3・1999年 東京④
「強いじゃない、あんた」
「……ああん二時間かけた縦ロールがー」
雑魚悪魔どもをたたきのめすくらい朝飯前だったが、ジェニーは戦勝にうかれるどころではなかった。これからデートだというのに、髪型は崩れワンピースは埃まみれだ。
(なんでわたしが魔族なんかと戦闘……)
自慢の拳と蹴りで気絶させた雑魚どもは、堕天使が『空間越え』でどこかに捨ててきた。
(つか、そもそもこいつが)
堕天使をにらみつけるジェニー。
そうだ。なんで自分が堕天使なんかに協力しなきゃいけないのだ。こうしてる間に友樹が待ちくたびれて帰っちゃったらどうしてくれる!
「電話しなきゃ……って、バッグ、トイレに置いてきちゃったし!」
って、携帯あっても電波届くわけないし!
「もう用はないでしょ? 帰ります。一刻もはやく帰らせて!」
「ねーねー、ものは相談なんだけどさー」
ジェニーの剣幕にたじろぐことなく、堕天使がなれなれしく肩に手を置いてくる。ジェニーはその手をはたき落とし、殺意すら込めて彼女をにらんだ。
「か・え・り・ま・す」
「……わかったわよ」
身の危険を感じたのか、堕天使は黙った。
そして「ありがとねー。おかげで助かった」と、おもいのほか人のよさそうな笑顔で礼を言ったので、ジェニーはちょっと面食らった。
思わず、しげしげと堕天使の顔を眺めてしまう。
――なんで彼女は魔界にいるのだろう?
罪を犯した天使の魔界追放制度は、とっくの昔になくなっているのに。口ぶりからすると、自分から堕ちたようなかんじなのだけれど……。
いろいろ事情をしりたい気がしたものの、二十世紀末はまだ『時越え』が研究段階で、実用化に至っていない。ジェニーはこの時代の天使たちと関わることは禁止されていた。深入りは厳禁だ。
「ねーねー、さっき通ってきた扉、あんたのアジトの近所?」
「……」
「こんど遊びに行っちゃおっかな~」
「……」
堕天使は魔界でひとりさみしく暮らしているのか、ジェニーと話したそうな様子だった。
ジェニーは口をつぐんで仏頂面を崩さなかった。
自分に向けられた堕天使の笑顔が、さみしげにこわばる。
そんな表情をされるとせつない。けれど隙を見せたらいけないと思って、心を鬼にした。
ずうずうしい堕天使もさすがに口を閉じて、『空間越え』するため無言でジェニーの手をとった。
足元から地面が消える。
『空間越え』は空間の抵抗がある。でも今度は心の準備ができていたから、つんのめるだけで地面を転がったりはしなかった。
さっき降り立った魔樹の森。『扉』の場所を見上げる。
「あれっ。ない」
堕天使が言った。
「ないって、なんで……あ!」
(そ、そうだ。わたしフェリ様に電話して、『扉』塞いでくださいって頼んだんだった!)
ジェニーの顔から血の気が引いた。
がぼーん! ど、どうしよ。
「消えちゃった。存在うっすい『扉』だったからねー。気付かないでうっかり跳びこんじゃうくらい。ま、だいじょうぶよ。もっと安定した『扉』もあるからさ。ここらへんの扉はどれも人界じゃ近場の界隈に開いてるから、さっきの『扉』と近い街に出られるよ」
「さっきの『扉』がよかったよう。くすん、バッグが……。友樹くんに電話できないよう」
「トモキクン? デンワ?」
「人と待ち合わせしてたんですっ。ああもう! あなたのせいでー!」
「悪かったってばー。おわびに、出た場所から『空間越え』で、すぐにお望みの場所に連れてってあげるから」
「ホントですか?」
「まかせて」
堕天使が人界に出る際にいつも使っているという『扉』は、堕天使の縄張りである岩場の隅にあった。ジェニーは(友樹くんが待っててくれますように)と祈りながら、岩山にくっついた両開きの戸に手をかけた。
人界側では洋服ダンスの戸になっている『扉』を開けて、人界に降り立つそのときまで。
友樹にはすぐ会えると、ごくあたりまえにジェニーは思っていた。