20.伝説の封印
明日は安息日であるので、最低でも明日までの食料を買い込んでおく必要がある。宅配サービスを利用してもいいのだが、正直料理のために何を買っておけばよいのかがわからない。週初からは隔日でサーシャが来てくれるので、それ以降はサーシャに一任してしまおう。
今日はとにかくパンとチーズと燻製肉だ、ワインも買っておこう。いつも買うような保存性を考慮したものでなくて良いのだが、おかげで探すのに少し手間取ってしまった。ニアを見ると何かを見つめていた。視線を辿ると何かの乾物が陳列された棚が目に入る。
あの色は杏子か、夏場に採れたものを乾燥させたものであろう。ドライフルーツは保全性にも優れ、探索者の女性にも人気があり、探索中のお楽しみとして必ず携行するものもいた。
我らがパーティではリリアがそうだった。彼女のそのささやかな贅沢品は疲れた体に染み渡るような味わいであり、もうひとつくれと言うとすごく微妙な顔をするので、お替り厳禁だ。
懐かしく思い、干し杏子を一袋掴む。ニアは恥ずかしそうにしていたが、この程度のおねだりなど可愛いものである。
本日の予定はすべてこなせた。背負い袋に入る食料品と持ち帰り用のパイ、ニアの抱きしめる布袋に、彼女の指にきらりと光るプロテクションリング。ダンジョンから戦利品を持って帰るときのような何とも言えない充実感があった。
夕暮れ道をニアと並んで帰路につく。自宅に帰るときに誰かと並んで帰るのがこんなにも心地の良い時間に感じられるとは驚きである。おかげであっという間の帰宅となった。
自宅の門をくぐり、玄関を開けるとニアにちょいちょいと袖を引かれる。振り向くとニアは先に玄関に入り、こちらを見上げてニコリとする。
「おかえりなさい、ご主人様」
何がこんなに心を揺さぶるのかはわからない。
帰宅の挨拶なんて親が生きているとき以来だ。気の利いたセリフも思いつかず、錆びついた喉から「ただいま」と絞り出すと同時にニアを抱きしめる。親と別れた時以来に頬を伝うものを彼女に悟られまいと、俺は無言でニアを抱きしめ続けた。
落ち着くまでに少し時間がかかってしまったようだ、家の中が暗い。さすがに気恥しいが、恥ずかしいついでだ。ニアを持ち上げてくるりと反転し、彼女を下ろしておかえりと声をかける。
ニアはその美しい青緑の瞳に涙を浮かべつつも、今日一番の笑顔で答えてくれた。
その後二人で風呂の準備をして、お湯が沸くまでの時間に夕食を食べようとした時である。
「ご主人様、ノワールさんのお店で働けるとしたら何をするのかわかりますか?事前に練習しておければ見習いの期間を短くできると思うんです」
酒場で働いた経験はないが、客として見える範囲の仕事を思い浮かべる。
注文、配膳、清掃、会計…は無理か。場末の酒場では注文ごとに金を払うものだが、あそこは一括会計だ。最低限の読み書き計算は必須技能であろう。見えない範囲の仕事であれば料理の仕込みや盛り付け、皿洗いと言ったところだろうかとニアに伝える。
「お料理とかはこれからとしても、読み書き計算ですか…さすがに無理です…」
まあ金の計算ができたとしても新人に任せる仕事ではあるまい。ある程度慣れてからになるだろうし、それまでにサーシャに家事を習う以外にも教えてもらうというのはどうだろう。俺でも一応簡単な読み書き程度なら教えられると思うが、計算については自信がない。なんだ割り算とは、割り切れない数字を割ろうとするなど言語道断である。
「わあ、私にもできるようになるでしょうか。家事を頑張ればお勉強ができるなんて夢みたいです。お仕事にも活かせるし、本だって読めるようになりますよね。でもまずは家事を頑張らないと、よし、頑張るぞ」
やる気が出たのは何よりだ。それが次の楽しみに繋がるならなおさらなのだろう。読めるようになったら貸本屋にでも連れて行ってやろうか。
俺はニアの更なるやる気を引き出そうと、事前練習であれば給仕の練習くらいはできるんじゃないかと思いつきで口にする。ままごとの域を出ないが、注文を取って配膳するのだ。今のニアの格好は外出用の装備を外しただけのシャツ姿。これではいけない、今日買ってきた服に適当なものがあればそれを着れば気分も出るのではないだろうか。
「ぜひお願いっ…あっ、ごめんなさい。えっと、お腹が減ってしまったので、食べ終わってお風呂に入った後にお願いできますか?」
ニアの言うとおりだ。俺に給仕をしたら彼女が飯を食えないではないか。己の浅はかさに呆れてしまう。気を取り直して二人で夕食をとる。しかし、風呂か。一人で入りなさいというのもアレだが、二人で入るのは…我慢ができなくなりそうで怖い。
「わあ、これとっても美味しいですね。前のもおいしかったですけど、こんな贅沢いいのかな…」
