42話:再び王都へ
呪い。
ーーそれは物によって様々な種類があり、純真の魔女エメラルドが抱えるような呪いの瞳もあれば、その者自身に架せられた負の呪い等がある。いずれも強力な呪いであり、その者を苦しめる効果もあれば周りに危害を及ぼす程危険な呪いもある。中でも【死神の呪い】は呪いの中で一番恐ろしいと称される程凶悪な効果を持っており、それは死してなお初めて発動する死の呪いであった。
曰く、死神に気に入られ、普通の死を迎える事は出来ないと言う。曰く、死ぬ事を許されず、その者は死に続けると言う。曰く、その者は異形の姿と化すと言う。
そう言い伝えられているがなまじ伝説として語られている為、真意は定かでは無い。だがそれは確かに存在している。人々が忘れ去った闇の中で。
王都の裏路地で幼い少女が二人の男に手を引かれながら歩いていた。その様子はあまり歓迎出来る物では無く、少女の方も何処か様子がよそよそしかった。二人の男の身なりは悪く、少女の関係者のようにも見えない。無精髭を生やし、髪の毛もろくに洗っていないのか泥だらけ。所謂チンピラのような風貌をしていた。
「ねぇおじさん達。本当に言う通りに付いて行ったらお菓子くれるの?」
「ああ上げるとも。だから騒がず、大きな声も上げないで良い子にしてるんぞ」
幼気な少女の質問に対して男の一人にニヤニヤと醜い笑みを浮かべながら答えた。まだ善悪を知らぬ幼い少女はそれが優しい笑みとしか解釈できず、お菓子貰えると知って嬉しそうに笑顔を浮かべている。対して男達は邪悪な笑みを深めた。
それからどんどん少女は暗い通路の奥の方へと連れて行かれた。流石に怪しいと思ったのか、それとも自分の見知らぬ場所に連れてこられた事に不安を覚えたのか、少女の足取りが遅くなり、男達が立ち止まって振り返った。少女は怖がるように指を弄り、恐る恐る口を開く。
「ねぇ、まだ着かないの?私そろそろ帰らないと……」
「ククク……帰れると思ってたのかい?お嬢ちゃん」
「え?」
少女の質問を聞き終える事なく男の一人が笑いながらそう答えた。その手にはナイフが握られており、少女の表情が一瞬で凍り付く。流石に子供でもナイフを見ればこれが異常な状況だと分かり、弾かれたようにその場から後ろへと走り出した。だが子供の身体能力では大人二人から逃げられる訳も無く、あっという間に捕まるとその場に押し倒された。すぐ目の前ではナイフがちらつく。その先では男が汚い歯を見せながら笑っていた。
「いやぁぁぁぁぁああ!?」
「君みたいな子はさぁ。高く売れるんだよぉ。だからさ頼むよ、傷つけたら商品価値が下がるんだ。暴れないでくれ」
男は舌を出しながらそう言い、少女を怖がらせるようにわざと顔を近づける。少女はその男にナイフを突き付けられているせいで悲鳴を上げる事しか出来ない。加えて手足をもう一人の男に掴まれているせいで抵抗すら出来なかった。少女は涙を流し、せめての抵抗で首を横に振るう。だが男達はその必死な姿に笑うだけで残酷な事しかしなかった。
だがその時、建物の屋根から影が飛び降りた。それは重々しい音を立てながら路地裏へと降り立ち、思わず男二人は驚いた声を上げて振り返る。そして何が起こったのかも分からない内に吹き飛び、壁へとめり込んだ。男達は歯が抜け、手足が変な方向に向きながらうめき声を上げると壁から離れ、その場に崩れ落ちた。
「鼠共め……! なんて強欲で醜い魂だ」
それは黒い化け物だった。触手のような肉の塊で身体を覆われた巨大な人の姿をした何か。触手の隙間からは二つの光る目が見えており、それが赤く光りながら男達の事を睨みつけている。声は何重もの声が重なったような異質な声で、思わず倒れていた少女も失神してしまいそうな程の恐怖を感じ、呆然と口を開けて動けなくなっていた。
「ご、ごぶぁ……な、何だお前……ば、化け物ッ……」
「化け物?……化け物だとッ? この俺が、化け物だと言うか!! 鼠風情が!!」
怪物は咆哮を上げ、倒れながらも何とか逃げようとしている男の事を睨みつけた。その表情は触手で覆われて分からないが、触手の隙間から現れた牙が光、口らしき部分から業火のごとく荒ぶる声が噴出した。
逃げる男に怪物が歩み寄る。その足音はまるで魔物の咆哮のようで、一歩黒の触手で覆われた足を前に出す度に地響きが鳴った。男はあまりの恐怖で声にならない悲鳴を上げ、ただただ逃げようと地面を這う。だがあっという間に捕まってしまい、怪物が男の頭を鷲掴みにすると顔を近づけた。泥沼のようなこびりつく匂いがする。怪物が口を開くと、そこから死臭のような物が立ち昇って来た。
「良いか?俺は貴様ら鼠を狩る狩人だ。一匹残らず食い殺してやる。貴様らのような存在に明日は無い。永遠の闇の中に葬られるが良い!」
怪物はそう言うと片手で掴んだまま男を持ち上げ、思い切り腕を振るうと壁に投げつけた。ビタン、と肉がぶつかる音と壁が破壊される音が響き、男は小さなうめき声を上げると死んだように倒れてその場から動かなくなった。
最早誰も動く事は出来なかった。気絶した男も、恐怖で動けなくなったもう一人の男も、混乱で何一つ声を上げる事の出来ない少女も、ただ黙ってその怪物に頭を垂れる事しか出来なかった。
怪物は大きく肩を揺らして鼻を鳴らす。まるで野獣のごとく雄たけびを上げ、地面を蹴ると彼は街の影へと姿を消してしまった。
