↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
現代知識で異世界村を救う  作者: バクリ
クライオパイライト・マイセリウムの厄災

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
70/95

第70章:硫黄地帯への門

濃密な煙がうねりを上げて立ち込め、ゆっくりと木々の梢を飲み込んでいく。同時に、何千個もの腐った卵を煮詰めたような悪臭が這い上がり、強引に鼻腔へと侵入して粘膜を焼き焦がした。


何時間も苔むした急斜面にふくらはぎを痛めつけられてきた彼らだが、ここへ来てその拷問は別の形へと姿を変えた。森の涼しい空気は跡形もなく消え去り、喉を締め付けるような強烈な熱波が容赦なく顔面を叩きつけてくる。


「狂ってる! なんだこの臭いは……ッ!」

レオは激しくむせ返り、慌てて服の襟を目の下まで引き上げた。

「鼻がもげそうだ!」


だが、タカヒロの反応は全く逆だった。

最前列で、少年は立ち込める霧に挑むように堂々と立っている。両手を腰に当て、その口元にはひどく癪に障る、満足げで歪んだ笑みが浮かんでいた。


「ついに……随分と遠回りさせられたが、ようやく到着したな! この強烈な悪臭の正体は硫化水素ガスだ。鉱石たちが探している石がこの霧のすぐ向こうにあるという、科学的な絶対の証明だよ!」


その背後から、ズルズルと足を引きずるような女の足音が聞こえてきた。有毒な空気をどうにか吸い込もうと胸を激しく上下させ、こめかみに滲む泥混じりの汗を手の甲で乱暴に拭い去る。


「……どうやら、まだ越えなきゃいけない障害が残ってるみたいね」


タカヒロは、横に並んだ女のシルエットを視線の端でチラリと一瞥した。


「ああ、その通りだ。勝利を祝うにはまだ少し早い」


彼らの踏みしめる獣道の先は無残に崩れ落ち、荒れ狂うように煮えたぎる灰色の泥沼に飲み込まれていた。完全に道が途絶えている。


底から人間の頭ほどもある巨大な泡が次々と膨れ上がり、ドポゥッという重い音を立てて弾け、有毒な蒸気を大気へと吐き出し続けている。


縁に立っているだけで、毛穴という毛穴から高熱が侵入してくる。一歩でも近づきすぎれば、露出した肌などあっという間に焼け爛れてしまうだろう。


「ど、どうやってあの煮えたぎる泥沼を越える気? ジャンプする以外に何か方法でもあるの?」


タカヒロは無言のまま、崖の端へと悠然と歩み寄り、足元に落ちていた枯れ枝を拾い上げた。そして何の前触れもなく、それを煮え滾る泥のど真ん中へ放り投げる。


枝は底へと吸い込まれる代わりに、ブクブクと泡立つ表面で踊るように跳ね回った。やがて、水面下の規則的な泥の渦に巻き込まれ、強引に左側へと流されていく。


「一見するとただの死の罠に見えるだろうな。下から噴き上げる熱が泥を沸騰させ、水流に似た渦を作っている。だがよく見てみろ。破裂のタイミングには一定の規則性がある。蒸気の流れと、あの枝がどこへ流されていくかに注目するんだ」


「本当だ……。まるで紙の船みたいに、西の方へ流されてるわ」


「理解したなら話は早い。この有毒な蒸気を吹き飛ばしている風向きを利用して、ぐるっと迂回するぞ」


その小さな地獄の縁を迂回する作業は、まるで一世紀にも及ぶかのように長く感じられた。大気そのものが燃え盛っているようで、至近距離から生きたまま顔面をローストされている気分だ。


レオの唇は訳の分からない祈りの言葉をブツブツと紡ぎ、沸騰した泥の飛沫がブーツの先端を舐めるたび、瞬きすら忘れて完全に硬直している。


一方、イーターは全神経を足元に集中させていた。滑りやすい岩の上でその巨大な体のバランスを取り、ぐらつく石が一つもないか慎重に見極めながら進む。


タカヒロの直感と風向きを読む力により、一行は少しずつその死の領域から離脱していく。そしてついに、彼らの足は再び硬く乾いた岩場を捉えた。


道の果てで彼らを待ち受けていたのは、一面に広がる天然の温泉湖だった。水面は穏やかで、この死に絶えた風景の中にあって、不気味なほどに美しいターコイズブルーの輝きを放っている。


だが、彼らの視線を釘付けにしたのはその美しい水ではない。湖畔を取り囲むように無数に転がっている、荒々しい角を持ち、異様に目を引く真っ黄色の岩石群だ。それこそが、彼らが命を懸けてまでこの地へ踏み込んだ理由そのものだった。


