鈴蘭神社の御祭神
学校が終わり、俺は鈴蘭神社で掃除をしていた。参拝者には軽く会釈。
「今日も頑張ってるね~!」
「まだ高校生なんでしょ?」
神社に来る人は温かい人ばかりだ。
「ありがとうございます。もっと精進します」
話し終えると、ぽつぽつと雨が降ってきた。
「あれ、今日の予報じゃ雨は降らないはずなんだけどな」
周りにいた人は急いで休憩所に入っていく。雨脚が強まり、視界が灰色に染まった。泥臭い、そして雨特有の独特な匂いが鼻をつつく。
「いくらなんでもこれはやばいだろ」
スマホから突然、ブーッという音が鳴った。マナーモードにしていたはずなんだが。確認すると、圏外になっているのに、「大雨特別警報」と書かれた通知が来ていた。
「圏外っ!? 大雨特別警報?」
圏外なのは置いておいて、大雨特別警報なんてもう十年は見てないぞ。俺は、父さんがいる社務所に向かう前に、拝殿へと向かった。
賽銭箱の前に立ち、二礼、二拍手。
「どうか、この雨の災いをお鎮めください」
一礼。
俺が拝殿を背に、社務所に向かいだしたその時、
「うん、良いよ」
なんだ? この頭に直接話しかけられたみたいな感覚は。後ろを振り向くが、何もない。俺は混乱しつつも再度前へと走り出した。
「待って! 待ってよ」
まただ。俺は後ろを向いた。
「うわあっ!!」
なんだ、どこから出てきた? お化けか? そこには、さっきまではいなかった赤髪の少女が俺に手を伸ばしていた。かなりの美貌で、状況が状況じゃなかったら見惚れてしまうかもしれない。今も別の意味で見とれているが。
「そんなに驚かないで!」
目元を裾でこすってみる。でもそこにははっきりと存在している。足が固定されているみたいに重い。
「あ、あなたは? 参拝者、じゃないですよね?」
雨のせいか、状況のせいか。俺は唇が震えている。
「あたし? 神……かな」
こんな感じの人が?
「今、こんな感じの人が? って思ったでしょ」
俺は自分の心臓がドクン、と脈打つのを感じながらも声を絞り出した。
「な、なんでわかるんですか」
「神様だもん」
よく見ると、彼女は雨に濡れていない。でも、透けているわけでもない。三メートルは離れているのに、くっきりと姿が見える。
「じゃ、じゃあウチの御祭神……?」
鈴蘭神社で祀っている学業成就の神様だ。天啓雷霆神と呼ばれていて、全国有数の学問神社にも引けを取らない御利益があると、受験生の親の間で話題になっている。
「そうだよ! いつもありがとうって伝えといて、参拝者に」
もっと厳格なイメージだったが、クラスにも居てもおかしくない女子高生みたいだ。接しやすそうで、接しにくい。俺は同年代女子とはあまり話したことがない。それに、話しかける勇気もない。
「わかりました、伝えます」
「ありがとう」
それよりも雨だ。一メートル先の視界すら危うくなってきた。周りは森で囲まれていて、この雨が続けば土砂災害になりかねない。
「雨、どうにかして頂けるんですよね」
「それはあんた次第かな」
俺次第? 自然は俺個人が何かをして変えられるものなのか?
