トキヤ~異世界⑦戦闘・ゴブリンの包囲網~
ようやく森を抜けられたことによる安堵感と、現代日本ではなかなかお目にかかれないような平原を前にした俺は、テンションが上がり、前を歩くリーシュを抜き去った。
あまりの興奮に我を忘れかけていたが、礼を告げるのを忘れていたことを思い出し、振り返ってお礼を告げたその時だった。
「リーシュ。助かったよ。ありが……危ない!」
リーシュに向かって飛来する物体の気配を捉えた俺は、リーシュを突き飛ばし、そのまま地面へと倒れ込んだ。
「キャッ!」
なんとも可愛らしい声だ。
この状況でなおもそんなことを思いながら、飛来物を確認する。
俺たちに当たることのなく飛び去った飛来物だが、どうやら棍棒のようだ。
そこそこの大きさもあり、当たり所が悪ければ致命傷になったかもしれない。一体誰がこんなものを投げてきたのかと思い、慌てて立ち上がって森の奥を睨みつけた。
「グボボボボ……。」
立ち上がった先で俺の視界に映ったのは、以前逃げられたゴブリンの2倍はあろうかというゴブリンの姿だった。
「いたた……。ちょっ、何するのよ!」
いきなり押し倒されたリーシュが騒いでいたが、俺の様子を見るとすぐに異変を察知し、警戒を始めた。
なるほど、なかなか優秀だ。そうこうしているうちに、ゴブリンはその姿がはっきりと確認できる位置まで迫っていた。
森の奥に見えた時は、ゴブリンの倍ほどかと思った大きさだったが、いざ目の前に来られると、2倍ではおさまらないほどの大きさだ。3倍はあるかもしれない。
「リーシュ。アレがなんだか分かるか?」
そう尋ねながら、俺はリーシュを庇うように前に出た。リーシュが警戒する姿を見て、そうした方がリーシュの身が安全だと判断した結果だ。俺ならば、いざとなれば相手を一蹴できる……かもしれないのだ。
それに、森で出会った魔物の中では群を抜いて危険であるということは分かったのだが、命の危険があるかと聞かれれば、首を横に振っただろう。
俺はそれを感じ取っていた。
しかし、相手の正体が分からないという事実が、次の行動に移るための判断力を鈍らせていた。
「あれは……多分ゴブリンナイトね。ゴブリンの2つ上のクラスよ。Cランク冒険者なら勝てるくらいだけど……ちょっと待って!」
説明をしていたリーシュの顔がみるみる青ざめていく。
背中越しにリーシュの声を聞いていた俺も、森の奥に見え隠れする黒い影に、思わず顔をしかめてしまった。なんと、ゴブリンナイトの後ろからゴブリンの大群が現れたのだ。
その数というと、見えるだけで約20匹。
その後ろにもゴブリンが控えているとなると、一体どれほどの数のゴブリンが集まっているのだろうか。
そうこうしているうちに、森の入り口は、すっかりゴブリンで埋め尽くされてしまった。
「ゴ、ゴブリンナイトはCクラスだけど、あれだけのゴブリンを従えた場合、Cランクでは相手にできないわ。こちらも、数さえそろっていれば勝てるでしょうけど、あれだけの数の暴力で来られると、2人だけでは勝ち目ないかも……」
ゴブリンの大軍を目の前にしても、きっちりと冷静に説明を続けられるあたり、やはりリーシュは優秀なのだろう。
どんな場面であれ、冷静さを失い、パニックになった奴から自滅していくのだ。これは、社畜時代でもそうだった。クレーム対応なんかは、どんな時でも冷静に行わなければならない。何か一言でも言い返そうものなら、その10倍は言葉が返ってくる。だからこそ、冷静に、そして我を見失わずに対応することが重要なのだ。
話が逸れてしまったので元に戻そう。
冷静に分析を続けてくれているリーシュを見ると、少なからず恐怖を感じているようだが、その瞳はまだ諦めていないようで、すでに腰の剣に手が伸びていた。いつでも戦えるということなのだろう。
その様子を見て、俺は一瞬考える。
俺一人なら逃げることくらい訳なくできるだろうが、これほどの超絶美少女エルフを死なせるのは忍びない。
「逃げ切れないのか?」
俺は生き残る可能性を聞いた。
もちろん俺のことではない。リーシュが生き残る可能性についてだ。
「無理ね。森の中なら、本当に極小の可能性はあったでしょうけど、後ろは拓かれた街道。森の中に逃げ込むにしても、あれだけのゴブリンの群れを無傷で突破するのは不可能だわ。仮に突破できたとしても、手傷を負った状態で森の中にいることがどれほど危険なことかは説明しなくても分かるわよね……」
確かに、目の前のゴブリンの群れを無傷で通過することは難しそうだ。それに、ゴブリンを突破して森に戻ったところで、ゴブリン以外の魔物に襲われるだけだろう。
