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19.戦乙女の酒場

 アレクセイに見送られてマギを後にする。思ったよりも時間がかかってしまったし、昼飯にしつつ少し休憩を挟むとしよう。ニアを連れていつもの酒場に足を向けた。



 女性の横顔と麦穂のシルエットの看板が目印の酒場「戦乙女」のドアをくぐる。店内を見ると昼にしては客が多い。店員がテーブルの間を駆け回っているし、マスターの姿も見えない。さらに珍しいことに酒場を引退したはずのオヤジさんが仏頂面でカウンターにいるのが見えたので声をかける。



「おう、お前か。見ての通り忙しくてな、倅は夜の仕込みで手いっぱいだ。代わりに俺が昼に立つことになったが…たまに趣味でやる分には構わねえが、こう毎日だとな。しばらくすれば落ち着くだろう。で、昼飯か?今日はパイだぞ、肉とベリーから選べ」



 商売繁盛はめでたいことだが、なにかこの店が流行るような事でもあったのだろうか。今日は落ち着いて食事をしたいので可能なら奥を使わせてくれないだろうか。



「ああ?ここを贔屓にしたパーティが全員無事に目標達成したっつうんで、それにあやかりたい奴らがひっきりなしなんだよ。奥だと?別に構わねえが、あぁ連れがいんのか。って誰だ?」



 オヤジさんは我々パーティでお世話になっていたこの酒場の先代マスターであり、俺に探索者としてのイロハを叩き込んでくれた師匠であるとニアに紹介する。



「わあ、ご主人様のお師匠様なんですね、初めまして、ニアと言います。よろしくお願いします」



 む、初対面にしてはやけに好感度が高めの反応である。なんだ、年がいっている方が良いとでもいうのか…?いや、あまりにも見苦しい嫉妬である。平常心だ、平常心。



「お、おう、よろしく、な」



 オヤジさんも彼らしからぬ歯切れの悪い挨拶を返す。ふん、どうせニアの可愛さにやられたのであろう。俺と似たり寄ったりの反応である。引き分けだな。



 奥にニアを連れて行こうとするとオヤジさんに腕を掴まれて耳打ちされる。



「おい、どういうことだ。こんなお嬢様をおめえ、まさか攫ったのか?さすがにやべえぞソレは、しかしご主人様て」



 ひどい言いがかりである。彼女は俺の同居人であり、当然どこからか攫ってきたわけではないことをはっきりと告げる。サーシャはまだ冗談であったが、完全に疑っているトーンで話されたのですこし落ち込んだ。



「いや、おまえ、だって…なんか騙されていたりとかはしないか?困ったら相談に乗るぞ」



 何のかんの言っても結局は心配してくれるオヤジさんはいい人だ。さっき嫉妬してしまったことを心の中で謝る。ニアと同じ空気を吸うくらいは許容してあげようじゃないか。



 奥の個室に入るとニアは自然に俺の隣へと座る。うーん、バランスが悪い、ような?訂正する間もなく定位置に収まった彼女にパイはどちらがいいかと聞いてみることにした。



 オヤジさん仕込みのパイは美味い。肉でもベリーでもきっと満足させてくれるはずだ。オヤジさんがたまにいるときは当たりの日だと思っていたが、ここしばらくはオヤジさんによるパイ尽くしになるということだろうか、それは当たりの日と言えるのだろうか…?



