第18話 英雄候補
「イラハ! イラハ!」
昨日の姫とのやり取りに思い耽っていると、聞き覚えのある清澄な声がイラハを現実に引き戻した。
声の主を探し当てるまでもなく、シーンがイラハに向いて、名前を呼びながら手を振っているのでわかりやすい。
ただ、何故、自分が呼ばれているのかまでは、イラハにはわからなかったが。
シーンは今回のモンスター・パレードの件で、城下に集まっている人々の不安を少しでも取り除いてあげようと、いろいろ話をしていたはずだ。
「……何?」
「こっち、こっち」
手招きしている。それも笑顔で。
昨日見た笑顔と同じはずなのに、何かが違う。
なのに、イラハはその違和感が何なのかがわからない。
気が付くと、身分の高そうな騎士たちがイラハに視線を向けていた。理由がまったくわからない居心地の悪さを感じる。
視線が視覚化できたら、まるで漫画の集中線の中心部に自分がいるんだろうなぁと、どうでも良いことをイラハは脳内に浮かべていた。
「え~と……」
正直、イラハは悪い予感しかしなかった。
だが、厳格そうな雰囲気を放つ騎士たちの前で、姫の言葉を拒む勇気もなかったので、最終的には観念してシーンの側に行くことに……本人は隠そうとしているらしいが、口許がいっそう笑んだのが見えた。
だが、それも一瞬のことで、すぐに『姫』としての顔に戻り――
「敢えて言えば、今回の戦いには一番の殊勲者がいます。その者がいなければ、この城は悪しき魔術師と妖魔たちの根城になっていたかもしれません。私も彼に救われました! 騎士の中にも彼に助けてもらった者はいるでしょう――」
「……おいおい……まさか……」
ここまで言われれば、否が応にもシーンが見せた笑みの意味をイラハも理解する。理解すれば、ただただ冷や汗が流れてきた。
なにせ、イラハの予想通りなら、これからイラハにとって五本の指に入るほど苦手なイベントが起きるかもしれないからだ――
「彼の名はイラハ! 若き身でありながら歴戦の強者の如き活躍を見せてくれました! 妖魔を操っていた主犯となる魔術師を討ったのも彼です!」
「――――」
そこまで言うと口を閉ざしたシーンが、隣に並ぶイラハの背中にそっと手を置いた。イラハが気持ち前へ出るように姫が立ち位置を変える。
ここまでされれば、姫が思い描いている次の展開がイラハにだって予想できる。
「待て待て! 全校挨拶で一人で立たされた時でも上がったのに、これそんな比じゃないし! ただの中学生にはハードル高過ぎない!?」
しかし、考えていた予想とは少し様子が違うことに、後れ馳せながらイラハは気付いた。
さっきまでの街の人々の喧騒が鳴りを潜め、辺りを静寂が包んでいるのだ。
城下から上にあるバルコニーを見上げている街の人々から、姫の周囲で整然と並ぶ騎士たちから、一斉に視線がイラハに注がれている。
「……何か言わないと不味い雰囲気だよなぁ?」
沈黙がかなり気まずい。
堪らず隣にいるシーンにイラハは小さな声で助けを求め――
期待に応えたのは、イラハが救いを求めたシーンではなかった。
「なんだ、まだ子供じゃねぇかよ」
「あんな子が本当に狂暴なゴブリンや魔術師たちを倒したっていうのかい?」
