5月11日――
愛しているよと父は言った。
愛しているわと母は言った。
愛されている私は幸せで、私の愛する両親も幸せだった。
愛しているからと父は言った。
愛しているけどと母は言った。
愛されている私は戸惑って、私の愛は彷徨った。
愛しているのにと父は言った。
愛していたのにと母は言った。
愛されている私は歪んで、私の愛も歪んでいった。
そして私は取り残されて一人になった。
愛していると言いながら、愛に溺れて彼らは私を捨てて居なくなった。
私の愛と彼らの愛は違うのだと、愛に切り刻まれた体を抱えて理解した。
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「うわっ。右足折れてるわね」
「マジですか」
叶先輩との戦いも終わり氷雨さんに助けを求めたところ、何の変哲もないワゴン車が校庭に突っ込んできたと思ったらそのまま拉致された。
そして何が何だか分からない家まで連行されたわけだけれど、僕の体を診ていた氷雨さんが眉をひそめると無慈悲に怪我の度合いを告げる
「こう、すねのあたりにヒビが」
「なんだヒビですか。脅かさないでくださいよ」
「いやヒビだって骨折扱いだからね。というか何でそんなに冷静なの?」
何でと言われても。あの金庫みたいに無駄にでかい棚に挟まれたとき、落ちた機材か何かしらないが、右足が何かに挟まれたのには気付いていた。
クッション(叶先輩)で受け止めた棚と違って、右足には直撃してたから、他より重傷だろうなとは思っていたのだ。
「それにヒビくらいならお爺ちゃんにも入れられてましたし」
「何やってんのあの人」
真顔で驚いている様子の氷雨さん。
やはりお爺ちゃんのあの実戦稽古は異常だったのだろうか。
異能に関わってるような氷雨さんなら似たような稽古をされていたのだとばかり。
「逆に何でそこまでされて氣の運用は教わってないの。氣の練り方はそうとは知らずにやってたみたいだけど、それだって瞑想のついでだったみたいだし」
「氣に頼らせないためじゃないですか?」
実際氣というのは異能ほどでたらめではないけれど理不尽ではある。
例えば結木さんはその気になれば複数の暴漢に襲われても一方的に叩きのめせるだろう。
異能抜きの氣による身体能力の強化だけでだ。
圧倒的な力の前には技なんて通じない。それでは技の鍛錬を怠るかもしれない。
ある程度分別のつく今ならともかく、子供の頃に氣が使えたら間違いなく僕は調子に乗っていたことだろう。
「それよりも叶先輩はどうなんですか?」
そう言いながら、隣の部屋へと続く襖へと視線を向ける。
決着がついた後、さすがに僕も全身が痛かったので、叶先輩については生死の確認程度しかしていない。
いきなり起き上がって襲いかかってきそうだから近づきたくなかったのもあるけれど。
「あっちは軽い打ち身くらいでピンピンしてるわよ。本当に硬功だけずば抜けてるみたいね。ダメージだけなら間違いなく志龍のほうが大きいわよ」
「でしょうね」
そういう異能だったとはいえ、あれほど大量に広範囲のものを動かす力を持っているのだ。
氣の量だけなら間違いなく今まで会った異能者の中でもトップクラスだ。硬功以外も使えたなら、それだけで正面からの殴り合いでも僕に勝てたことだろう。
「ちょっと様子見てきます」
「気を付けてね。色々ヤバい子だから」
知ってます。というかむしろ氷雨さんは何を知っているのか。
「そういえば身元調査どうなったんですか? 国家権力使ってすぐ分かるもんなんですか?」
「あー、プライバシーの問題というか、子供には教えられないというか」
「大体分かりました」
ろくでもない人生歩んでそうだということは。
「志龍。真面目な忠告よ。あの子に優しくしちゃダメ」
しかし隣の部屋に行こうとテーブルに手をつき片足で立ち上がったところで、氷雨さんが冷たさすら感じさせる声でそう言った。
「……それは酷くないですか」
「真面目な忠告って言ったでしょ。貴方には荷が重いわ」
視線を向ければ有無を言わせない強い力の込められた瞳とぶつかった。
氷雨さんは座ったままだ。こちらが見下ろしているはずなのに、おまえ程度がと見下されている気になってくる。
「ああいう手合いが求めているのは救いではなく依存よ。手を差し伸べたって、立ち上がろうともせずに底なし沼に引きずり込んでくるの」
「だから最初から手を出すなと?」
「ええ。貴方があの子に惚れてて命かける覚悟があるっていうのなら、一緒に堕ちるのも一興だと思うけど、そうじゃないんでしょう。ある意味迦夜ちゃんみたいな対応が一番マシよ。希望だけ与えて突き放しておけば、その背に縋ろうと自分の足で歩き出すわ」
「……」
そう言って肩をすくめる氷雨さんに何も言えなかった。
要は叶先輩は重すぎるのだろう。しかも依存する相手を見つければ引き留めようとさらに重くなる。
救えない。まったくもって救えない。
だって本人が救いなんて求めていなくて、欲しているのは死出のつれ合いだ。
私を見て、愛してよと叫びながら、誰かを愛そうとしない見当違いの重い愛。
故にあの異能だったのだろうか。
「まあ別に惚れてるわけでもないから杞憂ですけどね」
「ほんとにー?」
何故かジト目で見てくる氷雨さんを背に、歩き出そうとしてやはり片足では怖いので四つん這いで襖へと向かう。
松葉杖はあるにはあるのだけれど畳の上ではあまり使いたくない。というか普通松葉杖って畳の上でも使っていいものなんだろうか。
「よっと」
膝立ちのまま襖をあければ、布団の上に寝かされた叶先輩と目が合い背筋に怖気が走った。
起きてるし。
しかも無表情にこっち見てるし。
え? 何コレどういう状態?
