Case.01 (1) どうして人を好きになるのか
これはあくまでも、架空の人物による会話です。
「ロメル・バシェリか。なんだ? わたしは忙しい。話があるなら早く言え!」
「アーチャー様。もう私には、人の心をというものがわかりません。あなたは人の心の学問に精通していると聞きます。それを私に教えてはもらえませぬか」
「何を寝ぼけたことを言う。世の中には人の心を語る者が、あれほど溢れているではないか。それに頼ればよかろう」
「そうかもしれませぬが、あの人たちは自分自身の経験から物事を判断しているだけで、それを良いように見せかけているとしか思えませぬ」
「それならば、それで良いではないか。それで救われる愚民どももたくさんいるのであろう」
「確かにそうかもしれませぬ。しかし私はそれでは救われませぬ。どうか人の心の中の真実というものを教えてはいただけませぬか。お願い致します。」
「仕方あるまい、お前がそこまで頼むというのであれば、その真実というものを教えてやろう。但し、それが人として「不完全な真実」であっても構わぬのだな」
「はい。それでも構いませぬ。どうかそれを教えてください」
「よかろう。それならば教えてやろう」
Paintnote -不完全な真実-
よいか愚民ども、これからメリル・アーチャー様が、貴様らにとって、不都合な真実を語ってやる。
徳として聞くがよい!
お前たちは、どうして人は他人のことを好きになるのかを考えたことはあるか。
最初はお前たちが一番興味がありそうな、このことで話してやろう。
おまえたちは幼稚園や小学校の低学年のころに、いわゆる初恋をした者もいるのではないか。
これがDNAに刻まれたものだからだといってしまえばそれまでかもしれぬが、単に本能的に他人を好きになっているわけではない。
大事なのことは、他人を好きになったことそのものではなく、どんな人を好きになっているかだ。
実は心理の学問では、他人を好きになるメカニズムとして、経験によって強い影響を受けていることが証明されている。
それなので、一昔前によく聞かれた、「悪いオトコに何度も引っ掛かる」もこれに起因しているのだ。
子どもの頃に、多少なりとも、愛情というもの受けるのは、まず親からではないか。
この頃にどんな愛情を受けたかが、まず一番最新のスタートラインになるのだ。
言うなれば、どんな優しさを受けて、どれが心地よい感じだったかによって変わるということだ。
それでその自分が感じた心地よさに近いものを、物心がついたあとに無意識に感じているというわけだ。
では、男女では好きになる基準が、実は違うということを知っているか。
単純な話。男はまず見た目で異性を好きになる。
これがまさしく本能(DNA)に刻まれているものなので、変えようがない。
但しだ。ここに落とし穴がある。
その見た目というものには、「好み」というものが確実に存在する。
それだから、単に「美人だから」や「可愛いから」だけでは成立はしない。
それにだ。女の「美人」には、何かしらの定義みたいなものがあるが、男が思う「可愛い」という基準には、確実に「好み」というものが存在する。
それは世の中に、写真やテレビというものが現れてから、人々には基準としての「美人」や「可愛い」がどんなものなのかが定義づけられたからだ。
これが「オトコたちの好み」を迷わして狂わせてしまった。
これは「本能的な好き」に加えて、まわりからどう思われたいのかという、「承認欲求」が加わったからだ。
これは異性を好きになるメカニズムが違う女には、この傾向が弱いが、近年のSNSの発展や拡散によって、それも大きく変化していっているのかもしれないな。
その最たるが、近年の「婚活市場」で、「悪い例」として挙げられている女たちだ。
しかし、そうだからといって、一概にその女たちが悪いとも言い切れない。
それは現代の社会状況や、それまで経験によって刷り込まれたものなのかもしれないからだ。
それではこれから、女が男を好きになっていくプロセスを説明していってやる。




