第52章:潰えた希望と、ある計画
湿った土の上に無残に刻み込まれた無数の足跡から、タカヒロは目を逸らすことができなかった。
希望をもたらすはずだった朝は、目の前に広がる凄惨な光景によって完全に打ち砕かれていた。
ヨトはその泥の広がりを前に、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
家族の生活を支える唯一の希望だった稲の種は、今や見る影もなく地面と平らになっている。
希望がへし折られたのと同時に、彼の肩ががっくりと力なく落ちた。
「……もう、ここまでだな」
彼は踵を返し、破壊された苗代から目を背けた。
「うちの家族を助けてくれて、感謝するよ」
「お父さん……」
ヴィオラの声は、ひどく掠れていた。
「ヴィオラ、早く立ちなさい。泣いている暇なんてないんだ」
タカヒロは沈黙したまま、その初老の男を見つめていた。
酸性の土壌を中和するための彼らの懸命な努力は、確かに実を結んでいた。だが、新たな絶望が容赦なく彼らを打ちのめそうとしている。
ヨトの感謝の言葉は、むしろタカヒロの心に激しい葛藤を呼び起こし、元の世界で味わった理不尽な記憶を否応なく引きずり出した。
「おじさん、あんたは昔の俺にそっくりだ」
タカヒロは身を翻し、ヨトの背中を鋭く見据えた。
「俺も昔は、努力なんて全部無駄なんだって思ってた」
ヨトは視線の端でタカヒロをちらりと見ただけだった。
彼は黙り込み、青年の言葉をただ聞いている。
その横で、ヴィオラは硬直していた。タカヒロが父親に向けて放った言葉に、ある種の残酷な真実が含まれていることに気づいていたからだ。
「正直に言うよ。最後にあの悪夢を見てから、俺は自分の考え方を変えようって思い始めてたんだ」
ヨトはそれ以上答えることなく、前へと視線を戻した。
「行くぞ、ヴィオラ。もう帰るんだ」
その冷たい声色は、ヴィオラに反論の隙を与えなかった。
彼女は急いで父親の背中を追いかけ、見知らぬ青年をその場に一人取り残した。
その拒絶のような態度が、タカヒロの胸の奥で燻っていた感情に火をつけた。
自分の言葉が真実であることを証明してやると叫びたかったが、舌が麻痺したように動かない。
拳を白くなるほど強く握りしめ、ひどく苛立った顔で二人の背中を睨みつけることしかできなかった。
(……くそっ!)
怒りに呑まれるのを拒むように、タカヒロは深く息を吸い込んだ。
一瞬だけ目を閉じ、冷たい朝の空気を肺の奥まで送り込んで頭を冷やす。
冷静さを取り戻すと、彼は振り返り、再び苗代へと歩み寄った。
残された破壊の痕跡が、一つの明確な事実を物語っている。
この荒らされた足跡は、決して動物の仕業ではない。
(足跡のパターンが粗すぎる。たまたま通りかかった野生動物の仕業だとするには、あまりにも不自然だ)
足跡は苗代の端で唐突に途切れ、周囲の乾いた土には泥の痕跡すら残されていない。
しかし、その足跡が消えた最後の地点で、タカヒロは一つの手がかりを見つけた。
短く赤い、一本の髪の毛だ。
彼がその毛を拾い上げた瞬間、背後から慌ただしい足音が近づいてきた。
「タカヒロくん!」
クトリの甲高い声が響く。彼女の後ろから、ウチが息を切らして追いかけてくる。
「クトリお姉ちゃん、待って……よぉ」
クトリは足を止め、後ろを振り返った。
「ウチ様、早くしてください」
「もう……無理……限界……」
ウチは荒い息を吐きながら、小さな身体を折り曲げて膝に手をついた。
「早くしないと、ウチ様」
クトリが繰り返す。悪戯っぽい笑みが彼女の顔をよぎった。
「足元、大きな黒いヘビが追いかけてきてますよ」
それを聞いたウチはパニックになって悲鳴を上げた。
途端に体力が復活したのか、彼女は一目散に駆け出し、クトリを追い抜いていった。
自分のイタズラが成功したのを見て、クトリは満足げに笑った。
二人はそのまま、地面にしゃがみ込んで土を調べているタカヒロの元へと歩み寄る。
「お前ら、イノシシにでも追いかけられてるみたいに走って、どうしたんだ?」
ウチとクトリはすぐには答えず、朝の空気を貪るように吸い込んでいた。
しばらくして、ようやくクトリが口を開いた。
「お父さんから全部聞きました」クトリは息を整えながら言う。「一体、何が――」
タカヒロは素早く立ち上がり、彼女の言葉を遮った。
その手には、まだ赤い髪の毛が握られている。
「クトリ、お前はこの村の人間だろ……この髪色に、見覚えはあるか?」
彼はその手がかりを差し出した。
クトリはそれを受け取り、じっと見つめる。
汚れのせいではなく、元々の質感が肌に粗く当たる。
「考えてみれば、こういう髪の毛の人はたくさんいますけど」クトリは真剣な表情で答えた。「残念ながら、誰なのかは全く思い出せません」
「よく思い出してみてくれ。何か見落としてるかもしれない」
「少し待ってください。もっと深く思い出してみます」
沈黙が彼らを包み込んだ。
クトリは目を細め、記憶の糸を必死に手繰り寄せる。
しかし、いくら待っても答えは出ず、タカヒロの忍耐は限界に近づきつつあった。
「おい、お前。いつまで待たせる気だ?」
タカヒロの顔に、不機嫌な皺が寄る。
その不満は、クトリの顔がぱっと輝いたことで即座に打ち消された。
「思い出しました!」
「本当か? 誰だ?」
「私がこの村に来た時から、ずっと怪しいと思っていた人がいるんです」
「あぁ……誰なんだよ?」
タカヒロは待ちきれない様子で急かした。
「ジュリオンジです。あの人は、バフリルと繋がりがあるはず」
「確かなのか、クトリ?」
タカヒロの疑わしげな視線に対し、クトリは真っ直ぐに真剣な瞳で見つめ返した。
「私が嘘をついているような顔に見えますか?」
タカヒロは思わず顔を背けた。
彼女の瞳に宿る怒りの光を見て、急にたじろいでしまったのだ。
その鋭い表情は、現実世界で彼を説教しようとする母親の姿を嫌でも思い出させた。
「それで、どうするつもりですか?」クトリは冷たく問いかけた。「奴らのアジトに直接乗り込みますか? それとも、このまま泣き寝入りですか?」
その挑発的な問いかけが、タカヒロの意識を完全に引き戻した。
「まあまあ、落ち着けよ!」
タカヒロは両手を振って、感情的になっているクトリをなだめた。
「反撃を急ぐ必要はねぇよ」
「それなら?」
「奴らのやったことに報いるために、とびっきり悪辣な計画を思いついたからな!」
タカヒロの唇の端が歪み、邪悪な笑みが浮かび上がった。
彼の纏う空気が突如としてどす黒く変わり、ずっとクトリの横で黙っていたウチは、その青年の表情を見てゾッと身震いした。




