第8話 反旗
「……リアナ…………」
アルの声に反応を示すチャイナ衣装に身を包む守護天使の声はどこか虚ろ。呼び出されて間もないせいか意識がまだはっきりしていないのかもしれない。呼ばれた名前を記憶に刻むように辿々しく自ら発した。
「アルはこの守護天使……彼女のことを知っているのか?」
イラハの守護天使にするべく彼女を呼び出した時には、東洋服とも漢服とも言える姿を正面からしか見れなかったので気付かなかったが、彼女の背中越しに見るその背中を見ると服装のイメージが微妙に変わる。
背中と翼の付け根が見える形となっており、要するに背中がばっさり開いたセクシーな服なのだ。大きく立派な翼は背中の布面積をほぼ無くしてしまわないと服の着脱にさぞ苦労するのかもしれないが本当のところは本人に聞いてみないとわからない。
しかし、今はその話は限りなく後回しで良い。他に聞きたいことはいくらでもあるはずだ。
「あ――」
――けれども、イラハはすんでのところで言葉を呑み込んだ。
意図したわけではない。
二転三転する場の緊迫感がイラハの喉を急激に渇かせてしまう。
ただでさえ鋭く凶悪な目のアルがいっそう人相を悪くして、自分がリアナと呼ぶ目の前の天使を正視している。
「姫様っ!」
この場にいるもう一人の守護天使であるアンリは、アルが彼女に気を取られている隙にと思ったのかもしれない。
自分の主人の危機を感じたのか、無我夢中の様相でシーンのいる場所へと最短ルートで飛び出した。
だが、しかし、アンリが選んだ行き方はよりにもよってアルの真横を通る道だった――
「おい、ちょっと待て! ……って、あれ?」
てっきりアルに阻まれる……最悪アンリが攻撃されるんじゃないかと考えていたイラハだったが、イラハの悪い予想を良い意味で裏切る形で、アンリが何事もなくアルの真横を通り過ぎていく。
「彼女以外は眼中に無しってか……」
新たな守護天使を見るアルの目……それは――
「怒り……か? ――いや、違う……もっと別の……ごちゃごちゃした感じ、か……?」
「…………」
「そんなに随分と睨みつけて……彼女に何か思い入れでもあるのかしら? アル」
「そんな野蛮なやつと目を合わしてはいけません、姫様! …………ひっ――!」
シーンの隣に辿り着いたアンリが姫を諌めようとする――が、正面からアルと向き合うと怯えを含んだ一声をあげた。
だが、今のアルにはアンリに何の反応も示さない。
ついさっきまでイラハとシーンの命を問答無用で奪おうとしてきた相手と同一人物とは思えないほどに、アルの関心はリアナと呼ばれる守護天使に心奪われている。
端から見れば夢中と言っても良い。
そんなアルの関心を姫の一言だけが、アルの意識を再び自分へ向けさせた。
「てめぇら……いや、てめぇ一人の考えだな……姫さんよぉ?」
「あら、まるで私一人が悪いみたいに言うのね……」
「そりゃあ、そうだろうよ。そこの馬鹿ガキにそんな知恵はねぇよ……儂様と戦ってまで、その女を呼び出す為に媒介なんて手に入れてよぉ……。守護天使と契約したいだけなら、もっと簡単なのがあったはずだぜ。……てめぇ、この羽付き女を使って何企んでやがる?」
突然現れては戦意高らかに襲ってきたアルにどんな理由があるのかと思っていたイラハだが――、いや、理由が無くても襲いかねなかったのだが、その理由がシーンにあるのだとしたら?
