第14章:希望の星
(やったぞ……!)
その一言がジョーの頭の中で何度も響き渡り、今日のあらゆるフラストレーションを完全に吹き飛ばしていた。
獲物に逃げられ、何度も悔しい思いを噛み締めてきた。だが、決して諦めなかったその地道な努力が、ついに報われたのだ。
狩猟用のナイフが滑らかに動く。シュッ、シュッ。目の前にある新鮮な獲物の分厚い皮を、肉から素早く剥ぎ取っていく。
血の生臭さと湿った土の匂いが辺りに漂うが、ジョーは全く気にしなかった。
腕の筋肉を使って皮を引っぱるたびに、彼の口角は自然と吊り上がっていく。
小さな家族の幸せな光景。特に、この肉が食卓に並んだ時のケイトの輝く瞳が、瞼の裏で何度も踊っていた。
その幸福感のせいで、一刻も早くこの獲物を自慢したくて、今すぐ森を駆け抜けたい衝動に駆られていた。
だが、愛娘の笑顔を想像するのに夢中になるあまり、少しだけ手元への集中が疎かになってしまった。
ズバッ!
脂で滑った刃先が思わず逸れ、ジョーの人差し指を深く切り裂いてしまった。
真っ赤な鮮血がポタポタと滴り落ち、地面にある獲物の血と混ざり合う。
ジョーは小さく舌打ちをした。
手を引っ込め、パックリと開いた傷口を少しだけ見つめると、躊躇なくその血を吸い、残った血を穿いているズボンで無造作に拭き取った。
亡き戦友たちと共に死線を潜り抜けてきた過去を持つ男にとって、こんな小さな切り傷は怪我の部類にすら入らない。
何事もなかったかのように、再び静かにナイフを握り直し、作業を再開した。
数分間の格闘の末、皮剥ぎの作業は完璧に終わった。
皮は完全に分離され、ずっしりと重く、身の詰まった生肉の塊だけが残された。
「よしっ!」
彼は興奮気味に声を上げた。
「家に帰るぞ!」
小さく切り分ける手間も惜しみ、ジョーはまだ血が滴る巨大な肉の塊を、そのまま肩に担ぎ上げた。
背中の筋肉がとてつもない重みに軋むが、足取りは羽のように軽かった。
満面の笑みを浮かべたまま、この中年の男はカリエフの森の静寂を破るように、陽気な口笛と鼻歌を交えながらヴェリア村へと足を踏み出した。
ジョーが帰路についている頃。村の別の場所では、西日が色褪せ始め、年季の入った古い倉庫を照らしていた。
◇◇◇
倉庫の中では、木の壁の隙間から吹き込む風に乗って、細かい埃が舞っている。
ビー、シンティアラ、そしてケイトの三人は、明日の朝テロヴィアの街へ出荷される新鮮な卵と果物の残りを、木箱に綺麗に詰め終わったところだった。
重労働だったが、倉庫の中には笑い声が響き渡っていた。数時間前に起きたバカバカしいハプニングを思い出しては、みんなで大笑いしているのだ。
従業員の一人が足を滑らせ、家禽の糞が溜まった処理池に見事に落ちてしまったのである。
強烈なアンモニア臭が染み付いてしまい、その哀れな従業員の服はどうやっても救済不可能で、ゴミ箱に直行する羽目になったのだった。
最後の箒を部屋の隅に片付けると、ビーは額の汗を拭った。シンティアラとケイトが、出口の方へ向かって歩き出そうとしているのが見える。
「シンティアラ、ケイト」
名前を呼ばれ、二人の少女は同時にピタリと足を止めた。何も言わずに振り返り、中年の男へ視線を向ける。
「ちょっと待ってくれ。君たちに渡したいものがあるんだ」
ビーはそう続けた。
『渡したいもの』という言葉に、シンティアラとケイトは顔を見合わせた。困惑したように眉をひそめる。
最初から、ほんの少し手伝おうと思っただけなのだ。この牧場の主から、特別な報酬やプレゼントを貰うなんて微塵も期待していなかった。
ビーは背を向け、巨大な木箱が積まれた奥のスペースへと入っていった。
二人の少女が気まずそうにしばらく待っていると、やがてビーが少し重そうな足取りで戻ってきた。その両手には、かなり大きな包みが二つ抱えられていた。
シンティアラとケイトは、思わず目を丸くした。口がポカンと開いている。その包みの形と大きさは、彼女たちの予想を遥かに超えていた。
「ほら」
ビーはその巨大な包みを差し出し、半ば強引に二人の両手に持たせた。
「今日、手伝ってくれたお礼だよ。」