バルコニーの下に集まっていた人の群れが、思い思いにざわつきだす。
「でも姫様が言うからには、見た目と違って凄いんじゃないのか?」
「そうよ! それにあの若さでそんなに強いのなら、これからもっと強くなるわよ、きっと!」
「そしたら、この国も安泰ってか」
「さすがに、子供にそこまで求めるのは酷ってもんよ。けど、楽しみではあるわなぁ……イラハって言ったか」
「……イラハ」
「イラハ」
「イラハ」
「イラハ」
イラハ、イラハ、イラハ、イラハ、イラハ、イラハ、イラハ、イラハ、イラハ、イラハ、イラハ、イラハ、イラハ、イラハ、イラハ、イラハ、イラハ、イラハ――
細波はやがて大波となって、大気を震えさせた。
「こいつはいったい……」
それ以上、イラハは言葉が続かなかった。
完全に周囲の雰囲気に呑まれてしまい、思考が追い付かない。
「ふふ。特に何か言わなくても平気ですよ。ただ、手を振ってあげさえすれば」
初めての体験に戸惑うイラハと違って、風で揺れる金髪を押さえながら優しくシーンがレクチャーしてくれる。
教えてくれた通りに、けれど自信なさげに、イラハは城下に向かって手を振ってみた。
「――――」
スピーカーから流れる音の音量が突然変わってしまったかのような、突然の予期せぬ音の衝撃にイラハの背中がビクッと跳ねた。
これまで以上の音の塊が、イラハの全身を突き抜けていったのだ。
遅れて、震えていた大気に、轟音となった震動が更に加わる。
声の発生元から遥かに高い場所にいるイラハたちのいるバルコニーにまで、今までで一番の大歓声がイラハの鼓膜を無遠慮に叩く。
「すげぇ……」
圧巻だった。
イラハを見る人々の口から、期待を込めて自分の名前が連呼されている。
過度な期待に重圧を感じないわけがない。イラハはまだ十五歳なのだ。一度背負った重圧は意識すれば、どんどん膨れ上がっていく。
――けれど、それだけじゃない。
むしろ、気付けば高揚している自分の変化に驚いた。
腹の底から沸き上がる熱い何かが滾ってくるのだ。城下から自分の名前が呼ばれる度に。
「新たな英雄の誕生をみんな歓迎してくれたみたいですね。晴れ舞台なのですから、胸を張ってくださいね、イラハ」
「シーン……姫」
偉い方の集まる前で、姫を呼び捨てにしては不味いかと、イラハは敬称を慌てて付けたが……それよりも気になることがあった。
「どこまで計算に入っていたんだ、姫様?」
「ふふ、何のことでしょう」
黒い瞳で見据えて、姫に尋ねるイラハ。
「街の人々に……いや、騎士たちにもかな。わざわざ俺への好感度を上げてくれるようなことしてくれてさ」
「別に嘘はついてないはずですよ?」
「そうだけどさ……。まぁ、不安になっている皆の心の支え? 的な精神的支柱に俺を選んでくれたのは光栄だけど……ちょっと重いというか……そんなところか?」
イラハの推測を聞いたシーンが、少しだけ考え込むような仕草を見せた。
だが、それも一瞬のことで、
「それもありますが……半分正解ですね。一番は皆にイラハを知ってもらいたかったからでしょうか」
「へ?」
間の抜けた声が漏れた。
他人の知名度を上げることにどんなメリットがある?
