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22.読み聞かせ

 サーシャが最初に持ってきてくれたのは教材でもある食材と絵本。仕事着のエプロンドレスといったものであった。



「旦那様。短期間で詰め込むのであれば家事と勉強を並行して進める方が良いでしょう。まず昼には私が家事をお伝えします。その間、夜間などにこの絵本を用いて読み聞かせを行っていただけないでしょうか。一緒に文字を追って読んでいただくとよろしいかと。家事の覚え次第で私も昼に勉強をお教えいたします」



 サーシャに任せて正解であった。実に効率的な計画に思える。

 俺も協力できそうなところがまた良い。絵本ならいけるぞ。しかし、書き取りの必要性はないのだろうか、読むのに比べると書くのはなかなか難儀するものだ。



「ご協力に感謝いたします。書き取りは後日砂板等を準備いたしますので、まずは文字に親しみが持てるようにしていただけると助かります」



 了解である。早速サーシャはニアと共に掃除を始める様だ。邪魔にならないように場所を移し、持ってきてくれた絵本に目を通すことにする。予習は大事だ、読み聞かせを行うときに俺が読めない可能性は消しておかねばなるまい。



§



「旦那様、昼食のお時間です。リビングへどうぞ」



 声をかけられてハッとする。大分読み耽ってしまったようだ。挿絵があるため感情移入しやすく、表現も易しいため、俺でも十分に読みこなすことができた。



 サーシャの持ってきてくれた数冊の絵本はジャンルが被らぬように配慮されているように感じた。様々な文字を教えようとする配慮だろうか。おかげでこちらも飽きることなく読破できそうである。



 リビングに顔を出すと二人が作ってくれた料理が配膳されていた。なるほど、今日はサンドウィッチか。俺が適当に具材を挟んで食べるものとは違い、表面はきつね色に染まり、香ばしい匂いを漂わせている。挟んだ後に焼いたものであろう。



 可愛らしいドレスを着たニアが椅子を引いてくれたので着席すると、サーシャがニアの椅子を引く。仮に俺がここでサーシャの椅子を引けば永久機関が完成するような気がする。いたずら心で腰を浮かすとサーシャに目で制された。



「今回は教わりながらですけど、私が作りました。美味しく出来ているといいんですけれど」



 遊んでいる場合ではない、冷めぬうちに早速頂こう。ニアの特製サンドウィッチを口に運ぶ。カリッとしたパンを割き、具材ごと嚙みちぎれば、にゅっと伸びるチーズが橋を架けた。口に入れた熱々のサンドウィッチを咀嚼する。



 具材は野菜だろうか、熱によりしんなりとしつつも少し残したしゃくしゃくした歯触りが面白い。味はチーズの号令の下に塩味が適度に規律を引き締め、見事なまとまりを見せている。最高だ、この戦いの勝利は確定した。



「わあ、やりましたよサーシャさん!よかったぁ」



「当然でしょう、とてもよく出来ていますよ。さあお嬢様も冷めぬうちに召しあがってください」



「サーシャさんもよかったら後で食べてくださいね」



「ええ、もちろん。ありがたく後で頂きます」



 二人が微笑みあう姿は、似たような格好も相まって仲の良い姉妹のようである。…妹に頻繁に手を出しているのがバレたらお姉さんに怒られそうだ。この想像は止めておこう。



§



 夜になり、後は寝るまで自由時間と言った時間に読み聞かせを行うことにした。俺にしては珍しい知的な役回りである。腕が鳴るぜ。



 本人のやる気を引き出すことが最優先なので、昼に読んだ絵本の中から好きなものをニアに選ばせることにする。



 俺の個人的なおすすめは「野菜の国と料理の国」だ。お互いの国の者たちが己の国の豊かさのために争う話であるが、野菜王の誇り高き散り際と、野菜王子が決起するシーンは胸を打つものがあった。食材の名前も料理の名前も豊富に出てくるので今のニアには最適と考える。



 逆におすすめできないのが「花売りの少女」である。言葉の通りに自分の摘んできた花を売る少女に一目惚れした騎士との恋物語なのだが、騎士が身分違いの少女を正妻に迎え入れようとするわ、真っ当な助言をする継母を騎士は煙たがるわ、挙句に少女は亡国の王女であった。



 少女が王族とわかると継母はこれまでの態度を一変させ、晴れて騎士と結ばれてめでたしめでたし…まさに荒唐無稽と言う他ない。亡国の王族とか厄ネタすぎる。物語の少女の境遇がニアに被るので、それと結ばれる騎士もなんだか好きになれない。



 ニアに絵本をずらりと見せて題名を読んで聞かせる。俺の主観交じりの寸評は伏せる。俺が薦めてしまったらソレになってしまうだろう。



「これを、読んで欲しいです」



 ニアが選んだのは俺の中のおすすめに反して「花売りの少女」であった。少し苦いものを感じたが、おくびにも出さず、ニアの目前に絵本を広げる。しかし、反対側だとひどく読みにくい。どうしたものか。



「あ、ご主人様。こっちにきてくれませんか。こうしたら読みやすいし、私も見やすいと思うんです。読み疲れたらそのまま寝ちゃえますし」



 ニアがそう微笑みながら提案してくれたのは、ベッドの上で俺が彼女を後ろ抱きにしつつ読むというスタイルだった。ニア越しとはいえこれなら確かに読みやすい、良案だ。



 早速読み聞かせを始める。しかし物語の序盤も読み終わる前に重大な問題点に気づいた。これはたしかに良案だ。俺の理性が持ちそうにないということを除けば、であるが。



 風呂上がりのニアからは甘い香りが漂い、部屋着の中でも大人しいものを着ているとはいえ、肩越しに文字を追おうとすると視線が肌に引き寄せられてしまう。



 密着した俺の体は明らかに熱を持ち、相棒も鎌首をもたげる。とっさに腰を引いて悟られないようにするも、肌寒いためかニアは空いたスペースに体を寄せてくる。この俺に匹敵するとは…すさまじい間合い管理だ…



 もはや読むこともままならず、目を閉じて気を静める。目をゆっくりと開けるといつの間にかこちらを向いたニアの赤い瞳と視線が交差した。うおお、唸れ!今こそ目覚めろ!俺の理性よ!



§



 朝の鐘が鳴る。



 絵本一冊すら読み終えることもできずに崩壊する俺の理性は一体どうなっているんだ…



 俺はその日からサーシャが来ない日はひたすらに理性的であることに努めた。その日に俺が早々に理性崩壊を起こすと一日が終わる。それはニアの成長を阻害しているようなものだ。足を引っ張るわけにはいかなかった。



 夜にあのスタイルをとるとだめだ。だから本を読まなくていいように俺たちのパーティの冒険譚を聞かせてみたのだが、ニアはそれをとても喜んだ。俺も気をよくして過酷なところは省きつつ、自分たちの奮闘を面白おかしく語って聞かせた。あれ、本来の目的を見失っていないか?



 こうしていつのまにか、サーシャが来た日は読み聞かせを、サーシャが来ない日は夜に冒険譚を語るサイクルが出来上がったのだった。我慢できたかって?俺にはまだまだ自制心を育むための修練が必要であろう。



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