「…ミートパイと、ベリーパイ…」



 ニアはニアで考え込んでいる。ここのパイは大きめであるが、俺なら二人前でもなんとか食べ切ることが可能だ。彼女が全然食べられなかったとしても問題ないので、二種類頼んで分けて食べることを提案する。



「わあ!それがいいです、そうしましょう!」



 店員を呼び、パイ二種類とエールを注文。ニアは酒は飲むだろうかと聞くと首を振ったので、果実水を頼む。



 混んでいるにしては早めにテーブルに料理が運ばれてきた。パイを見ると焼きたてではない、早いのも納得である。料理を持ってきてくれた店員の我々を見る生暖かい目線との温度差を感じた。



 温かいパイは客足が落ち着いたときにまた食べに来ればよいだろう、さっそくパイを切り分ける。



 まずは二人そろってミートパイを一口。さくりとした感触が歯に伝わり、嚙み締めれば口の中にしっとりとした肉のうま味が広がった。冷めているおかげか塩味を強く感じ、しっかりと調和のとれた味に満足だ。軽くエールで流し込み、やはりここのパイは美味いと再確認する。



 ニアは一口パイをかじった後にしばらく硬直してしまったので、口に合わなかっただろうかと心配しているとやがて動き出し、なかなかの勢いでパイを口に運ぶ。



 どうやらお気に召したようだ。夢中でミートパイを頬張る彼女を見つめていると、やや興奮した面持ちで口を開く。



「これ、すごく美味しいです!すごい、こんなおいしいものがあるなんて…」



 これはオヤジさんの仕込んだパイでとても評判がいい事、温かいのもまた違った美味しさがあるのでまた別の機会に食べようと伝える。



「はい、楽しみです!さすがはご主人様のお師匠様ですね。すごいなあ…うーん」



 ニアは口をもぐもぐとさせて考え込んだ後、ごくりと口の中の物を飲み込んでこんなことを言ってきた。



「…私にもこんな料理が作れるようになるでしょうか」



 当然だ。あんな口よりも早く手が出る厳ついおっさんより、ニアにこねられた食材の方が能力を発揮するのは自明の理。しかしその本音を隠して、すぐにというわけにはいかないだろうが、修練すればきっと大丈夫だと伝える。そうだ、料理の基本はサーシャに学べばいい。彼女は料理も得意だし、使い方は知らないが我が家にはオーブンもあるのだ。



 しかし、ニアの手料理か。それはとても良いものだろうと口が緩む。



「そっか、そうですね!サーシャさんが来るのが楽しみになってきました」



 そのまま二人でミートパイを平らげる。こんなに気に入ってくれたのであれば持ち帰りを頼んでもいいかもしれない。数日は持つだろうし、明日の昼飯には最適だろう。店員を呼び、持ち帰りが準備できるか聞いてみよう。



「あ、いらっっしゃい。奥使ってたんだねー、声かけてくれればいいのにーってうわ、隣の子初めてだよね?彼女さん?へー可愛いじゃん」



 やや垂れた目に小麦色の肌。ゆるりとウェーブのかかった黒髪をバレッタで後ろにまとめ、気軽な調子で声をかけてきたのは誰あろう酒場の看板娘のご登場である。彼女は手慣れた様子で向かいに座ってこちらを見つめる、紹介してよね、ということだろう。



 ニアに彼女はオヤジさんの息子の嫁であると紹介し、こんなところでサボっていて大丈夫かと尋ねる。



「そそ、看板娘兼女将さんのノワールだよー。今は夜が忙しくてさー、昼は適度に休憩しながらやってるから気にしない気にしない」



「お、おっきい…いえ、えっと、私はニアです。よろしくお願いします。今はご主人様のところでお世話になっているというかなんて言うか…」



「そっかそっか、ニアちゃんよろしくねー。うーん、かわいい子だねー。何かあればお姉さんに相談してね?でもびっくりしたよー、てっきりメンバーの誰かとっって、この話はいいか。で、飲み物のお替り?」



 ノワールに飲み物のお替りと、帰り際にパイの持ち帰りは可能かと聞いてみる。



「あー…ごめんね、ミートパイはちょっと厳しいかも。あ、そっちのベリーパイなら大丈夫だよ。お義父さんから習いながらあたしが仕込んだ奴なんだー、食べてみてよ」



 勧められるままベリーパイを手に持つ。見た目は特にオヤジさんの物と変わらないように見える。味はどうであろうかと一口かじれば、こちらもさくりとした歯ざわりが楽しい。ベリーの酸味とさっぱりとした甘みのバランスが良く、後を引くような美味しさである。