まぁ、目の前のゴブリンナイトを見る限り、そんな選択肢を取らせてもらえるとは思わないけどな。
リーシュから説明を受けているうちに、ゴブリンたちの陣形は整いつつあった。
どうやら敵さんは、ゴブリンナイトを先頭に、俺たちを囲むように陣形をとろうとしている。取り囲んでいる連中は、俺たちを逃がさないための壁のつもりなのだろう。
陣形を整えている間も、それぞれ手に持った棍棒やらナイフでこちらを威嚇してくる。
リーシュがいる以上、迂闊には動けない。
2人で警戒しているからこそ、連中もただ取り囲むことに専念しているのだ。ここで俺が突っ込んでいけば、たちまちリーシュが襲われることになるだろう。
『全く、守りながら戦うというのはとても面倒だな。』
内心で悪態をついていると、連中の包囲が完成したようだ。
ぐるりと辺りを見渡してみると、予想よりかなり多く、50匹ほどに取り囲まれていた。
「ん?」
さきほどまでは気づかなかったが、俺はゴブリンナイトの隣に、傷ついたゴブリンを見つけた。
「なるほど。さっきの仕返しか。」
俺が倒し損ねたゴブリンの意趣返しなのだろう。
自分では勝てないので、数を揃えてくるとは、なかなかに外道だ。
男なら、真っ向から勝負して来いよと思うのだが、そこは魔物。そんな精神は持ち合わせていないのだろう。
『なんだ……?』
よく見ると、目の前のゴブリンナイトが何かを見ながら下卑た笑みを浮かべていた。
俺がその視線の先を追うと、そこには周囲を警戒しているリーシュの姿があった。
どうやら、俺が倒し損ねたゴブリンには、俺だけだと聞かされていたのだろう。しかし、いざ取り囲んでみれば、見目麗しいエルフがいるではないか。
おそらく、俺を嬲り殺した後、リーシュを楽しむための笑みだろう。どこのラノベでもゴブリンはこういう性質なのだが、この世界でもこうとは……
そんなことを思いながら、俺は思わず笑ってしまった。
「あ、あなた……この状況でよく笑ってられるわね!」
警戒していたリーシュが声をあげた。
何か勘違いさせてしまったようだ。俺が笑っていたのは、この状況に絶望し、開き直ったからではない。この世界は本当に異世界で、俺のイメージに限りなく近い世界だということに、改めて喜びを抱いたからだ。
「そ、そろそろ来そうよ!」
包囲が完了した今、ゴブリンたちがいつ襲い掛かってきてもおかしくはない。
リーシュは僅かに震えながらも、細剣を構えた。
『これはアレだな。』
リーシュの様子を見て、俺は確信する。
『デレると、俺だけのヒロインになってくれるフラグだな。』
どこをどう見ればそんなことになるのだろうかと、思う人もいるだろう。これに関しては、分かる人には分かるだろうが、分からん人にはまるで分かるまい。
そうこうしているうちにゴブリンの包囲が完全に完了したようだ。
森側の人員が薄く、街道側に人数をかけている。
これは、俺たちを街道に逃がさないためだろう。街道の方が追いかけやすく、いつでも捕まえられると思われがちだが、他の人間に助けを求められる可能性があるということを考慮したのだろう。
指揮官がいるだけで、これだけ変わるものかと感心する。
そんな統制の取れた相手が、一斉にかかってくるとなると確かに面倒だ。何度も言うが、俺だけならなんとかなる。しかし、リーシュを無傷で、という条件が追加されるとなると難しいものがある。それに、変に思いきりやれないこともネックだ。
異世界人だとバレたら死ぬという妙な縛りが、俺の行動を著しく制限していた。
『まぁ、やり方次第だが……』
そんなことを思いながらも、俺は悪魔のような計画を組み上げていく。
この計画が上手くいけば、異世界の第一歩は本当に素晴らしいものになるだろう。
そして、俺は計画を実行に移した。
「なぁ、リーシュ。この場面を切り抜けて、無事に生き残ったらさ、俺のお願いを1つ聞いてくれないか?」
ゴブリン包囲網がジリジリと迫ってくる中、俺は「死亡フラグ」を立ててみた。
もちろん、死ぬつもりなどない。
これは俺の計画の成否がかかった重要な質問なのだ。
「はぁ!この状況でよくそんなわけの分からないことが……。……っ!いいわよ!1つだけよ!」
人間、追い込まれると冷静な判断力を失うというのは知っていたが、まさかここまで上手くいくとは思っていなかった。
まぁ、今回は、命が係っているのだ。冷静さが失われてしまうのも当然だろう。