シーンの不可解な行動は、イラハにはまったく理解の外だ。
その時、強い風が吹いた。
時折、今日は強めの風が吹くことがあったが、これまでよりも一段と強い。
風はイラハの顔を叩いて通り過ぎ――
『なんだよ、もう忘れたのか? 言ったろうが……』
「――――」
鼓膜が風以外の音を拾った。
聞き覚えのある声。
これは――
「アルか!?」
返事はない。
その代わりにイラハの知りたかったことが返ってきた。
『この国、特に姫には風習があるってよぉ』
「――っ」
吹き抜けていった風と共にアルの声も聞こえなくなった。
周囲をぐるりと見てみるが、目に入るところにアルの姿は窺えない。
おそらく遠くから自分たちを覗いていたアルが、風を操って言葉を乗せてきたものだとイラハは推測し、
「……いったい、あいつどこから見てやがるんだ? けど……、風習か…………ん? 風習!?」
代々、エルブライト公国公女は、自分を負かした相手と婚姻を結ぶ――そう、アルが話していたことをイラハは思い出した。
アルはイラハの困る姿を見て楽しむ為に、イラハにシーンと戦わせようと企んでいたが、そういうところは妙に人間臭い。
けれどアルは魔獣だ。それも200年以上も生きている力を持った魔獣。
何を考えているのかわからないというのが、イラハの偽らざる気持ちだった。
「どうやら気付いたみたいですね。けど、誤解しないでくださいね。私が風習でこんなことをするんじゃないってことを」
顔がみるみる赤くなっていくイラハを他所に、シーンが話を続ける。
「今のままだと知名度も勇名も足りない」
真っ直ぐな碧い瞳が、イラハの黒瞳を吸い込むように捉えて離さない。
「皆に私たちの結婚を認めてもらうためには、イラハにもっと実積が必要なのです。あ、これだとまだ風習でかもって思われてしまいそうですね。じゃあ……コホン……」
躊躇いがちに、シーンはわざとらしく咳を一つ入れた。
上目遣いでイラハの表情を窺う様は、ほとんどの異性を虜にしてしまうだろう。そしてそれはイラハも例外ではなくて――
「あなたのことが好きだからですよ、イラハ」
「――っ!!」
目と目が重なると、瞬間湯沸し器みたいに瞬時にイラハの頬が赤く染まった。
姫の堂々とした告白にイラハは一瞬、我を失ってしまう。
美少女からの告白――
それもゲーム内では一番のお気に入りキャラだったシーン姫からときたものだ。ここが仮想現実ではなく、現実世界だったとしても、その気持ちは変わらない。多少、ゲームと性格やら設定が違う点もあるが、嬉しくないわけがなかった。
「そ、その……俺は……」
女の子から告白されたのは初めてだったイラハは、女の子に恥を掻かせてはいけないと言葉を必死に選ぼうとする。が、恋愛経験希薄なイラハには荷が重く、思考が纏まらない。
「イラハ」
「はいっ!」
情けなくも、シーンに呼ばれて声が上擦ってしまった。
「ふふ。そんなに緊張しないでくださいな。ほら、皆の顔……笑顔が増えたと思いませんか?」
姫に促されるままに、イラハが城下に再び視線を移すと――
身を乗り出してイラハは欄干を握った。
欄干を越えた先は、姫の言う通りの光景が広がっていて――
今も鳴り止まぬ声援を送る人々の声と視線を感じる度に、欄干を握るイラハの手に力が入る。
「この人たちも私と同じように、イラハに笑顔を与えてもらったんですよ。もっとも、私が一番イラハに笑顔にしてもらいましたけどね」
形の良さそうな胸を張って言うシーンに、イラハは思わず吹いた。
「それって、この前までは誰よりも不幸だったって聞こえる気もするんだけど……ぜんぜん自慢にならないよ」
「そうかもしれませんね」
堪えられず、二人は顔を合わして笑った。
「あのさ。今、聞くようなことじゃないかもだけど……アル、行かせて良かったのか? 200年も捕まえてたんだろ?」
「白亜の嵐鳴……いえ、アル……でしたか。良くはありませんが……先程、私は皆の前で敢えて功労者がいると言いました」
「それが俺だってことだろ? 悪い気はしないけどさ。大袈裟な気がするし、俺一人で成し遂げられたわけでもないしさ……」
