(三) 不変と救済
ゴミ箱さんのお話三話目です。よろしくお願いします。
昨夜未明、近くの中華屋で火事が起きた。
店は全焼、二階がご主人とその妻の二人の住居でもあったため、全てを無くしたことになる。幸い飛び火も命を落とした者もなく、火を消そうとした主人が軽い火傷をしただけだった。
そんな話をしている主婦らしき女が二人、バス停の屋根の下で立ち話をしていた。それを片方の女が知人らしき女に報告していた。バス停に鎮座する私は聞く聞かない関係なく、ただ傍聴していた。
「まさかあんなに燃えてると思わなくてびっくりしたわ。隣のお宅、煙ですすだらけ、飛び火はなかったし本当に良かった。風がないのが幸いしたわね。」
「へぇ~知らなかったわぁ、ほら私4泊5日でハワイ行ってたでしょ?」
「そうだったわね。火事はその間に起きたことだから、騒ぎを知らないのも無理ないわね。」
「そんなことよりも、その旅行でね、私スキューバーダイビングやったのよ~」
そんなこと?なのだろうか。
突然の会話の変更、人の不幸を案じるより、自分がいかに旅行を満喫したかを語る化粧の濃い女。
そんなものか、人の不幸とは。そんなものか他人は。確かに多くを案じすぎても疲れるだけだ。その先ずっとそれでは生きてはいけないだろう。私はそれを語るほど世界をしらないし、この場所しか知らないのだから。ただ、
寂しいなーー
人間は私の計り知れないほどいると聞く。だから人は大勢の中から自分と気の合うものを見つけ、一緒にいる。友人、知人、恋人、それから家族。
私はひとつだ。だから私とそんな間柄になるものはどこにもいない。
おっとこの思考、私には無意味なことだな。悪い癖がでるところだった。私はこの小さなバス停の小さなゴミ箱、人のいらなくなったものを入れて保管するのが私の仕事だ。そうそれで十分だ。
新緑とは呼ばれるにはもう幾日かたち、葉っぱも焦げるのではないかと思われるほどの日照りが続く。今日もその熱射が、私の目の前を差していた。直接浴びればこの鉄の身もかなり熱くなるだろう。バス停の屋根がかろうじて私を守ってくれている。ただ、どうしてもこの身を守れないときもある。
私には天敵が二ついる。
鴉と子どもだ。
鴉は私の元へ降り立ち、餌を求めて中身を物色する。荒らしまくったあげくゴミを散乱させ、汚し、清掃の爺さんの手を煩わせる。私が持てるかぎりの怒りを発っすれば、感の鋭い鴉はハッとして飛び立つが、鈍感な鴉ほど効き目がない。爺さんに手間をかけさせることを申し訳なく思う。私の仕事を邪魔するケダモノだ。
そして子どもは私を使って遊びだす。覗くだけなら害はないが、遠くから石を投げて的にする。入れるまでやり続けるから、何度もぶつけられて傷だらけになった。中高生は飲み残しや食べかけのものをそのまま捨てていく。そのせいで暑いこの時期は、特に腐敗臭が堪らなく酷い。私の中で飲み物がこぼれた瞬間のあのおぞましさは身がカタカタいうほど気持ちが悪い。あぁ嫌だ嫌だ。大抵のものは受け入れてきたが、この私でも受け入れがたいものがあるのだと、再認識させられたよ。子どもは悪戯の塊だ。
私はその二つの天敵が現れた場合、ただただ嵐が去るのをじっと耐えて待つのみである。
「ところであのゴミ箱も桔川さんが置いたんでしょ?」
突然の私の話題に驚く。思考をまた彼女らに移す。化粧の濃い女が語気を荒くしていた。
「本当に困ったもんだわ桔川さんには…余計なことばかりして。」
「ここのバス停には元々置いてなかったらしいわね。溜まったゴミも本人が片付けてるみたいだし、まぁいいんじゃない?」
「そうはいってもあの人のせいでうちは散々よ。自分勝手で、すぐ怒鳴る。うちの子供もあの人に怒鳴られて、とても怖い思いをしたんだから!奥さん亡くしてからますます頑固になって、だから一人なのよ。」
あの爺さんは『桔川』という名だったのだな。週に一度会っていたが、今初めて名を知った。それはいいとして、一人でいるのはそんなにダメなことなのか?
一人の理由は様々だ。爺さんには連れ合いの婆さんがいたらしいが、人の世の流れにそって死んでしまったのか。爺さんも私と一緒か。
「あの人があんな…酷いことしなければ正くんが泣くこともなかったのに。受験生のこの時期に最悪たわ。落ちたらあの人のせいなんだから!」
「そ、そう…」
ふむ…?なんだか歯切れが悪くなったな。
ただ爺さんの悪口はもう聞きたくない。何故そこまで言われなければならんのだ?爺さんはそんなに迷惑をかけたのか?仕事をこなす爺さんはいつも静かで淡々としているが、汚れた私を拭く手付きは優しく、瞳も穏やかに見える。人からどう見えていようが私にとっては唯一の繋がり。友と呼んでいいのなら彼のような者と友になりたいものだ。
まだ爺さんの悪口が続き、庇うことも反論も、聞こえてくる声を塞ぐこともできない私は、なんと無力な存在か……
「キャー!」
突然の叫びと我が身に起きた激しい衝撃はほぼ同時だった。始めは私自身もよく分からなかった。分かったのは横たわった私を憎らしげに見下ろすあの女の顔が近くに見えたこと。
カァー!カァー!