蛇っぽさがなくなったから改心したとか憑き物落ちた状態?
でも完全に感情抜け落ちてる感じの無表情が逆に恐いんですけど。
「……何で殺してくれないの」
何も変わってませんでした。
むしろ負けたせいでさらに極まったのかもしれない。
氷雨さんには優しくするなと言われたけれど、この人に優しくできる人ってどんな聖人だろうか。
「何でそんなに死にたいんですか」
膝立ちでズリズリと移動しながら聞いてみる。
この状態で襲われたら間違いなく一方的にやられるだろうけれど、隣の部屋には氷雨さんがいるから大丈夫だろう。
「だって私を見てくれるでしょう。私を覚えていてくれるでしょう。私を忘れて居なくなったりしないでしょう」
そう淡々と言う叶先輩は、今までのような怨念は感じないけれど、やはり静かに狂っているのかもしれない。
叶先輩は誰に見てほしかったのだろうか。
叶先輩は誰に忘れられてしまったのだろうか。
叶先輩はその誰かに忘れられるくらいなら、永遠になりたかったのだろうか。
「とりあえずこれ以上僕をどうこうするのはやめてくれますか?」
「嫌よ。だって貴方も居なくなるんでしょう。迦夜ちゃんみたいに」
これは重い。
居なくならないなどと気休めを口にできるような相手じゃない。
かと言ってずっとそばにいると約束するような相手ではそもそもない。
「だったらいい方法があるわ。貴方が私を殺せばいいの。そうすれば私は孤独じゃなくなるし、貴方はずっと私を覚えていてくれるでしょう」
氷雨さんの忠告の意味が分かってきた。
叶先輩の言い分に理屈はない。もはや一種の信仰だ。他人の信仰を説き伏せることほど不毛で無意味なことはない。
本気で相手をできないなら無視すべきだったのだ。あるいは勝手にしろと無関心を装って突き放すか。
「……叶先輩」
いくら悩んでも正解が分からない。
それでも悩んだ末に……。
「叶先輩ってめんどくさいですね」
なんかもうこの人ぶっちゃけても案外大丈夫なんじゃないかと思えてきた。
「……うぇ」
泣いた!?
「いやもう殺すとか殺されるとか何で発想がそんな物騒なんですか。忘れられたくないなら素直にそう言って甘えでもすればいいものを」
しかし気にせず追撃。
怯むな。怯んだら負けだ。女子泣かせた時点で負けな気もするけど気にするな。
「だ、だって恐いんだもの!」
「アンタのほうが恐いですよ。大体忘れられないために殺されるって何ですか。殺した人間忘れるような人でなしじゃなくて、殺した人間忘れずに背負い込むような人間見繕ってわざわざ殺されにくるって最低じゃないですか」
「う……あああああああああああん!」
完全に泣いた。どうやら意外に普通に話は通じるらしい。
よし。ともあれこれでこちらの立場が優位になった。
姿見くんか結木さんがいればよくないだろとつっこまれそうだけれど、今は叶先輩の深い部分に触れるべきじゃない。
「忘れられるのが恐いというのも分からなくはないですよ。だからまあ、叶先輩が物騒なことをしないなら友達付き合いくらいはしますよ」
そして少しだけ救いも見せて置く。
これならこちらに依存しつつも迷惑かけない程度の距離感を保ってくれるだろう。多分。
「うわあ……。やり口が洗脳臭いわあ」
後ろで姉貴分の呆れたような声がしたのは聞こえなかったことにする。
そもそも希望与えて突き放すのも手だって言ったの氷雨さんだし、僕は悪くない。
そう言い訳をして今後どうしたものかと頭を悩ませる羽目になった。
・フォーリンラブ
叶彩夢の異能。
この異能の支配下に置かれた物体には通常の重力の影響はなくなり、対象の心臓目がけて落下を始める。
物体にかかる力は弱くすることも可能だが重力以上にはならない。今後の叶彩夢の成長(堕落)によっては強めることができるようになる可能性もある。
効果範囲は能力者である叶の認識範囲内ならどこでも。肉眼で見えない場所でも氣による察知ができる範囲ならば異能の効果範囲内。
それ以上離れた場所でもカメラや望遠鏡等を用いて視認できれば干渉が可能となる。というか叶自身の視力が氣により強化されているのでマサイ族並。
物体を落とす対象は認識すればいいだけだが、対象へ落とす物体には口づけをする(体液をつける)必要がある。
つまり叶先輩はあらかじめ学校中の備品にキスをして回っていた。
紛うことなき変人である。




