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第1話:銀髪の女冒険者『リディ』

「……まずいわね。完全に読み違えたわ」


深い森の中、彼女は剣を構えたまま息を吐いた。目の前には、闇に溶け込むような漆黒の体毛を持つシャドウウルフが三匹、低く唸り声を上げながら彼女を包囲している。


(まさか、こんな街道のすぐ近くにシャドウウルフの縄張りがあるなんて。……ううん、あたしがうっかり踏み込みすぎたのね。未熟だわ)


刻一刻と陽が落ちていく。木の隙間から差し込む光は細くなり、周囲の視認性は急激に低下していた。シャドウウルフは闇の中での狩りを得意とする魔物だ。完全に夜になれば、彼女に勝ち目はない。


(なんとか、陽が落ちきる前にここを脱出しないと。……来る!)


一匹のウルフが地面を蹴り、影となって彼女の喉元へ躍りかかった。



「おい、ミツバ。貴様はクビだ!」


 魔道具ギルド『ヘパイストス』のギルド長、ガリウスの怒号が、石造りの広間に反響した。それと同時に、おれが数ヶ月かけて焼き上げた『集積魔導回路チップ』が床に転がり、乾いた音を立てる。


「……理由を伺っても?」


「理由だと? 貴様の作るものはどれもこれも細かすぎて、現場の魔導師たちが使いこなせん! 先日の『高効率燃焼コントローラー』もそうだ。あんな繊細な出力調整など不要。魔法は『火力』だと言ったはずだ! マナをぶち込み、最大出力で敵を焼く。それがこのギルドの正義だ!」


 おれは足元に転がったチップを見つめた。


(……この男は知らない。魔法を『力』ではなく『情報シグナル』として扱えば、この豆粒一つで世界が変わることを。入力インプットに対して無駄なマナを垂れ流すことが、どれほど設計思想として前時代的かということを)


 おれが拠り所にしていたのは、地下の廃棄区画にある古びた「旧式ライン」だ。そこは出力こそ弱いが、マナを極めて精密な波長で制御できる、おれにとって最高の遊びサンドボックスだった。誰もが「出力不足のガラクタ」と呼んだその場所で、おれは前世のSEとしての知見を使い、現代の魔導師たちが気づきもしない微細な術式を組み上げてきた。


その後も結局、マナを「火力」として扱うか、「情報」として扱うかの議論はこれまで通り平行線に終わった。


「……分かりました。お世話になりました」


 おれはチップを拾い、丁寧に拭いてポケットに仕舞った。去り際、おれは地下の廃棄区画に立ち寄り、使い慣れた『デバッグ用工具キット』と、その光学コア『高精度焦点レンズ』を鞄に詰め、静かにギルドを後にした。これさえあれば、どこへ行ってもおれの実装ラインは再現できる。


 ◇


 石畳の道はいつしか土の匂いが混じる街道へと変わり、周囲の木々は深さを増していった。前世で言えば、都心のオフィスビルを飛び出して、いきなり山道の入り口に立たされたような感覚だ。


 45歳の精神には、この体力の消耗は少しばかりこたえる。だが、おれの足取りは軽かった。


「……ふぅ。街の境界ゲートウェイからこれだけ離れれば、マナのノイズも落ち着いてくるな。よし、本格的なフィールドテストを開始しよう」


 おれは足を止め、右目に装着した片眼鏡モノクル型のデバイス――『魔導ARゴーグル』の感度を調整した。


「システム起動。ブートローダー読み込み完了。回路駆動、安定……。よし、クロック同期シンクロ開始」


『スキャン開始。周辺半径百メートルのマナ分布を視覚化します』


 視界の端に青い透過文字が浮かび上がり、モノクロだった景色に色彩豊かな「情報」が重なっていく。木々の背後に潜む魔物の熱源、地面の下を流れる魔力ライン(地脈)、空気中のマナ濃度。すべてが数値化され、おれの脳へダイレクトに送り込まれる。


