5月27日――そして誰もいなくなった
ゴールデンウィーク明けの叶先輩との戦いからほぼ半月。
あれからは次の異能者が来ることも発見されることもなく、平々凡々な日々を過ごしている。
「オイ。また来てるぞ」
「……」
いや、平凡とは言い難いかもしれない。
休み時間の教室。異常の原因は、後ろの入口の戸を少し開け、顔を半分だけ覗かせている叶先輩。
「うふふふふふふ」
オプションに笑い声。
ホラーである。夜中だったら女子連中が泣きだすこと間違いなしで、男子も何人か漏らすであろう不気味さである。
「羨ましいよなー。あんな美人に惚れられるなんて」
「休み時間のたびに見に来るとかいじらしいよな」
しかしどういうわけか嫉妬混じりの視線を向けてくる男子連中。
最初はわざと的外れなことを言って励ましてくれているのかと思ったけれど、どうやらマジらしいのというのを最近になって知った。
どうも叶先輩の不気味なオーラは、異能持ちや僕のような氣の扱いを心得ている人間にしか感じ取れないらしい。
つまり僕を含めた数人にはどう見ても呪いのビデオから出てくる幽霊な叶先輩も、一般人の目には後輩に惚れてしまい話しかけようにも接点がなくて踏み切れない恥ずかしがりやな美少女に映るらしい。
不気味だと言ったら仲辻さんに窘められるわけだ。
ごめん仲辻さん。てっきり仲辻さんの感性が独特なせいかと。
「青葉……。アレ何とかならないの?」
そしてそんな叶先輩を見て、珍しく強張った顔で耳打ちしてくる結木さん。
結木さんも異能持ちの中では結構氣の扱いには長けているほうだから、叶先輩の不気味なオーラもビンビン感じているのだろう。
だからと言ってそこまで過剰反応するものかと思うだろうけれど、想像してみてほしい。本来休むべき時間のたびに視界の端に貞〇が出現する日常を。
「まあ悪い人じゃ……ないから」
「目線そらさずに言いなよ」
確認しようと視線を向けたら目が合ってしまい、ニヤリと笑う叶先輩。
思わず目をそらしたけれど、あれも一般人には花開くような笑顔にでも見えているのだろうか。
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最近の変化と言えば叶先輩のストーキングもあるけれど、結木さんがよくうちを訪問するようになったことがあげられる。
クロに会いに来ているわけではない。いや恐らくそれも大きな理由の一つなのだろうけれど、目的は氷雨さんだ。
どうも結木さんはその降ってわいたように手に入れた力を持て余しているらしい。
異能自体は制御できているのだけれど、問題は氣の増加による身体能力の向上。
僕と違って氣の練り方も運用方法も知らない結木さんは、体感的になんとなくで氣を使っていたのだけれど、たまに暴発していたらしい。
例えばちょっとした段差を飛び越えるときに跳びすぎてしまうだとか、卵割ろうとしたら粉砕してしまっただとか。
幸い今のところは特に怪我もしてないしさせていないけれど、体育の授業でバレーをしていて相手をアタックで粉砕でもしたら大事だ。
なので氣の扱いを氷雨さんに習っているわけだけれど、中々どうして筋がいいらしい。
細かい調整はまだまだだけれど、抑えるだけなら訓練を始めたその日のうちに習得してしまったとか。
まあ元々我流でそれなりには抑えこめていたので、すぐに慣れたというのもあるのだろう。
別に教わる必要なかったんじゃと思わないでもないけれど、変な癖がつかないうちにちゃんと矯正できたからどのみち必要な事だったのかもしれない。
「あれで結木さん変なとこで真面目だしなあ」
そして結木さんが道場で氷雨さんの手ほどきを受けている間に、僕は夕食の準備をすべく鍋で味噌をといでいる。
別にはぶられているとかではなく、元々夕食の当番は交代制だ。
最初は氷雨さんが全部やろうとしたのだけれど、居候の身で世話になりっぱなしなのは申し訳ないと半ば強引に家事の半分を奪い取ったのも懐かしい。
少し失敗もしたけれど。
お爺ちゃんと二人暮らしだった僕が、初めての女性との共同生活でやらかさないはずがない。
まあいい経験だったと思っておこう。思春期の男子が知ったら絶望するような経験もあったけれど。
「よし。そろそろ呼んでこようか」
いつの間にか足元に絡んできていたクロをひと撫でして、道場へと移動する。
ちなみにクロのごはんは時間制ではなく、エサ皿に大量に盛っていつでもお食べなさい状態になっている。
日中世話ができないためにそうなったのだけれど、クロはやはり頭がいいらしく今のところ食べ過ぎたりする様子はない。