そしてシーンの方にもアルと敵対してまで何か成そうとすることがあるらしい……
アルの言葉の全てを信じられるほど、イラハはアルを信用してなどいない。
理由は単純明快――その粗暴さ故だ。
相手は獣……下手したら人を食べるかも……もしかしたら過去にそうしたことがあってもおかしくないとさえイラハは思えている。
現にイラハは初対面の時にアルに襲われた記憶がまだ日浅い。
同様にシーンが自分に好意を持ってくれているというのも疑問があった。
アルよりは安全面で信じられるかもしれない。見ていて悪い人間ではなさそうなこともなんとなく感じているし、多分、性根は良いやつなんだろうとも……
――けれど、底が知れない。
イラハには想像もできないような凄いことを考えてそうな、どこか油断できない空気を纏っている気がして、心のどこかで警鐘を鳴らしている自分に気付くことがある。
どちらとも付き合いが短い。
だから、まだ気を許せるほどの時間を重ねていないだけかもしれないが……。
故にアルの言葉を聞いたイラハの心に、容易に不安が顔を覗かせる。
アルの視線を追うと、いつもの整ったシーンの顔が――
「――――」
そこに見たのは、瞬きをしている間だけの出来事……口角を吊り上げて笑む姫の顔。
一瞬……
一瞬だが確かに見た。
シーンがほくそ笑むところを。
その姿は聖人とは程遠い……
残虐に人を殴り殺し、
残虐に人を斬り殺し、
残虐に人を叩き潰し、
あの日――
一週間ほど前に見た、あまり思い出したくもない鬼神の姿をイラハの記憶が無遠慮に有無を言わさず掘り起こす。
記憶が甦れば、遅れて身体に刻まれた恐怖までも呼び戻してしまう。悪寒となって全身を震えがひた走った。
だが、そんなはずはない――。
鬼化は姫の意思とは無関係――
人を鬼へと変える忌々しい咒具が原因だったのだから……
「何も企んでなどいないわ……。でも困りましたね……そんなに敵意剥き出しにされては私も本気で戦わないといけなくなります」
アルに向かって話す姫だが、先ほど一瞬見せたような邪悪な表情は影も形も失っている。余裕と美貌を備えた、いつもの姫様だ。
「……で、どうします? あなたはこの守護天使をイラハから離したい……。その為にあなたがイラハを襲えば、この人は今みたいにイラハの前に立ち塞がるでしょう。かと言って私を襲おうとすれば、今度は制約によってイラハが私を守ってくれます。そうなると……わかりますよね?」
満面の笑顔を浮かべてアルと話すシーンだが、笑顔の下が必ずしも表と同じとは限らない。そのことはこの場にいる誰もが知ることだろう。
表情と心が好き勝手に別々に喋っている。
これではまるで――
「聞いてるとどっちが悪役かわからないな……。しかも強制的に盾になってるじゃないか俺……」
「私としては制約抜きで守ってくれると期待してるのですが」
「…………」
イラハとシーンが場に不釣り合いな会話を交わしている間、アルが沈黙する。
二人のやり取りに呆れて……というわけでも無さそうだ。
なぜなら今でもアルの表情は真剣そのもの。
殺気がアルの身体全体から発されている――。目には見えないがそう思わせるほどの迫力があり――
それに気付いたイラハは、自分の額に汗が浮かび上がっていたことに驚いた。
心よりも先に身体がアルの言い知れぬ殺意に気圧されていたのだと知る。
「……良いぜ。 おまえの手のひらで踊らされるのは癪だが、今は退いてやらぁ…………。邪魔者も来たみたいだしなぁ」
「……?」
アルの言う邪魔者が誰を指しているのか?
