第三章 五歳 02
侵攻兵力としてはかなりの大軍であり、冒険者では到底対抗できる戦力にはなりえない。
マルツの住民がとれる最良の選択は町を捨てて逃げ出すことだろう。
残って戦ったとして勝ち目はない。
かといって逃げた所で、コルドヴァルス王国が無くなれば国家全てが同じことになる。
どこかで戦って勝つしかない。ただそれは国家レベルでの反攻作戦の話で、個人レベルでどうこう出来る話ではない。
実際共和国軍が目前まで迫ったこの時点で、まだコルドヴァルス王国は軍の編成に手間取っている段階であった。
正確に言えば軍の編成と費用は各地の領主が担っており、徴兵もまた然り。貴族には兵役の義務があるのだが、それはとっくの昔に形骸化しており、近年は傭兵に置き換わっている。
共和国軍の侵攻に当たり初戦でリデンロッソ伯爵領の傭兵部隊は鎧袖一触、あっさりと共和国軍によって蹴散らされてしまっている。そこからは傭兵が集まらなくなった。負け戦に好き好んで参戦しようという傭兵などいない。
領民に対して徴兵を行い、自身が領主として指揮をとり戦うしかないのだが、それが出来ない。
その結果、略奪と破壊を繰り返しながら、共和国軍がマルツの目前まで接近してきていた。
今ライゼの目の前では、リビンとアルラが真剣に話し合っていた。
内容はもちろん逃げる算段だ。
この町で商売を初めて、家族を作り生活の基盤を作り上げてきた。
逃げ出すとなったら、ほとんどの資産を捨てていくことになる。
仕入れた商品も家も土地もすべて捨てて逃げ出すのだ。
理不尽極まりないが、家族の生命と比較できるはずもない。
選択の余地もなく、逃げ出す一択である。
「持って行くのは食料を中心に、金貨と宝石類だけでいいだろう」
結論を下すように言ったのはリビンである。
「武器や防具は置いていくの?」
アルラが聞いたのは店の商品のことである。
「一番いいやつだけ俺が装備して、後はすべて置いていく。馬車はできるだけ軽くしたい」
家族全員で逃げるために用意した馬車は一頭立てで、あまり多くの荷を乗せると逃げる途中で馬が潰れてしまう可能性があった。
それだけでなく、移動速度も落ちることになる。
「それじゃすぐに出る?」
すでに必要な荷物は荷台に積み込んであり、後は人間が乗り込めば出立できる。
今話していたのは、他に何か持って行く物はないのか、最終確認をしていたのだ。
「いや。日が落ちるのを待つ。すでに斥候が町の周辺に張り付いているはずだ。闇に紛れて逃げた方がいいだろう」
それがリビンの判断であった。
共和国軍が侵攻後にやってきた行動を見ると、ことごとく住人を鏖にしている。
逃げても追い詰めて木に吊している。ただ逃げても捕まって殺されることになる。
肝心なのは見られないように行動することである。
町の住人の殆どはすでにどんどん逃げ始めているが、フェイの家族はまだ留まっている。
それはリビンの判断によるものであった。
ただライゼの見るところ、どの判断がいいのかと言えば微妙な所だろう。
というのも、夜まで待つというのは、やはり貴重な時間を失うことになるからだ。
それだけでなく、よほど慎重に行動しなければ、夜間の行動は容易に裏目に出る。
夜間は魔物達の時間である。
経験を積んだ冒険者であっても、わざわざ夜間に魔物と戦うような愚行はしない。
それを乳飲み子を含めた子供三人を抱えて、逃走しなくてはならない。
リビンとアルラが優秀な冒険者といっても、今はパーティではなく二人きりだ。集団の魔物とのエンカウントは致命傷になりかねない。
それを恐れて速度を落とせば、共和国軍に追いつかれてしまう。家族全員で仲良く立木に吊される運命が待っている。