それは鴉の鳴き声。
そう、私は鴉によって横倒しにされたのだ。ゴミを漁ろうとしたのか、女が持つ荷物が目当てだったのかは分からんが、目測くを誤り突進し、ゴミ箱の私が転がり、中のゴミがたまたま隣に立っていた女に振りかかった。いつものように中には汚れた缶コーヒーが入っていて、見るも無惨な染みがスカートに広がっていた。
「なんなのよ!あの鴉!」
その鴉はあっという間に退き、カァーカァーと馬鹿にするように飛び去っていった。
「最悪だわ!私帰る!」
そう言って足早に住宅地へと向かっていった。それを呆気にとられたまま見送ったもう一人の女はここに残るようだ。その直後、バスが停車して客が降りてきた。この昼過ぎの時間、降りてくるのはまばら。買い出しに出た主婦や老婦人、学生らしき男女と中学生の男の子一人だった。その男の子が残った女の元へ歩み寄った。
「母さんただいま」
「お疲れ様、晶。塾どうだった?」
「うん…まぁまぁかな。ところでさ、さっきバスから見えたんだけど、正彦のお母さんと一緒だったの?」
「えっ、あぁそうよ。」
「何で仲良くするかなぁ。」
「仲良くとかじゃなくて、お付き合い。」
「そう言ったって一緒にいたじゃん。どうせまた返事ばかりしてたんだろ。」
これまた辛辣、だが正解だ。このパッとさえない母親は、終始相づちばかりだったぞ。少し体は小さいが、母親と違って意見をしっかり言える男の子だ。
「正彦が何やったか、忘れてないよね?」
「知ってるわよ…」
「あいつ僕の塾の友達を苛めてたんだぞ。学校が違うからって、気づけなかった僕も悪いけど、全然反省してないみたいだし。」
そのときの怒りを思い出したのか、悔しそうに吐き出した。
「もしあのままだったら、本当にどうなっていたか分かんないよ。かなり思いつめてたからね。」
「どうなっていたかって…確かに友達は辛かっただろうけど、縁起でもない。」
「親がそんなんだから駄目なんだよ。先生も酷い奴だった。お爺さんがいなかったらと思うと、ゾッとする。」
「桔川さんのことよね?」
「うん、あの人が友達を助けてくれたんだ。」
思い出した。
まだ暑くなる前のこと。新緑の葉に雨が当たり毎日の雨で、人も空気も淀んで見えていた。私もそうだった。
その頃、頻繁に私のゴミを漁るものがいたのだ。メガネをかけた男の子。制服を着ているから小学生ではない、がなんとも頼りなく体は細かった。そのせいで身長はあるはずなのに小さく見えた。
雨に濡れた体をさらし、ゴミ箱へと手を突っ込み、何かを探していた。ほどなく見つけた物はヨレヨレの教科書で、彼は汚れるのも構わず教科書を抱え、帰っていった。それが一度だけでなく三度続いた。服だったり、筆箱ったり、その都度拾うものはバラバラだったが、四度目はなかった。その四度目は、清掃しに来た爺さんが拾ったからだ。
珍しく眉間に皺を寄せ、考え込んでいた。私を拭く行為も虚ろ気で、パッと立ち上がったと思うと、いつもとは違う方向へと帰っていった。学校がある方へと、ある汚れたノートを持って。
「桔川のお爺さんがゴミ箱に捨てられていた友達のノートを見て、すぐに苛めって気づいたんだ。だってノートには酷い言葉がたくさん…書いてあったんだから…」
(ウザイ…キモイ…汚ない…死ね……)
晶は自分が言われた訳でもないのに今にも泣きそうに顔をくしゃりと歪め、下を向いた。
「ノートの名前と組を見て、桔川さんが学校に知らせに言ったんだ。組の先生も呼んで怒鳴ったらしいよ。それが正彦の仕業だって分かって、生徒会長でもあったから下ろされて、いい気味。見たかったなぁ悔しそうな顔。」
「そんなこと言うもんじゃないわ。」
「なんで?今言わなくていつ言うの?一番言いづらい事を言ったり、誰もやりたがらない事をする桔川さんは凄いよ!友達もやっと悪夢から解放されたって喜んでだよ。」
下を向いていた顔を上に向け、そういった晶の目に、力が戻っていた。
救われたのは彼もか。
人の世は時に残酷だ。私の想像もできないことでいざこざが起き、醜い争いが起きる。弱いものは押し潰され、生きるのを諦めてしまうものもいると聞く。なんと悲しい。なんと無力か。傍観者は多く、それが身を守ることもあるが、本当にそれでいいのか?
そんなものか、人の不幸とは。そんなものか他人は。
爺さんが行動を起こしたことは多くの人を動かし、一人を救った。正しい事をしたなんて爺さんは言わないだろう。ただ私は誇らしい。
時に不思議なものだな。今回私を助けてくれたのは、あのうるさい女に汚ないゴミをぶっかけてくれた鴉と、想いを代弁してくれた子供だったとは。天敵であるはずのあ奴らに救われた。感謝を伝えられないのが残念だが、これからは少しだけ大目にみてやろうと思う。
喧嘩しながら二人で住宅街へと帰っていく母と子は、それでも仲良く並んで歩く。会話は一人ではできない。
人の繋がりが羨ましいと思う瞬間だった。
いつもの時間にゴミを回収しに爺さんがやってきた。特に変わった様子もなく、いつも通り一人で。
もしかしてこれが強いということだろうか。分からないな、人の世は。それでも、私は爺さんがいつも通りで嬉しい。それは確かだ。
爺さんが綺麗に拭いてくれたあと、爽やかな風を受け、太陽で身を乾かし、日常がつつがなく過ぎる。
変わらない今日がやって来る保証はどこにもない。
変わらない人間がいることで、安心を得て、私は今日も、生きている。
読了ありがとうございました。
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