「はい。イラハの言う通り一人では成し得なかったことを私は知っています。本当はもう一名いることも。私の立場から表沙汰にするといろいろと問題が出てくるでしょうから、今は控えさせて頂きましたけどね。誰かは言わなくても、イラハならわかるでしょう?」
含みを持たした悪戯小僧、もとい悪戯小娘のような、とびっきりの笑みをイラハに向けてくるシーンに、イラハの方も自然と口角が緩んだ。
ああ、これだ。
これこそがシーン・ファム・エルブライト。
200年も牢に入れられ、まして相手は魔獣。
偏見の一つも抱いて何もおかしくないというのに、それをしなかったところが、イラハの知るシーンらしい。
今はこれで良いと思う。
アルのこれまでの所業にどういったことがあったかは知らないし、あまり興味もない。
ただ、自分が上げた手柄以上のものを自分に与えられても、イラハの手に負えなくなりそうで困る。
頑張った者は頑張った分だけ評価されるべきだ――
常々、イラハはそう思っていた。
公にできない国の事情があることだって、イラハにも理解できるつもりだ。
けど、きっとシーンなら大丈夫。
アルはそんなつもりでやったんじゃないって言うかもしれないが、手柄は手柄。ちゃんと評価される日が来るだろう。
知るべき人が、今回の事のあらましを把握しておいてくれているのがわかったから。
誰においても公正で、生真面目とも思える性格は意外とそうではなく、年相応の女の子らしく、お茶目な面も見せる。案外、人情家なところもあって――
イラハが夢中になり、追い掛け続けた凛々しくも優しい姫。
そこにゲームだのリアルだの関係ない。
シーンはシーンなのだと知る。
「……シーン」
「はい」
姫の名を呼ぶイラハの声のトーンが急に落ちた。
イラハが何か真剣なことを話そうとしている――それに気付いたシーンの表情も自然と引き締まる。
「俺なんかを好きって言ってもらえて、凄い嬉しいよ。正直、信じられないぐらいだ」
「イラハは十分過ぎるほどに素敵ですよ」
「はは、ありがとう。全然、本人にその自覚はないんだけどさ。……けど、女の子の気持ちを聞いて、何も返さないっていうのもないよな」
喜色に満ちていたシーンの碧瞳に、緊張の色が浮かび上がる。
「イラハ……、まだ答えを出さなくても私は――」
「シーン」
「はい」
シーンの言葉は最後まで紡がれることなく、イラハによって遮られた。
「俺は君のことを――――、――――、――――」
***
「あ~あ……いったい儂様はこんなところで何やってるんだろうねぇ」
ここは城の外側、最上階よりさらに上に聳える三角垂状の上で、誰も人の近寄れない最天辺。
唯一、近寄れる者がいるとすれば、それは翼を持つものか、空を飛べる魔法や能力を持つ者のみだろう。
お座りポーズで下を一望していた魔獣のアルは後者だ。
城下に集まっている街の住人たちを相手に、バルコニーから姿を現した者の成り行きを眺めていたが、これ以上は退屈なだけだとアルは踏み、四肢を立ち上げた。
「しかし……ククッ」
先日のことを思い出し、アルの口からつい笑い声が込み上がってくる。
「嗾かけたのは儂様だが、まさか、本当にこの国の『姫』を倒して、良い仲になるとはよぉ。面白過ぎるだろうがよぉ、おい」
アルの視線の遥か先には、この世界では珍しい髪の色をした黒髪の少年がいる。その横には例の金色の姫もいた。
「あいつ……いや、あいつらか。これから伝承魔法を求めて、他の姫どもに会いに行くんだろうな。それがどれだけ大変なことかあいつわかってるのか? …………けど、まぁ、牢から出たは良いものの、特別すぐにやりてぇことがあるわけでもねぇしな……。暇潰しぐらいにはなるか」
軽やかにアルは三角垂状の建築物から飛び降りた。
近くの建物へと猫のようにひょいひょい跳び移っていく。
アルの鋭い目には、人が豆のように小さく映っていた。
だが、それでも黒髪の少年の姿を見失ったりはしない。
少年のいる方へ、首を傾げてアルは大きな口を開け、
「クク……またなぁ、イラハ」
満足げに口の端を邪悪に釣り上げながら、人気のない闇の中へと消えていった。
「第1幕 転移者と姫と獣」 了