手にずっしりとした重みを感じる。ケイトは包みを見つめ、戸惑いながらビーの顔を見た。
「だ、だけど、ビーおじさん……私たちは……。」
シンティアラが断りの言葉を言い終える前に、ビーは一歩前へ出た。ごつごつとした手で少女たちの肩を掴み、ゆっくりと体を反転させると、倉庫の入り口に向かって優しく背中を押した。
「分かってる、こんなの受け取りたくないって顔してるな? 君たちは純粋な善意で手伝ってくれた。そして、俺も純粋な気持ちでこれを渡したいんだ。だから、これで今日はおあいこ。勝者なしだ!」
外へ押し出す直前、ビーはにっこりと微笑んだ。目尻のシワがくっきりと浮かび上がる、本当に心からの笑顔だった。そこには一切の無理も、嘘もなかった。
その光景は、二人の少女の心の一番柔らかい部分を見事に打ち抜いた。入り口に立ち尽くしたまま、もうこれ以上、断りの言葉を口にすることはできなかった。
「ほら、もう帰りなさい。暗くなってきたし、親御さんを心配させちゃダメだぞ」
これ以上反論する余地もなく、シンティアラとケイトは深く頭を下げた。言葉では到底言い表せないほどの感謝の気持ちを込めて、この男の寛大さに最上級の敬意を払うようにお辞儀をした。
薄暗くなり始めた村の道を歩く帰路は、とても静かだった。いつものような笑い声も、他愛のないおしゃべりもない。
時折、二人はうつむき、腕の中の大きな包みを見つめた。ビーからこんなに大きなものを貰ったのは、これが初めてだった。
家族のために何かを持ち帰ることができるという、温かい感謝の気持ちが胸の奥で広がっていく。
だが同時に、不安で唇を噛み締めてもいた。資金繰りが大変なはずの老商人から、こんな高価なものを受け取ってしまったという罪悪感が、密かに忍び寄っていたのだ。
◇◇◇
テロヴィアの領地に、ついに完全な夜が降り立った。オレンジ色の空は、漆黒のキャンバスへと塗り替えられていく。
畑への道と村のエリアを分ける、乾いた土の三叉路。そこにようやく、ジョーの姿が現れた。
カリエフの森からの道のりは、彼の残っていた正気を完全に削り取っていた。
骨まで砕けそうなほどの疲労。喉を紙ヤスリのように荒らす強烈な渇き。そして胃袋を捻り上げるような飢え。それらすべてが合わさり、絶対的な拷問となって彼を苦しめている。
両足は無理やり引きずられている状態だった。バランス感覚はとうの昔に崩壊し、体は右へ左へと大きく揺れている。肩に担いだ巨大な肉の塊は、今や砥石の岩のように重く感じられた。
「あ、と……すこ、し……っ」
酷く荒い息を吐きながら、掠れた声で呻く。
自宅のテラスでくつろいでいた白髪の老人が、通りを歩く奇妙な動きに気がついた。目を細めてそのフラフラと歩く人影が誰かを確認した瞬間、強烈な哀れみが老人の胸を打った。
老人は遠くから『ジョー、どうしたんだ?』などと無駄に叫んだりはしない。即座に椅子から飛び起き、ジョーの元へ駆け寄ると、有無を言わさずその脇の下に腕を差し込み、意識が飛びかけている一児の父を、自宅の前の長椅子まで担ぎ運んだ。
ジョーはされるがまま、木の長椅子に倒れ込んだ。獲物の肉は慎重にその横へと立てかけられる。
椅子に腰を下ろした瞬間、ジョーの口から途切れ途切れの息が漏れた。どこから来て、どうしてこんな悲惨な状態になっているのかを簡単に説明すると、隣人の老人はさらに心配そうな顔を浮かべた。
「ここで少し待ってなさい。何か持ってくるから」
「ありが……とう、ございます」
飲み水をもらえると聞き、ジョーは家の木の壁に頭を預けた。親切な住人のおかげで、ようやく少しだけマシな酸素を肺に吸い込むことができる。
近隣の家から漏れるランプの光が、ジョーの青白い顔を照らしている。こめかみや首筋に滲む冷や汗が、今日一日、彼がカリエフの森でどれほど残酷なまでに肉体の限界を削ってきたかを如実に物語っていた。
眠気と疲労で半分閉じかけた目。それでもジョーは顔を上げ、ヴェリア村の暗い夜空に散りばめられた星々を見つめた。
疲れ切ってはいるが、底知れぬ満足感に満ちた薄い笑みが、ひび割れた唇に再び浮かぶ。
(ケイト……家で待っててくれ。今夜は、パパからとびきりのサプライズがあるからな)