いつもは騒がしい姉のランも、親の様子が普通じゃ無いことを感じ取って、黙っている。
そして夜になった。
日が落ちると同時に行動を起こす。
斥候の目を盗むならば深夜に行動した方がいいのだろうが、やはり時間は貴重だった。
幌付きの小さな馬車を、馬一頭に引かせる。
これから先の逃避行のことを考えると、早駆けはできない。馬が潰れないようにいたわりつつできる限りの早さで歩かせるしかない。
荷台には子供達が乗り、リビンが降りて手綱を引いて、アルラが並んで歩いている。
少しでも馬に負担を掛けないように配慮しているのだ。
二人とも防具は軽装のものにして、馬の歩調に合わせて早足で歩いている。
荷台に載っているのは子供達ばかりだが、ライゼとしてはそれがありがたかった。
「ラ、ライゼ、安心して。も、もしもの時は姉さんが守るからね」
小さな杖を小さな手で握りしめながら姉のランが言ってくる。
最近初級の攻撃魔法を覚えたランである。
わずか七歳ということを考えれば、相当優秀であるが、それだけで戦えるわけではない。
声も杖を握りしめる手も、小さく震えているところを見ると怖がっているのは間違いない。
明りの無い真っ暗な幌付きの馬車の中。
がたがたと酷い揺れもあって、最悪のコンディション。
そんな状況で、弟であるライゼを守ると言ってのけたランはたいした姉であると、内心誇りに思える。
ただ、ライゼはずっと斥候の気を感じていた。
総数は10。そのうちライゼの馬車に気づいたのは3。
せっかく夜を待ったのだが、賭けには失敗したようだった。
もっとも、最初から分の悪い賭けであったのだから、想定の範囲内ではある。
放置しておくと後々やっかいなことになるのは間違いないので、この場でかたをつけておくことにする。
「姉さん。少しいなくなるけど内緒にしといてね?」
ライゼはランの耳元に口を寄せて囁くように言った。
「えっ? どういう……」
ライゼはランの言葉を最後まで聞かずに、気配を完全に消すと馬車の背後から飛び降りる。
足が地に着くと同時に、気を巡らし体重を極限まで緩和する。軽気と呼ばれる技で、筋力の無い今のライゼには必須の技法だ。
地を蹴ると高々と上空に舞い上がる。
音はほとんどしない。せいぜい木の葉が舞い落ちるくらいの音だ。
上空に舞い上がったライゼは軽気を解くと、一番近くの斥候に向かって落下する。
全体重を乗せたまま、地上二十メートルほどの位置からの自由落下。
地面にぶつかる寸前、斥候の頭に右腕を絡めて、体を巻き込むようにひねる。
すると、斥候の頭はまるで独楽のように回転し、ライゼの体をもう一度空中へと放り上げた。
もちろん、斥候は即死であった。
おそらく自分が死んだことにも気づいてはいないだろう。
再び落下する直前に、すぐ近くの斥候の顔面に向かってこぶし大の石を投げる。
斥候の頭を回転させたとき、地面からさらった石だった。
目の前で何かが起きた、そのくらいは判断できたかもしれない。
だが、石は男の顔面を砕きそのまま脳幹を破壊する。
即死だった。
もう一人いた斥候が、何が起きているの分からないまま慌てて腰のロングソードを抜こうとしている。
いい判断だとライゼは思ったが、あいにく斥候の運命は変わることはなかった。
地面に足がつくと同時に軽気を使い、ロングソードが抜き放たれる前に間合いを詰める。
斥候の目は、はっきりとライゼを認識し、驚いたようだが、そこで人生の幕が下りた。
首に左腕を絡めると同時に地面を蹴り、上から背後に回り込む反動を使って首をへし折ったのである。
男は自分の背後を逆さまの光景で見ながら、地面に倒れて動かなくなった。
馬車から出て、ここまで十秒とかかっていない。