 陽が落ちた森を宛てもなく歩いていたおれの耳に、金属が激しくぶつかり合う高音と、獣の唸り声が届いた。


「……ん? 前方のマナ密度が急上昇しているな。これは戦闘か?」


 低出力の魔導ライトを掲げ、草むらをかき分ける。その先に広がっていた光景に、おれは息を呑んだ。


 月光が差し込む僅かな空間。そこで一人の少女が、数体の黒い影を相手に立ち回っていた。


 一瞬、思考がフリーズした。


 乱れた銀髪のショートボブが、夜風と返り血を孕んで月光を乱反射させている。琥珀色の瞳は、死の縁にありながらも燃えるような意志を宿し、敵を射抜いていた。

 切り裂かれた紺色のベースウェアから覗く白い肌と、そこに流れる朱色の鮮血。白銀の胸当てには無数の傷が刻まれ、砕けかけた肩当てが彼女の極限状態を物語っている。


 ボロボロの装備を纏いながらも、その姿は残酷なほどに、そして完成されたプログラムのように美しかった。


「ちょっと! どきなさいよ、死にたいの!?」


 銀髪の女冒険者が叫ぶ。彼女は鋭い剣筋で襲いかかる魔物を退けているが、その表情には焦燥が滲んでいた。  彼女の背後――そこには、夜の闇に完全に同化した『シャドウウルフ』の群れが、包囲網を狭めている。


「……十二匹。それも、この暗闇にシャドウウルフか。悪趣味な仕様バグだな」


 女冒険者は、見えない敵の気配に翻弄されていた。虚空を斬り、空振った隙を突いてシャドウウルフの爪が彼女の鎧をかすめる。


「くっ、どこなの!? 姿を見せなさいよ!」


 防戦一方。このままでは数分も持たずに囲い込まれ、嚙み殺される。  おれは溜息をつき、鞄から予備のゴーグルを取り出した。


「おい、これを使え!」


 おれは彼女の至近距離まで踏み込み、強引にゴーグルを押し付けた。


「なっ、いきなり何よ! こんな時に変な眼鏡なんて――」


「いいから装着しろ! 網膜に直接『解』を書き込んでやる。……システム起動。魔導抵抗の整合、外部干渉キャンセル実行。……よし、接続維持キープ


「な、何これ!? なんでこんなにはっきり見えるのよ!」


「左からくるぞ!」


 確信を得た彼女の剣が、閃光となって影を裂いた。彼女は自分の手を見つめて驚いていたが、それからの展開は早かった。


「情報の最適化。それがおれの魔法エンジニアリングですよ。おれの術式は、学院の魔導師たちが垂れ流す膨大なマナに比べれば、手元の明かりを灯す程度の魔力しか消費しません。ですが、その精度は彼らの最高級術式を凌駕します」


「・・・・?」


 女冒険者はゴーグルを外し、まじまじとおれを見た。その大きな瞳には、得体の知れないものへの不審感と、それ以上に、命を救われたことへの困惑が混ざり合っている。


「……あー、その、助かったわ。あんたの変な道具のおかげで、一度も剣を外さずに済んだみたいね。私はリディ。見ての通り、食い詰めかけの冒険者よ」


「ミツバです。エンジニアをしています」


「エンジニア? 聞いたことない職業ね。というか、ミツバ、あんたみたいな危なっかしい素人が、一人でこんなところ歩いてるんじゃないわよ! ……ったく。見たところ、まともな護衛もいないんでしょ? 街まで送ってあげるから、私の後ろを離れないこと。いいわね?」


「……ああ、助かります。お願いします、リディさん」


 彼女――リディはぶつぶつと文句を言いながらも、おれの鞄をひょいと持ち上げ、先を歩き始めた。どうやら、最初の「フィールドテスター」兼「護衛」が確保できたらしい。


 おれは、彼女の背中越しに見えるデータの集計を続けながら、エンジニア特有の満足感とともに歩き出した。

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