3 かしまし
手の中のマグを見つめる。あの人との関係もそうだけど、飛田先生とも、もう教師と生徒ではないんだ、としみじみ思えてきた。一人の男性をめぐって争った女同士。その点では対等なんだ。
引き戸がこんこん、とノックされて開いた。
美術の宮本綾先生が顔を出した。
にこにこしながら、英語科準備室の中をくるっと見回して、他に先生がいないことを確かめたようだった。
宮本先生がにんまり笑う。
「さっき、職員室で円城さんがこっちに向かってるって聞いたから。面白い空気になってるんじゃないかと思ってね。私もちょっとお邪魔していい?円城さんとお話ししたかったの」
面白い……空気?
飛田先生が微妙に困った表情で宮本先生を見ている。
……ああ、これは飛田先生、いろいろ宮本先生に話してるな。
飛田先生より、さらにちょっと年上の宮本先生。お若く見えるけど、もう四十超えちゃったぁ、と在学中にこぼしていたから……きっと、うん、まあそれくらいの年齢。
私が高校三年になった春から、それまでいたおじさん先生……山川先生だったっけ、の交代でうちの学校に来た。飛田先生はちょっとふっくらしていて、優しくて面倒見のよいタイプだけど、宮本先生はスリムでお洒落な綺麗系だ。
「辰巳先生と私、去年会ったのよ」
宮本先生は書類を入れたファイルと、ちゃっかりご自分のマグをもってきていた。
「飛田センセ、コーヒーいただくわね」と言うが早いか、手慣れた調子で、流しの方でコーヒーメーカーから注ぎはじめる。
椅子を動かして私のすぐ近くに座った。
三世代女子会になってしまった。
去年会った、というと、あの人――辰巳センセイがこの学校から転勤した後ということになる。私の卒業後、もう一年この学校に勤めてから、彼は近くの学校へ転勤した。
「……去年はもう、転勤して彼……辰巳センセイはこの学校にいなかったですよね?」
彼、のところで声が小さくなった私に、宮本先生が微笑む。
「うん。でも、去年の夏休みに、教養講座やってたの、あなたも知ってるでしょ?」
ああ……そういえば。
夏休みの間に、一般の方を対象に無料の教養講座を開いてたっけ。最近では高校でも地域との連携や、生涯学習についての取り組みを進めててね――と。
題材が源氏物語ということもあって、一般の方が退屈するのではないかと心配していた。高校生とは違って、大人の人たちに話すのは緊張するね……て笑ってた。
始まる前に、私も聴きに行っていい? と訊いてみたけど、さすがに女子大生が出席しては目立ちすぎるし、照れくさいよ、と断られてしまった。大学のゼミ合宿の時期と重なってたので、そのまま忘れていた。
「あの講座のこと、美術の神田先生が教えてくれたの。それで夏休みに源氏物語のお話を聴きに通ってね。辰巳センセイの授業、面白かったなぁ」
ぷくん。
心の中で、お餅が焼けてふくらみかけた。
こちらを見ている飛田先生の瞳が笑っているのに気づいて、またどぎまぎする……ああもう良く見てるなぁ。
「……その講座で、なんかあったんですか」
「うん。私にとって、去年の夏……あの講座の夏は、少し特別になったの。それで、あなたに届けてほしいものがあって……今日、ここに来るって聞いてたから」
宮本先生は、手元のファイルから、四角い封筒を取り出す。
厚みのある、真っ白な封筒はハガキより一回りほど大きい。
表書きには和風の、整ったフォントで大きく『辰巳祐司先生へ』とあった。




