5月10日――フォーリンラブ5
戦いは一方的だった。
それこそ知辺さんの人形のほうがまだ強かったと断言できるほどだ。
いくら叶さんが刃物を持っていたって、その使い方を分かっていないのでは意味がない。
当たってもそう深い傷にはならないだろうし、そもそも当たらない。
近接戦闘でのまぐれなんて素人と武術家の間では起こらない。
一発当たればひっくり返せる攻撃力すら叶さんにはないのだから。
「ハアッ!」
「ぐ!」
一気に踏み込み、回転を加えた氣を叶さんの胸元に叩き込む。
相手が女性だからと手加減する気は毛頭ない。手加減なんてものは強者にだけ許される慢心だ。
まともにくらえば呼吸が止まるような情けも容赦もない一撃。
それこそ意識がとんでもおかしくないのだけれど。
「ふふ……うふふふふふ」
「うわあ」
だというのに叶さんは平然と、それどころか嬉しそうに笑っている。
認めよう。戦技は完全に素人だけれど、氣の練度に関しては叶さんのほうが僕の何段階も上をいっている。
これは技術云々以前に、その身に宿る氣の総量に差がありすぎるからだ。
異能使いという特殊な力の使い手である故だろう。結木さんと同じように、単なる才だけで単純な出力で僕を上回っている。
だったら過去視に目覚めた僕の氣も上がってくれてもいいものだけれど、僕の場合は異能に目覚めたから氣が増えるタイプではなく、氣が増えたから異能に目覚めたタイプなのだろう。
僕と同じように元々氣を扱えた知辺さんも、イマジナリーフレンドに目覚めたからと言って劇的な変化はなかったらしい。
つまり少年漫画のお約束的に突然秘められた力が解放されるとかいう可能性は皆無なので、今の手持ちで何とかするしかない。
打撃は効かない。
ならあとは――。
「よっと!」
「あら?」
振り下ろされた包丁を弾き飛ばし、滑るように叶さんの背後に回り込む。
「ごめんなさい」
「ぐっ」
一応謝って、右手を叶さんの喉元に回す。
そして左手で後頭部を押さえながら、一気にその喉を締め上げた。
腕を使った絞め技。裸締などと呼ばれるものに近いそれだ。
「っ……!」
もしかしたらこれすらも耐えられるのではと思ったのだけれど、圧迫にはそれほど耐性がなかったのか、叶さんはろくに抵抗できず僕の腕を叩き始めた。
包丁がその手に残っていればこちらの腕をズタズタにされたのだろうけれど、その包丁も先ほど弾かれて遠くに転がっている。
よし。このまま締め落とす。
そう思ったところで、背中にトンと軽い衝撃が走った。
「……え?」
「かはっ!」
そして痛み、熱くなる。
思わず手を緩めた隙に叶さんに脱出されてしまったけれど、それどころじゃない。
僕の背中に何かが刺さってる。何かって、そりゃ一つしかないだろう。
「……ダメ。これじゃダメだわ」
「え?」
一体何故。そう僕が戸惑っている内に、叶さんは夜の闇に染まり始めた屋上から姿を消していた。
なんてことはない。単に屋内へと逃げただけだけれど、それを追う気にはなれなかった。
「……痛い」
腕をねじり、背中から何とか刺さっていたそれを抜き取る。
予想はしていたけれど、それは先ほどの攻防で叶さんの手から弾き飛ばされたはずの包丁だった。
幸いというべきかそれほど深く刺さったわけではないらしく、肺や心臓を傷つけてもいないだろう。
それでももう少し深く刺さっていればヤバかったのだろうけれど。
「……むしろ何で刺さらなかったんだろう?」
自身を含めたモノを飛ばす。恐らくそれが叶さんの異能だろう。
包丁もその異能で飛ばして僕の背中を急襲した。しかしならばこの程度で済んだのは何故だろうか。
在り得なかった過去では、一キロメートル以上離れた位置から飛来した弾丸は、その存在を視認できない速度で迫り胸を貫通していた。
あれよりも近い距離だったというのに、何故包丁は背中から僕の体を貫通したりしなかったのか。
貫通したら叶さんに刺さっていたというのは別にしても。
「苦し紛れだったのかな?」
どのみち機を逃したのは確かだろう。
だけど仕方ない。叶さんの異能もあの硬功も、小細工なしで正面突破できるような生半可な力じゃない。
それこそ本気で殺す気でいっても殺せるかどうかすら怪しいだろう。
そうなると輪人さんはあの自殺志願者を殺さずにどうやって手懐けたのか。
「とことん付き合うしかないのかな」
少なくとも殺し合いに付き合っている間は、あの遠距離からの一方的な狙撃はないかもしれない。
今はそう楽観するしかないだろう。
「……というか普通に痛い」
ともあれ、背中の傷を早いところ何とかした方がいいかもしれない。
結木さんのときは喉を徹底的に狙われていたけれど、今回は心臓。
また死にまくるという在り得なかった過去を見せられるかもしれない。そんな予感がした。