「それはどういう……?」
「あたしはサポートしかできないの。だから、あんた次第なの」
そういうことか、とはならなかった。サポートと言われても分からない。頭には自信があったんだけどな。
「今こうして話していること、姿を見たこと。他人に公言しないって誓える?」
「え、でも感謝を伝えるのでは……? 参拝者に」
天啓雷霆神様は、手で頭を抱え、髪の毛をぐしゃぐしゃとしている。
「あー!! それはどうにかしてよ。権宮司でしょ!?」
その瞬間、遠くに雷が落ちた。偶然か、意識してなのかがわかりにくい。
「そう言われ――」
「で、誓えるの? 誰であってもダメ」
神様の言うことが守れない権宮司がどこにいる。全国を探しても一人といないだろう。
「誓えます」
天啓雷霆神様は、軽くうなずくと、俺の顔をまっすぐと見つめた。不敬かもしれないが、この状況に割と慣れてきた俺は、彼女の顔から目が離せなかった。
「こっち来て」
手招きをしている彼女のもとへ急いだ。
「手、合わせて」
ハイタッチのような感じで、でもおどおどと震える指で彼女の手に合わせた。なんら変化も感じないが、森で助けた少女とは違い、手にはぬくもりがある。
「じゃ、あとはよろしく。これ、あげる」
受け取ったのは御守りだった。ここ、鈴蘭神社の見慣れた御守り。
「べ、別にあんたのためじゃないからね? 皆のためだから」
「ありがとうございます!」
そう言ったときにはもう彼女はいなかった。これで神であることの疑いが晴れた。
「さて、俺次第か。何をすればいいんだか」
まだ彼女のぬくもりが残っている。
腕を組んで、その場で立ち止まる。すると、鳥居の奥から雨音とともにピシャ、と足音が聞こえてきた。顔を向けても雨が邪魔で何も見えない。足音だけが近づいてくる。
「……ッ!」
俺は思わず一歩引いてしまった。徐々にシルエットが見えてきた。傘はさしていない。一メートルくらいまでの距離になったところでようやく見えた。能面らしきものを付けた長身の女性。髪は腰近くまで伸びていて、巫女さんのような服を着ている。そこで違和感に気づいてしまった。よく見ると、雨に濡れていないし足が地面についていない。浮いていた。動いてはいけない、そんな気がする。それでも不審人物を見逃せはしない。
「あの……あなたは……」
「雨、好き?」
俺の問いかけなんて聞超えていないようなまでの無視。催促させないほどの圧迫感があった。
「え、それはど――」
「雨、好き?」
俺に一歩近づいてきた。
「雨、好き? 雨、好き? 雨、好き? 雨、好き? 雨、好き? 雨、好き? 雨、好き? 雨、好き? 雨、好き? 雨、好き? 雨、好き? 雨、好き?」
低く落ち着いた声。一歩一歩と近づいてきて、俺の腕を撫でまわしてくる。亡くなった人に触られているみたいだ。心臓が脈打つたびに視界が揺れて見える。
「……お、音が好きです……」
そう言った瞬間、彼女は俺の体から手を離した。
「そう? じゃあもっともっと降らしてあげる」
彼女が腕を天に突き上げると、雨が強まってきた。もはや雨とは言い難い。雨粒が当たるたびに俺に痛みが走る。彼女はおそらく、神だ。しかも天候を操れる。
「あなただったんですね」
不思議と、心臓の鼓動が聞こえなくなっていた。
「雨、好きなんでしょ」
首をかしげている。
「好きとは言ましたが、ここまでの大雨は大嫌いです。今すぐやめてくれませんか」
「なんで」
また首をかしげている。
「被害を考えたことないんですか? 土砂災害、氾濫、どれも人を死に至らせるほどのものです」
顔は見えないが、「ふふ」という笑うような声が聞こえた。
「君が雨好きなら良いじゃん。他の人なんて」
一瞬ではあるが、周りの音が一切聞こえなくなった。それでも、体がしびれるような感覚だけはある。さっきまではなかったはずだ。
「良いわけあるか……命より大事な欲望が……あってたまるか」
しびれる感覚がより強くなってきているのがわかる。体の血が騒ぎ立てている。
「ええ……聞いてたのと違うなぁ」
俺の目の前にいた彼女は、突然姿を消した。キョロキョロと周囲を確認すると、彼女は木の上にいた。能面だったはずなのに、狐面に変わっている。
「なんだこの感じ……」
変わる面、天候を操る能力。「雨、好き?」と何度も聞いてくる異様なまでの雨好き。記憶の扉が開きそうで開かない。
「また今度、雨語りしようね」
雨脚が弱まってくると同時に、彼女はいなくなっていた。今度は本当に。
「ふぅ……」
体の力が抜けていくのを感じる。その場に座り、袴に入っていたスマホを確認する。圏外ではなく、4Gに戻っている。スマホニュースを開くと、たった二十分間で三百ミリメートルもの雨が降ったらしい。今思うと、足は水につかっていた気がする。俺は休憩所の人たちを案内し、社務所へと向かった。
「随分と汚れてしまったな」
袴はともかく、白衣の汚れが目立つ。着替え終えると、社務所の隅にあるテレビをつけた。今は十八時。普段であれば料理や動物特集をやっているが、先ほどの雨のニュースで埋め尽くされている。
「土砂災害が激しく、建物の倒壊も発見されています。近隣の方々は速やかに避難してください」
思い出したぞ! いきなり俺の記憶の扉が開いた。
「やっぱあれはただの絵本じゃなかったんだ……」
子どもの頃に何度も父さんに読み聞かせてもらった絵本。森で助けた少女を連想させる冷えた手、そして今日の状況。間違いない。
「あれは邪神だ」