脅威が去ったと悟った瞬間、レオの膝は完全に機能を失った。臆病な男は地面に崩れ落ち、まるで肺を雑巾のように絞り上げられたかのように、ゼエゼエと激しく空気を貪る。


「や、やった……! 俺たち、生き残ったぞ……!」


だが、タカヒロはそんなことには微塵も興味を示さなかった。彼の両目は対岸の黄色い石に鋭くロックオンされ、隠しきれない野心の光をギラギラと反射させている。一秒の無駄もなく、彼はイーターの肩からカゴの紐をサッと外し取った。


「これだ。鉱石たちが探し求めていた、硫黄石……!」

ひどく満足げな表情で、少年はポツリと呟いた。


まるで夕方の散歩でもしているかのような軽やかな足取りで、タカヒロは巨大な黄色い岩に近づく。しゃがみ込み、躊躇いなくハンマーを振り下ろした。


カァンッ! カァンッ!


金属が石を叩く甲高い音が静寂を切り裂き、湖から立ち昇る熱蒸気のシューシューという音と混ざり合って、何度も周囲に響き渡った。


その連続音に引き寄せられるように、イーターがゆっくりと近づいてくる。その武骨な顔には、分厚い疑念の影が張り付いていた。彼の視線は、今まさにタカヒロが拾い上げた黄色の破片に痛いほど注がれている。


(電離放射線……生きたまま肉体が腐り落ちる……だと?)

先ほどこの少年が口にした不気味で恐ろしい単語の数々がフラッシュバックする。


「おい、ちょっと待て」

イーターの喉から絞り出すような声が漏れ、足の筋肉が反射的に一歩後退した。

「じゃあ……それがさっきお前が話してた、致死的な石ってやつなのか? 目に見えない光の弾丸を放つっていう……」


宙に振り上げられたハンマーがピタリと止まる。タカヒロはゆっくりとイーターの方へ首を向けた。

次の瞬間、少年の肩が小刻みに震え出し、やがて腹の底からの爆笑となって弾けた。それは、残る三人の怒りの導火線に火をつけるには十分すぎるほど、盛大な高笑いだった。


「ハハハッ! そんなわけねぇだろ、この唐変木が!」

タカヒロはピシャリと言い放ち、先ほどまでの自身のホラ話を、罪悪感の欠片もなくあっさりと呑み込んでみせた。


「「はぁっ!?」」

女とレオの声が、見事なまでにハモった。


女は息を呑み、眉を吊り上げる。全身を重く支配していたはずの疲労感が、沸点に達し始めた怒りによって一瞬で消し飛んだ。


「意図的に原子核を分裂させる話も、致死的なエネルギーの話も、命を捧げた科学者の話も、鉱石の世界じゃ紛れもない事実だ」タカヒロはそう説明しながら、手の中の硫黄の欠片をクルクルと弄ぶ。


「だが、今ここで鉱石たちが必要としてるのは、ただのありふれた硫黄石だからな。濃密なガスを長く吸い込みすぎりゃそりゃあ危険だが、放射線みたいに染色体の連鎖をブチ切って生命細胞を根元から破壊するような効果はねぇよ!」


ブチッ、と女の首筋で血管が浮き上がる音がした。

泥で汚れた蒼白な顔は今や真っ赤に染まり、奥歯をギリギリと噛み締めている。タカヒロの安っぽい情報操作に踊らされていた事実が、脳天を突き破らんばかりの怒りと罵詈雑言となって爆発寸前だった。


「てめぇ……最初から精神的に揺さぶりをかけるためだけに、あんなデタラメを吹き込んでビビらせてたってのかよ!!」

彼女の鋭い絶叫が、熱蒸気の轟音を切り裂いた。


「何言ってんだ?」タカヒロはどこ吹く風で答える。「てめぇから説明しろって頼んできたくせに、なんで鉱石が責められなきゃならねぇんだ?」


一方、地面にへたり込んだままのレオは、震える指で自身の髪を掻き毟りながら、フラストレーションの塊のような呻き声を漏らしていた。


「てめぇ……この、クソ野郎がぁぁっ!」


タカヒロは呆れたように目を細め、三人の茶番劇には一切心を動かされる様子もなく、尊大に顔を背けた。


「勝手に何とでも呼びな。確かなのは、科学は絶対に嘘をつかないってことだけだ!」


その緊迫した空気は、慰めるような言葉も何もなく、ただ放置されて霧散していく。タカヒロはクルリと背を向けると、手にしていた黄色の欠片をカゴの中へと放り込んだ。コツン、という小さくも絶対的な音が響く。


「さあ、ガキみたいな癇癪は終わりだ。とっととこの石を拾うのを手伝え。ノルマが終わったら、この温泉の湯で少し足くらいは休ませてやる。それと……」

タカヒロのハンマーの先端が持ち上がり、まだ荒い息を吐きながら睨みつけてくる女の胸元をピタリと指し示した。

「……この作業が終わったら、てめぇをこの森から出して村へ送り届けるっていう取引、きっちり果たしてやるよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。