保存性よりも味を重視したはずの味は俺にはよくわからなかった。
§
結論から言えば俺は耐えきった。鋼の意思でどうにかした。ほとんど目を瞑っていたので意思は関係なかったかもしれない。いや、後ろから髪や背中を洗ってやるときは目を開けていた。意志の力の勝利である。
しかし、この戦いは風呂に入るたびにやるのか…そもそも我慢しなければならないのか?いや、相手の負担を考えてのことだ。自制ができないから我慢するのだ。逆に言えば自制できれば我慢しなくていいのか。自制できない位だから我慢が効かないのか。
愚にもつかないことを考えているとニアの着替えが終わったようだ。本日買ってきた部屋着のお披露目会というやつである。
俺の脳裏に苦い記憶が蘇る。前にもこんなことがあったのだ。ゲンジ曰くハッションショーだかファッソンソーである。
あの時はリリアが珍しくひらひらとした服を着ており、二着目に着替えた後に我々に「どう?」と聞いてきたのだ。
俺はその意味を測りかね、隣のグリンに間違い探しなら色が違うよなと小声で尋ねた。直後、後頭部に強めの衝撃が走り、後ろを振り向くとロマが有無を言わさぬ雰囲気で「キミは黙っていたまえ、意見を求められたらとにかく肯定するんだ、いいね」と言うものだからその通りにした。
ゲンジが何やら褒めて、ロマとグリンが意見を言い、俺は首を縦に振るだけの地獄みたいな時間である。その時メンバーではクロウだけ欠席。さすがの危機察知力であった。
「着替えが終わりました」
運命の時が来てしまった。一応あの後にお披露目会というのはどういうものかを教えてもらった。だが、知っていてもどう対応すれば良いかがわからない。知識もセンスもない俺に残された道は褒めること、これ一本である。覚悟を決めると同時にニアがリビングに姿を現す。
「どう、でしょうか」
どうもこうもなかった。彼女の姿を見た瞬間、鼓動がひときわ強く胸を打つ。一見、黒を基調としたドレスのように見えるが正式な名前は知らない。ただ、ひとつだけ言えるとすれば、とても人前に出せる格好ではなかった。
「まさか、ご主人様の前だけですよ。店主さんに見立ててもらったんです。着心地もよくて肌触りもすべすべで素敵です。ご主人様が黒と白が良いと言っていたので、一番近いものを選んでみました」
そう語りながら自分の服を撫でるニアの顔はどこか恍惚としており、服の手触りを悦んでいるようであった。
しかし、黒と白というのは給仕をしているときの店員の服や、サーシャが着るようなメイド服の話である。この格好はまるで俺が望んだみたいな言い草に言葉が詰まるも、俺の視線はニアに釘付けになってしまった。店主のいい仕事がこれでもかと光る。
装備品の一つにバトルドレスと呼ばれるものがある。体にぴたりとフィットしたフォルムで、額や首、胸部等の急所部分を金属や革で補強したものだ。基本的に敵の攻撃を受け止めない前提の役割の者であれば使える代物だ。ゲンジやクロウが好むタイプの装備である。あれの守るべきところを放棄した感じとでもいえばいいだろうか。
魔力も帯びない布製ではあるが、手甲や脛当のようなものもつけている。しかし、本来最も守るべき急所である正中線や脇、鼠径部があまりにも無防備だ。背中はぱっくりと開き、肩は丸出し。襟元はやや鋭角なV字に切れ込みが走り、ニアの白く美しい肌とのコントラストが眩しい。
胸も股間も隠れてはいる。しかし体に張り付くような生地であることに加えて部分的に透けており、そこにあるモノの全容がほぼ見えてしまっているのだ。本当に見えてはいけないところに向かってグラデーションのように生地の色が濃くなり、逆に想像を掻き立てる。
ここは心を鬼にして言うべきだ。清楚なニアにこんな淫らな格好をさせるのは容認できないと。きっと彼女の笑顔を曇らせてしまうだろう。だからなるべくそれを柔らかく伝えるのだ。意を決して口を開く、とても似合っているよと。俺はダメな奴だ。
「本当ですか?うれしいです。この服、なんですけど。ちょっと仕掛けがあって…ご主人様、ここに紐がありますよね、これを解いてくれませんか?」
そこをほどいたら、ダメだろう。まろび出るだろう。俺はその封印を解いた。
§
朝の鐘で目を覚ます。今日は安息日だ。隣で眠るニアを見つめて俺は昨夜の過ちを振り返る。
よく物語の中で解いてはいけない封印を解いてしまう愚か者がいるだろう。なぜそんなことをするのだ、それを解いたら魔王が復活するのだぞ。普通に考えればあり得ない。物語が進まないから仕方がないじゃないかと斜に構えた見方をしたものだが、今ならわかる。
ダメと知りつつも魔王を解き放つ者、つまり俺のようなダメな奴がいるということだ。
そして、魔王には勝てない。
相棒は聖剣ではないし、俺は物語の勇者ではないのだ。