この場にはイラハとシーン、守護天使のリアナしかいなくて――
周囲を見渡してみても他に誰もいない。
その結論にシーンの方も達したらしく、怪訝な顔をイラハに向けてくる。きっとイラハも同じような顔をしているだろう。
「が――はっはっはっ!! さすがのおめぇもこればかりは予想できねぇだろうよ!」
そう言うとアルは空いた天井目掛けて高く跳ね上がると、自分がこの部屋に入ってきた時と逆の動きを見せた。
「じゃあな!! また会いに来てやるよ! この国を滅ぼす為にも協力してやるぜぇ!!」
「……あいつ何を言ってるんだ?」
「…………」
アルからも、おそらく同じ疑問を抱いているだろうシーンからも返事はない。
その間にもアルの姿がぐんぐんと遠ざかっていく。
「……!?」
「どうかしましたか?」
鼓膜を響音が突き抜けるような感覚が突如イラハを襲う。
こういう感覚に見舞われた時、必ずと言って良いほど良くないことがイラハの身に起きる。
【危険感知】が警鐘を鳴らしているのだ。
「……そういうことですか」
イラハに遅れて、シーンも気が付いた。
甲高い音を鳴らす石床をけたたましく蹴る複数の音に。
「これは……一人二人って数じゃないよな? かなりの数だ。しかも、こっちに近付いてきてないか?」
「ええ……。私よりも先に気付いていたようですね。さすがです、イラハ。……私の予想が正しければ、これから最悪のシナリオが始まりますよ……」
こんな時でも姫はイラハを持ち上げることを忘れていない。
ここまで一貫されると気恥ずかしさを超えて流石とさえ思えてしまうが、他のことに思考を逸らせてられる場合ではなかった。
忙しなく音が近付いてくるにつれ、そこに金属音が含まれていることで、イラハの逸れ始めていた意識は元の道へと戻される。
「最悪のシナリオ? まだアルが襲ってくるってことか!?」
イラハは自分の言葉に反射的にアルが飛び去った天井の穴を見上げた。
だが、既にそこにアルの姿はない。
その代わりにイラハの黒い瞳に映ったのは――
全く隠す素振りもない多数からの敵意の視線だった。
「何なんだよ……これは…?」
アルが空けた穴から下の様子を覗き込むように鎧に身を包んだ騎士たちが取り囲んでいた。
ここ一週間、訓練場に来ていた騎士たちと同じような鎧をしていることから、イラハはこの国の騎士だとすぐにわかった。
同時に疑問が浮かぶ。
「こんだけ騒ぎ起こせば、騎士が駆けつけて来るのは十分にわかる……。けど、何だよ、こいつらのあからさまな態度は……」
どの騎士からも敵意を隠そうともせず向けてきているのだ。
その敵意が果たしてイラハに対してなのか、シーンに対してなのか……おそらく両方だろう。
だが、騎士たちの視線を追えば、圧倒的にシーンに向けられている数の方が多いとわかる。
身に覚えのない敵意を頭上から向けられ良い気がしないイラハだったが、その中に一人の違和感の塊に気付いた。
大勢の騎士たちの中に、赤いガウンを羽織った少女がいるのだ。
少女と言っても年の頃はイラハやシーンよりも少し下回る……十三、十四歳といった感じか。
如何にも鍛えあげられた筋肉質の中年騎士たちの中に、少女が一人。
場違い感がハンパなかった。
「浮気とまでは言いませんが……私以外の女の子にいつまでも熱い視線を送ってはダメですよ? 私だって嫉妬するんですから」
見れば、イラハのすぐ隣にシーンがいつの間にか立っていた。
笑みこそ浮かべているものの、瞳には真剣な色を宿しているような気がして……いつもの余裕を浮かべている様子など感じられない。
「彼女の名前はアンジェリナ・リファ・エルブライト」
「アンジェ……何だって? シーンより長くない?」
「けど、サードネームは私と同じだから、覚える部分は意外と少ないはずですよ? ……もっとも私のフルネームを覚えていないなんて言ったら大変かもしれませんが……主に違う意味で」
「違う意味って……この状況で余裕ないかと思ったら、そこは揺るぎなく余裕あったんだな。……勿論、覚えてるよ。怖いから言う訳じゃなくて……」
