちの客層は…まあマシな方だ。そうそう問題も起きねえだろうし、何かあればフォローするさ」
フォローについてはくれぐれもよろしくお願いしたい。今日は特に心配だし、俺も近くに控えることは可能だろうかと聞いてみる。護衛としてでもいい。
「お前、夕方までいるつもりか?どんだけ過保護なんだよ。護衛だ?馬鹿言え、お前を協会経由で雇ったら一日でも金は下らないだろ、うちを潰す気か」
確かにそうだ。協会に所属している以上、勝手に護衛依頼を請け負うわけにはいかない。どうしたらいい…
「はぁ、そんな顔すんなよ。心配なのはわかった、とりあえず今日はこれ持って店の裏の掃除でもしてろ、飯くらいは食わせてやる」
感謝である、俺は掃除道具を受け取って店の裏に回る。掃除をしながら店の中の様子を探るべく、魔力によって聴力を強化し不測の事態に備えることとした。
ざわつく音の中からニアかノワールの音を探し出す。…見つけた。
「ニアちゃん、着痩せするんだねー。わあ、すっごいきれいな肌、何食べたらこんなになるのー?お姉さん嫉妬しちゃう!ちょっと触ってもいい?」
「…恥ず…です…ノワールさんこそ…イルが…くて…です」
「えー、得することもあるけど、下着だってかわいいの選べないし、肩は凝るしで良し悪しかなー。あ、その指輪素敵ー!そっかそっか、こーんな可愛いニアちゃんを毎晩毎晩好きにしている人がいるんだねー、羨ましー!で…?どうなの?夜の…」
相棒に不測の事態が発生しそうだ。俺は即座に聴力強化を打ち切って片膝をつく。静まり給え、静まり給えとひたすらに念じる。
この場面を客観的に見れば、店外から女性従業員の会話を盗み聞ぎして発情する不審者である。この事実が露呈すれば、この仕事をクビで済めば温情措置であろう。
そこそこの時間を要したが、何とか気を静めることに成功する。俺のコントロール技術も上がってきたかもしれない。このまま精進していこう。俺は冷静に掃除を再開した。
§
「おう、随分と真面目にやってるじゃねえか。昼飯持ってきてやったぞ、パイだけどな」
掃除が一段落ついたところにオヤジさん自らのデリバリーである。礼を言って温かいパイを受け取ると、店では感じたことのない匂いがして首をかしげる。
「ああ、お前は食ったことなかったか。同じ味ばかりじゃ飽きちまうからな、賄のは店で出してないようなのもあんだよ。これはノワールの試作品だ、さっき食ったがまあまあいけるぞ。原価的に儲けが無いから店じゃだせねえ」
ふむ、そう聞くとなんだかお得な感じがする。パイをかじってみるとホワイトソースベースの中に鶏肉やキノコがごろごろと入っている。まろやかな味わいであり、差し詰めシチューパイと言ったところか。冬にでも強めに胡椒をきかせて暖炉前でワインと頂けばよさそうな雰囲気である。個人的にはビーフシチューのような強い味付けの方が相性は良いかと思うが、お酒もより進みそうだ。
「なるほどな。お前の舌は良い線いってると思うぞ。料理人でもやってみたらどうだ、どうせ暇なんだろ」
暇なのは否定しないが、仕事にするほどの情熱はない。しかし料理を趣味とするのも悪くないような気もする。自分用に作るというのはどうもやる気が出ないが、誰かに振舞うというのであればモチベーションも出るかもしれない。
「なんだ、食い専だったか。言われてみればお前が自炊してるとこなんて想像できねえな。ああ、そうそう。嬢ちゃんな、今日はあと少しで帰っていいぞ」
む、ニアの力量では不足とでもいうのか?もう少しサーシャの下で修業を積むにしても何を重点的に補えばよいかくらいは指摘してほしいものである。
「睨むなよ、逆だ逆。お嬢様育ちかと思っていたが、そつなくこなせるじゃねえか。しかも読み書き計算もできるようなのを見習いとして無給でやらせるわけにはいかねえ。まずは裏方でやってもらって、ホールとかは追々だな」
それを聞いて安心した。きっとサーシャも喜ぶだろう、良い土産話ができた。それでは帰るタイミングで言ってくれれば助かる。それまではここで掃除でもしていよう。
「あー、お義父さんこんなところにいた。ってそっちはなんでここの掃除してるの?賄のパイだけで?ちょっとノワールさんのこと好きすぎでしょー。でもあたし旦那いるからさー、ごめんねー。あ、パイ美味しかった?」
ノワールの冗談を軽く流してパイの感想を伝え、ニアの様子を聞いてみる。
「よかったー、でも結構自信作だったんだけどコスト面でダメ出しされちゃってねー。あ、そうそうニアちゃんすごいじゃん!読み書き計算とかはできると思ってたけど、それ以外がひととおりできるのに驚いたよー。庶民派お嬢様っているんだねー」
読み書き計算ができることに驚かれなかったのは残念な気もしたが、この期間で俺を超えていくほどだからな…ニアは優秀なのだ。
「お前が最低限出来るのは知っているが、嬢ちゃんがお前よりできるのは当たり前だろ。どんだけ自分に自信があるんだよ、割り算もろくにできない奴がよ」
貶されているが、まあいいだろう。ニアが優秀であることには変わりがないのだから。それに加えやはり師匠と教育計画が良かったんだと思う。サーシャと俺の二人体制だからな。
「何ニヤついてんだよ…頭大丈夫か?」
「あ、ごめんお義父さん忘れてた。ニアちゃんと相談して決めたんだけど、来週から週三隔日の昼シフトで入ってもらっていいよね?それだけ決めたら伝えて帰しちゃおうかって思って探してたんだー」
「雇うのは問題ねえ。シフトはノワールの方で判断して良いなら構わねえぞ。と、いうわけだ。お前も嬢ちゃん連れて今日は帰るんだな」
「おっけー。じゃあそれで。んじゃあたしとニアちゃん迎えにいこっか」
掃除道具の礼を言ってオヤジさんに返却し、ノワールについて店内に入る。カウンターからノワールが奥に声をかけると、奥からパタパタとニアが出てきた。
いつも家で見ているエプロン姿に加え、三角巾を頭にかぶっている。それだけで新鮮な気持ちになるのは不思議だ。何よりも、その愛らしい姿に胸が詰まった。
「ノワールさん、三角巾ありがとうございました。来週からよろしくお願いします」
「いいのいいのー。うちで働くときはそれ付けておいたらいいよ。着替える場所分かる?今日はもう帰って大丈夫だから着替えておいでー」
「はい、わかりました。ご主人様すぐに着替えてきますからもう少し待っていてくださいね」
ニアに頷き、後姿を見送る。耳のことを失念していたな。流石ノワールだ、何も言わずともうまく立ち回ってくれたようだ。
しかし三角巾か。おしゃれというものはよくわからないが、パーティにおけるシナジーのようなものかもしれない。おしゃれとは奥深いものであるな。
「耳ねー、本人が隠したがってたからさ。珍しいと言えば珍しいけど、お客さんにもたまにいるでしょ?あたしは可愛いと思うけどなー」
そうなのか。結構この店には通っているが、ドワーフやらハーフリング、ごくまれにエルフは見たことがあるが…案外ハーフエルフは珍しいものでもないのかもしれない。
「お待たせしました!帰りましょう」
ニアに促され家路につく。さあ、今夜は就職祝いだ。