そんなことを考えながらも、俺は笑いを堪えることに死だった。なにせ、いまにも踊ってしまいそうなくらいテンションが上がってしまっていたのだ。
「その言葉、忘れるなよ?」
最後にもう一度念を押した俺は、リーシュを抱きかかえ、その場で大きく跳び上がった。
「え?ちょ……きゃぁぁー!」
リーシュを抱えて思いきり飛び上がった俺は、現在高さ約20メートルの位置にいた。
マンションの6階くらいまで跳び上がっているわけだが、とりあえず耳元の悲鳴がうるさい。
リーシュと一緒だったため、レベルアップ後のステータスが確認できていなかったのだが、レベルアップ前であれだけの脚力なのだ。レベルが上がればこれくらい訳ないだろうと思っていた。と、格好よく言いたいところだが、本音を言えば、せいぜい10メートルほどが限界だろうと思っていて、これほど高く飛ぶつもりはなかった。
予想より高く飛び過ぎたと思ったが、状況を把握するには十分な高さだ。
俺はゴブリンが作り出した包囲の範囲を確認し、魔法を唱えた。
「(MP40)聖なる雷!」
威力4倍の全体攻撃魔法。
等倍でもそこそこの威力。3倍ともなると、轟音と共に岩が砕けるレベル。そんな魔法が、さらに大きな威力となってゴブリンたちに襲いかかる。
岩とゴブリンは違うと思ったので、加減が分からなかったというのが正直なところだが、全滅とまではいかなくても、周りのゴブリンなら倒しきってくれるはずだ。
そんなことを期待した直後、ゴブリン軍団の真上に大きな雷雲が発生し、直後に雷が落ちた。
「ギャウ!」
「ギャバ!」
落下中、思い思いの声をあげて倒れ込むゴブリンの姿は確認できたのだが、発生した雷雲のせいで下の状況がいまいちよく分からなかった。
『もし敵が生きていたら、いい的だな。』
空中では自由な動きは出来ないというのが、どこの格闘漫画でもお約束だ。この世界に空を飛ぶ魔法があるのかどうかは知らないが、とりあえず、それを習得するまでは、安易に飛ばないように気を付けることにしよう。
そんなことを心のメモ帳に書き足した時、俺はリーシュの悲鳴が聞こえてこないことに気が付いた。
「ちょっ!ちょっと……」
一体どうしたというのだろうか。リーシュは随分と狼狽えていた。
リーシュの視線を追ってみると、どうやら雷雲の間から見えるゴブリンたちを見ているようで、予想もつかないような高さに飛び上がられたと思ったら、規格外の魔法を見せられたおかげで、さしものリーシュも、状況の把握がうまく出来ていないのだろう。
そんなリーシュを見ながら、俺は、別の心配をしていた。
『この高さから普通に着地できんのか?』
調子にのって20メートルも跳び上がり、ゴブリン軍団に魔法を放ったところまではよかった。
しかし、今になって考えてみると、20メートルの高さから落下したら骨折程度では済まないのではないだろうか。
ステータスの上昇で、ある程度は身体も強化されているだろうが、それでも無事に着地出来るという確証はない。
『さて……どうしたものか……』
どうにかしなければ、このまま地面に激突してしまう。まぁ、最悪、リーシュだけでも無事なら構わないのだが、飛んだ本人が怪我をするというのは、それはそれでかなり格好悪い気がする。
そうこうしているうちにも地面は迫ってきている。
リーシュは着地の衝撃に備えているのか、俺に抱き着いたまま固く目を閉じていた。
「そうだ!」
地面が目前に迫ったところで、俺は脚に魔力を集中して、魔力強化をしてみることを思いついた。
これまたラノベの知識だ。
魔法に魔力を込めるイメージを、脚に応用してみる。
失敗しても、生身で着地するだけだと開き直って魔力を集中する。
「おぉ!」
出来たという確信があった。
薄くではあるが、脚が何かに覆われているような感覚を得たのだ。
一応、着地の瞬間に膝を曲げて衝撃を逃がす、なんていう小さい努力もしてみたが、それは全く必要のないことだった。
20メートルの高さからの着地ということもあり、俺が着地した跡には、着地の衝撃で地面が窪んでいた。
その後、抱きかかえていたリーシュを優しく降ろした。
「あなた……一体何者なの?」
不思議そうに俺を見つめるリーシュ。その瞳には、不審者を見る目も多少なり混ざっていたが、興味の方が勝ったようで、純粋に俺の正体を知りたがっているのだろう。
まぁ、リーシュの疑問はもっともだ。
俺としても、やりすぎた感は否めない。
もう少しこの世界を知ってからにすれば良かったと思うが、そんなことを言っている状況ではなかった。俺はどう返したものかと悩んでいると、目の前に生き物の気配を感じた。