「最後のはマイナスですけど……まぁ、良いでしょう。…………アンジェリナ・リファ・エルブライトです」
「んと、アンジェ……リナ……リファ、エル…………あれ? さっき私と同じって……!」
「ええ。彼女は私の妹です」
「――――」
「お久しぶりです、お姉様。再会して早々で申し訳ないのですが、すぐに本題に移させてもらいますね」
二人の頭上から若い女の声が降り注ぐ。
件の赤いガウンの女の子――もとい、シーンが自分の妹だと言うアンジェリナの声。その声は姉の声音に似て異なるものだった。
彼女が右腕を振り上げると、まるでそれを待っていたのか――いや、事実、合図だったのだろう。イラハとシーンがいるフロアに抜剣した騎士たちが一斉に雪崩れ込んで来た。
この騎士たちもシーンが治める自国の騎士――のはずなのだが……
「これはいったいどういうつもりなのかしら? 事によっては……皆まで言わなくてもわかるわよね? アン」
「勿論ですわ、お姉様。ですが、聡明なお姉様なら既におわかりではなくて?」
「…………」
姫の回答は沈黙。
沈黙に対してアンジェリナが姉に返した言葉は――
「エルブライト公国が代々封じてきた魔獣『白亜の嵐鳴』を己の欲望のために無断で解放!! その行為あまつさえ罪深いというのに、あの日、魔獣と共に城中を混乱に陥れたるは重罪ですことよ! 我ら騎士の誇りを汚し、民の国への信頼を貶めた罪は例え『姫』であっても許されるものではありませんこと!!」
「なっ……、ちょっとまっ――」
あの日とはおそらくモンスター・パレードのあった日のことだろう……
だが――
それは違う――
アルを牢から出したのは俺だ――
そう言おうとして、けれどイラハが続けるより先に、アンジェリナが待った無しに言葉を紡ぐ。
「エルブライトの御名において、ここにシーン姫から『姫』としての権利を剥奪! 罪人シーンを投獄なさい!」
アンジェリナの一声に騎士たちが波のようにイラハとシーンに駆け寄り始めた。
「だから、ちょっと待てって! アルは城を襲ってきたモンスターと戦ってただろうが! 探してくれたら騎士の中に証人だっているはずだ!」
自分を襲ってきた件に関しては不利益しか生みそうにないので、イラハはここでは省くことにした。それ以外なら、誰かの為ではないだろうがアルの活躍は無視して良いものではなかったはずだ。
シーンだって好きで暴れていたんじゃない。
鬼にされたのが原因であって、そこにシーンの意思はなかった。
考えようによっては……いや、その目でモンスターの死体の山を見たイラハだからこそ知っている。
モンスターの群れを一多く倒したのは間違いなく鬼化されたシーンだ。
その功績に目を瞑り、悪いところだけを突き詰めるのは間違っている。
するなら両方を評価するべきなのだ。
アンジェリナのこの言い様はイラハには酷く気に入らなかった――。
騎士たちが姫を捕らえようと金属音を鳴らしながら慌ただしく動く。
それを邪魔されないように何人かの騎士もイラハと、状況に取り残される形となった守護天使の前に立ち阻む。
抵抗を許さないという騎士たちの意思表示なのは一目瞭然。
――そんなこと知ったことか。
イラハは周りに反して動こうと思った。
殺し合いは御免だが、死なない程度になら戦ったって良い。
お許しを得ようと思ったわけじゃない。
けれど、イラハはその前に一度シーンを見た。
「……なんだよ、その顔は……」
イラハの視線に気付いたシーンがゆっくりと両瞼を閉じる。左右に一度首を振り、拒絶の意を見せた。口許は満足そうに笑顔さえ見せている。
何度も邪魔が入り、契約が終わったのか、まだ終わっていないのかよくわからない状態だった守護天使は動かないまま。イラハの腕の中で今尚眠っている。
二人を置き去りに時間が過ぎていく。
何が最善なのかわからない。
思考が纏まらない。
連れられて行くシーンとそれに涙目で付き従うアンリを視界に捉えながら、イラハは最も身近で眠る守護天使の肩を無意識に強く抱き寄せた。
まるで小さな子供がこれ以上何も奪われないように守ろうとしているように――。