 ニアを見ると一口食べた後にまた硬直していた。再び動き出すところを観察しようとじっと見つめる。



「どうだった?一応店に出すのを許可してもらえんだけど、常連さんに聞くのはちょっと怖くてさー」



 観察の構えに移行したのだが遮られてしまった。俺も常連なんだがと苦笑し、オヤジさんのと変わらないほどうまいと答えた。



「ホント?うれしい!レシピは一緒なんだけど、どうしても同じ味にならなくて苦労したんだよー、まだまだなところもあるけどさ、へへー、ちょっと自信付いたかも」



「感動しました…私もノワールさんみたいに、いつかこんな美味しいパイが作れるようにお料理頑張ろうって思います」



 目を離していた隙にニアが再起動していたようだ。こちらのパイも気に入ったようで良かった。やはり肉と甘味は人に対する本能的なおいしさを持っていると思う。肉を甘くすればもしかしてすごく美味かったりするのか。



「ニアちゃんもありがとー、へー、料理の勉強してるんだ?そうだ!ニアちゃんさえよければうちの酒場で働かない?特別報酬としてパイのレシピをこっそり教えちゃうよ、なーんちゃって」



「本当ですか!?ぜひお願いします!ご主人様、もしよければ私ここで働きたいと思います。どうでしょうか」



「えっ、とー、マジ?あれ、ホントに?」



 頭の中でやったこともない創作料理を作っていたら思わぬ方向に話が転がっている。



 ノワールが困り顔でこちらを見てくるので、本人が希望するのであれば俺の方から無理に止めることはない。こちらも考えをまとめるからそちらも話を進めてくれと伝える。



「こんな子を働かせちゃって大丈夫?あたし怒られたりしない?…え、大丈夫?マジかー。…確かにうちも今忙しいし、信用できる人なら大歓迎だよ、料理もできるならなおさらね」



「あっと…お料理はこれから習う予定なだけで、えっと、すみません。それ以外もしっかりとお手伝いできるかどうか…」



「大丈夫大丈夫、いきなりお客さんの前に出したりしないから。最初は見習いって形で少しずつ覚えていけばいいんじゃないかな。ある程度形になったらお給金を出すからさ。あ、賄いは最初から出すからご飯の心配はしなくていいよー」



 ニアの働き口としてここを選ぶとしたらと考えてみる。



 まずこの店であれば信用できるという点で合格。オヤジさんをはじめとして、マスター、ノワール、馴染みの店員と揃っており、困ったときには手を貸してくれるはずだ。



 仕事内容としては接客がメインになるとしたらニアの愛嬌からして高い適性があると踏む。時間帯も酒場の営業時間的に昼前から夕方のシフトを組めるだろう。



 問題点としては、まずここの客層。マシとはいってもロクデナシの上澄みなだけで、全面的に信用はできないこと、自宅からはそこそこの距離があること、ニアのスキルが不明であることくらいであろうか。



 大きな問題はないと思うが、サーシャにも相談するべき案件と判断する。両名に働きたい方向で考えたいので準備を含めて少し待って欲しいと伝える。



「りょーかい。決まったら連絡してね、エプロンだけは制服として貸与できるけど、自前のエプロンでもいいからそこら辺は相談してねー、じゃーあたしは戻るから、ごゆっくりー」



 ひらひらと手を振ってノワールは仕事に戻っていった。そうか、やはり服も必要だ、相談がてらサーシャに任せることにしよう。



 注文していたエールを口にしつつ、ベリーパイを頬張るニアを見つめる。食べている姿だけでこんなに和む生物がいたとは驚きである。世界は広い。



 帰り際に持ち帰りのパイを受け取り外に出れば、日は大きく傾きつつある。少しゆっくりとしすぎてしまったようだと、やや足早に食料品店へと向かった。


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