あと結木さんが来るたびに手でジャーキーやら魚の切り身やら食べさせたがるので、厳しく制限した上で許可してる。
その間当然のようににゃーにゃー言ってるのは聞かなかったことにしている。そうしないと無言で睨んでくるし。
というか見られたくないのに最近油断しすぎじゃないかな結木さん。
「ごはんできましたよー」
開けっ放しの道場の戸に手をかけ、中を覗きながら声をかける。
「お、丁度いい所に」
すると僕の顔を見た氷雨さんがいたずらっ子のような笑みを浮かべる。
「志龍ー。ちょっとこっちに歩いて来て」
「いや。今の流れで行くわけないでしょう」
ニヤニヤと手招きをしている氷雨さんだけれど、見えてる地雷に突撃する趣味は僕にはない。
隣で結木さんが不安そうな顔をしているのも危機感を煽る。
「来ないと志龍が小さい頃にやらかした話を月咲ちゃんに……」
「やめてください」
性質が悪い。
人の過去の恥部をばらすのもだけれど、肝心の僕がそれを覚えていないであろうことがさらにだ。
ともあれ、あることないこと吹き込まれても困るので、それなりに警戒しつつ氷雨さんと結木さんのところへと歩き始めたのだけれど
――パンッ。
「うわっ!?」
結木さんが柏手を打った瞬間、自分でもびっくりするくらい勢いよく両足が閉じた。
当然そんなことになれば歩みは止められ、しかし前に進んでいた上半身は勢いを殺せず体勢が崩れる。
半ば反射的に両手で受け身を取り、すぐに手を伸ばして反動で起き上がる。
「うわ、キモッ」
「酷い!」
一連の動きを見ての氷雨さんの感想。
確かに活きのいい芋虫みたいな動きだっただろうけれど、やらせた人が言うことじゃない。
どうやら効果はそれほど長くはないらしく、既に動くようになっていた足の調子を確かめながら口を開く。
「というか今の閉じる異能? あんなこともできるんだ」
「うん。私もできるとは思わなかった」
結木さんの閉じる異能は、一時的に変容した開く異能とは反対に無害な異能だと思っていたから完全に不意をつかれた。
しかし考えてみれば閉じる異能というのも妙な能力だ。
一体その「閉じる」とはどの程度の概念にまで通じるのだろうか。
「いや、これ相手の抵抗力にもよるんだろうけど、人体に使うなら結構えぐいわよ。さっきみたいに足を閉じさせる他にも、目を閉じさせるとかもできるみたいだし。あと喋ってる最中に口を閉じさせたら舌噛むかもしれないわね」
「地味にきついですね」
目を閉じさせられたら当然隙だらけになる。
目を閉じたって気配だの氣だので相手の行動は読めるだろうと思われそうだけれど、視覚情報に比べればどうしたって正確性や反応速度は落ちる。
まあ代わりに結木さんの両手も塞がるわけだけれど、一対一でなく補助的に使うなら確かにえぐい能力だ。
「あと意外だったんだけどね――」
その後氷雨さんが語った結木さんの異能は、確かに意外なものだった。
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――夢を見ている。
それが今なのか過去なのか、それとも未来なのかは分からない。
ただ手足にいくら力を加えても動かせず、波間を漂うように不安定な感覚から、これが夢なのだろうと悟る。
「……」
周囲には規則正しく並んだ椅子に腰かける多くの人。
そのほぼ中央に座った僕の左右に見知った少女が居る。誰なのかは分からない。
ただ左側の少女は俯いていて、右側の少女は不安そうに僕を見ているのが分かった。
そして僕はそんな二人に見向きもせずに、ただずっと正面を見つめている。
そこにはせり上がった舞台と、その上で跪く役者のような子供たちの姿があった。
何をしているのかはよく見えない。ただ必死に「死なないで」と叫ぶ甲高い声が響いていた。
――でも死んだ。
――おまえが殺した。
舞台の上からの声じゃない。
すぐ近くから抑揚のない、しかしとんでもない悪意を煮詰めたような怨嗟の声が聞こえて、僕は周囲を見渡す。
――なんであの子が。
――何故おまえが。
周囲の他の観客たちが、不自然に大きく目を見開いて僕を見ていた。
そして口々に悼んでいる。罵っている。
死んでしまったあの子と、生き残ってしまった僕を。
――何故おまえが生きている!
そう誰かが叫ぶと同時に、観客たちが一斉に僕目がけて襲いかかってきて、僕は何もできずに殺された。
現在か過去か未来か分からない記録。
それを僕が見るのは、全てが終わった後だった。




