第5話:黒髪の魔導学院教授 『エレナ』
その日の朝、工房の扉はこれまでにないほど激しく叩かれた。
「開けなさい! この工房の主は誰!? 昨夜、この一帯の地脈にパケット化された高密度魔力波形を流したのは貴方ね!」
飛び込んできたのは、乱れた白衣を翻した女性だった。知的な銀縁眼鏡の奥で、鋭い翡翠色の瞳が輝いている。王立魔導学院のエレナ・フォン・ストラトス教授。手には魔力波形を記録する羊皮紙を何枚も抱えていた。
「……測定中につき、ノックは控えめにお願いしたかったのですが」
「とぼけないで! 昨夜、ここから発信された波形……あれは何? 学院のスーパー魔石でも解析不能なプロトコルが組まれていたわ。これを作った『設計者』を出してちょうだい!」
エレナはおれの机に身を乗り出し、山積みの回路図を覗き込む。その拍子に、彼女の首筋から香る薬品と古い紙の匂いが鼻を突いた。
「……おれですが。あれは、ただのパケット通信の応用ですよ。ノイズ耐性を高めるために、地脈の定在波に同期させただけです」
「地脈に、同期……? そんなこと、計算機を数千台並べてもリアルタイムでは不可能よ! 理論上のインピーダンス整合が……」
そこからは、言葉の猛攻だった。エレナが投げかける専門的な問いに対し、おれは前世の通信工学をこの世界の概念に置換しながら、一つずつデバッグするように答えていく。その議論の最中、おれは彼女が持参した最新資料にある「古代の制御基板」の写しに目を留めた。
(……ほう。学院の連中が『解読不能な呪文』と呼んでいるこのパターン。おれから見れば、単なる三次元実装されたバス回路のルーティングだ。やはり、おれの実装知識とこの世界の「古代」は、同じ規格で動いている)
「……ミツバ? 貴方、今この『聖遺物』の記述を見て笑った? まさか、この意味が分かるとでも言うの?」 「いえ……少し、設計思想が合理的だなと思っただけですよ」
エレナの瞳に、異常なまでの好奇心が宿る。 「信じられない。貴方の話す『デジタル』だの『フィルタ』だのという概念。それは、数千年前の叙事詩に登場する『神々の言語』と酷似しているわ」
二人の間で、リディには理解できない専門用語が火花を散らす。ミツバの顔に「職人の悦び」が浮かんでいるのを見て、リディの表情が曇った。
「ちょっと、ミツバ! あたしを置いてけぼりにしないでよ!」
リディが二人の間に割って入り、おれの腕をぎゅっと抱え込む。 「ええい、邪魔をしないで! 今、世紀の発見を……って、貴女、その耳のイヤーカフ!」
エレナがリディの右耳を指差した。構造をスキャンさせろと迫るエレナに対し、リディが言い放つ。
「嫌よ! これはミツバが『あたし専用』に作ってくれたんだから!」
「……専用? この神速の演算デバイスを、特定の個人のバイタルに最適化したというの?」
エレナの頬が急速に朱に染まる。
「設計者のリソースをそんな私的な情愛に割くなんて……でも、その無駄に洗練された独占的な設計思想、嫌いじゃないわ」
彼女は眼鏡の位置を直すと、おれを射抜くような目で見つめた。
「決めたわ。ミツバ、私の専属助手になりなさい。貴方のロジックがあれば、世界が変わるわ」
「はああ!? ちょっと、何言ってんのよこの女教師!」
リディの抱きつく力が強まり、おれの右腕に柔らかな感触が押し付けられる。
(……まずい。前世でも仕様変更の揉め事は多々あったが、ヒロイン同士の競合を解決するデバッグ手法は、おれのソースコードには存在しないぞ)
45歳の精神を持つエンジニアは、二人の美女の視線に挟まれ、今日何度目かのアラートを脳内で鳴らすのだった。