◇
王宮直属の騎士である聖騎士団。彼らは王宮及び街を守る為に常に街の警備に当たっている。そんな中、彼らにはここ最近ある悩みがあった。街の中で度々目撃される異形の者。その報告を聞く度に聖騎士団の隊長であるコーサルは大きなため息を吐いた。
聖騎士団の本拠地である会議室で彼は集まった資料を机の上で整理しながら頭を掻く。綺麗な銀色の髪が揺れ、彼の険しい顔つきに陰が落ちる。歳は三十代前後、顎髭を生やし、それ相応の筋肉質的な身体つきをした騎士としてふさわしい恰好をした甲冑を纏っている。
「今週で五件か……いい加減何とかしたいものだな」
「そうですね。民衆からも不安の声が上がっています。そろそろ手を打たなくてはなりません」
コーサルが机に肘を付きながら弱々しくそう言うと、隣で控えていた部下の男がそう言葉を続けた。
彼らが頭を抱える程の案件。それは今この机に散らばっている資料に載ってある共通の事柄であった。コーサルは資料に視線を移し、狼のようなその瞳を鋭く光らせながら睨むように文章を追った。
「王都に怪物現る……か。おとぎ話ではあるまいし。一体どうなってんだか」
一枚の資料を手に取ってコーサルはそう言い、再びため息を吐いた。
資料には王都に怪物が出現中と書かれている。一見その怪物とは魔物の事を指しそうだが、実際の所は違う。現在王都には正体不明の怪物としか表現出来ない何者かが徘徊しているのだ。目的は不明、目撃者も少ない。だが確かにそれは存在しており、夜な夜な街を歩き回っている。
「幸い現在の被害は街のチンピラ数名が負傷しただけです。ですがもしもこれが善良な一般人の方へと牙が剥けば……恐ろしい事になるでしょうね」
「何せその被害に遭った街のチンピラが裏の社会を牛耳ってる組織の傘下だからな。この化け物、まさか狙ってやった訳じゃ無いよな?」
部下の男はそう言い、コーサルもそれに同意するように頷く。
今の所怪物によっての被害は幾つかの建物の破壊と、街のチンピラ数名が負傷しただけ。だがその街のチンピラが不味かった。彼らは裏の社会で圧倒的な支配力を有している組織の傘下であり、例えチンピラであっても組織の一員を傷つけられた彼らは自分達の顔に泥が塗られたと考える。否が応でも怪物に復讐をしようとするのだ。これが意図的に行われた物なのかは分からないが、コーサルは大きな揉め事が起こるだろうと予想して肩を震わせた。
「いずれにせよ民衆を怖がらせる怪物は捕まえるか退治しなくちゃならん。騎士団の皆に召集を掛けろ。怪物掃除だ」
コーサルは資料を纏めるとそれを部下の男に全て手渡し、そう命令した。部下の男は余計な事は言わず頷いて部屋を出ていく。会議室に残されたコーサルは椅子に座ったまま、険しい顔つきをして拳を強く握り締めた。
◇
「あの、シャティファール?私の身長やっぱり何だか少し低くなってませんか?心無しか胸の方も……」
「仕方無かろう。儀式で使った材料は何分急いで集めた物だからな……以前の身体を完璧に作り出す事なんて出来んさ。後、此処では我の事はシャティアと呼べ」
人が賑わう王都の道で二人の少女が歩いていた。片方は銀色の美しい髪をポニーテールで纏め、少女には似つかわしくない古ぼけたローブを纏った魔法使いのような見た目をした可憐な女の子。もう一人は銀髪の少女の子よりも少し背が高めで、金色の髪をおさげにして垂らし、澄んだ碧眼に人形のように整った容姿をした美しい少女。シャティアとエメラルドであった。
「それにしても久しぶりの王都は何やら騒がしいな。何か事件でもあったのか?」
「さっき街の人が噂をしていたのを聞きました。何でも怪物が出た、とか」
「ほぅ、怪物……」
シャティアは久しぶりに戻って来た王都の様子を見てふと首を傾げた。どうにも人々の表情が明るくない。ヒソヒソと小声で話し合っており、以前のような活気が無かった。その事を疑問に出すと、エメラルドが耳打ちをするように顔を近づけて情報を伝えた。それを聞いてシャティアは今度は興味を抱いたように笑みを浮かべた。
「我が留守にしていた間に随分と面白そうな事になっているでは無いか……クク」
シャティアはかつてゴーレムのせいで動かせなくなっていた片手を動かし、両腕を組みながらそう言った。
今再び、シャティアは王都へと戻って来た。勇者は見事エメラルドを復活させ、そのエメラルドの治癒魔法によってシャティアも腕を動かせるようになり完全復活した。全ての目的を終えて彼女は戻って来たのだ。本来は学園の方の面倒な事を終わらせる為に戻って来たのだが、シャティアは街が騒ぎになっている事に興味を覚え、意識をそちらに集中させた。
「何だか悪い顔をしてますよ。シャティア」
「む。そうか、気を付けんとな」
興味が湧くとシャティアはついついそれに意識が行ってしまい、無意識の内に喜びで笑ってしまう事がある。その事をエメラルドが指摘すると彼女は別に恥ずかしがる素振りも見せず口元に手を当てた。
「何にせよ、まずは面倒ごとを済ませんとな。行くぞエメラルド」
「はい、シャティア」
いずれにせよシャティアが動き出すにはロレイドや学園での件を済ませてからで無ければならない。シャティアはエメラルドと共に歩き出し、街の人混みの中へと紛れ込んで行った。




