第10話 夏休みが終わらない
早朝の図書館内は明るく、真夜中程ではないが人も疎らで静かだ。そんな図書館の一角で、わたしはふと本の文字から目を離して唐突に思った。
もしかして、まだ夏休み終わってないんじゃね?
不摂生な生活をしているがわたしだが、日付感覚は狂っていないし、学園の生徒が帰省を終えて戻って来ている事も承知している。
それでもまだ夏休みが終わっていないのではないか、と錯覚を起こしたのには理由がある。
わたしは夏休みが終わってからまだ1回も授業を受けていない。
1週間……いや、12日前に授業が再開したから、ほぼ2週間経過している。わたしの周囲だけ時空が歪んでいるとかそんなんじゃなく、休日を省いたとしても確実に10日間は授業をサボタージュしているのだ。
おかしい。それは12日後に気づいたわたしの事ではなくて、何故こんな事が出来てしまっているのかという単純な疑問だ。
こんな風に連日授業をサボれたのはいつぶりだろう。熱を出して1週間休んだ時?違う。あれは正当な理由のある休み。今回の状況には当て嵌まらない。
口元に手を当てながら悩ましげに唸り、違和感の正体に気づくと同時に顔を上げて手を打つ。
「あ、鬼軍曹が現れる前だ」
ここまでわたしが自由気ままに過ごせたのは、授業を受けさせようとする鬼軍曹が現れる前の好き勝手出来ていた時以来だ。
最後に鬼軍曹に会ったのって、いつだっけ?
夏休みに突入する以前まで遡るが、1ヶ月以上前だからか記憶が曖昧で思い出すのに苦戦する。
えーと……あーそうだ、魔法陣と実験結果を書いた紙を失くして、それを鬼軍曹がサンタクロースみたいに届けて去って行こうとした時が最後だ。
結局あれ以来会えていないから、嫌がらせで『レナちゃん』って呼ぶ機会を逃してしまっている。
今まであれだけしつこかったのに、何で急に現れなくなったんだろう?何かあったのかな?
鬼軍曹が姿を見せないのは一向に構わないのだが、少しだけ気になった。そんな素振りは無かったし、突然わたしの前から居なくなるような心当たりが無いからだ。
居なくなるのは別にわたしにとって何の問題も無い。寧ろ、わたしの行動にいちいち口出しして来る人物が居なくなるのは喜ばしい事だ。
ただ、ちょっと引っかかっているだけ。
わたしは数秒間動きを止めて思考した後、開いていた本の頁に栞代わりの本を挟み、椅子から立ち上がってキョロキョロと周囲に目を向ける。
何の気なしに忍足で所狭しと並べられた本棚の隙間を覗いて周り、近辺を一周してから足を止めて首を傾げる。
隠れて様子を伺っている訳では無いらしい。普通に考えれば当然の事なのだけど、やっぱり急に姿を見せなくなるなんて信じ難いし。
何をしてもわたしは変わらないって分かって、諦めたのかな。
「……」
そう考えると見放されたような気持ちになってしまうのはどうしてだろう。
今世のわたしは好き勝手していて、団体行動も協調性も知ったこっちゃないみたいな生き方をしている。自己中だとか、わがままだとか、周囲はそんな風に思っているのだろう。言われなくても察している。
呆れられて人が離れて行く事なんて慣れていると思っていたけれど、そうでもなかったのだろうか。
気分が沈んでしまっているのに気づき、暗い考えを振り払うように自分の頬を思いっ切り引っ叩いた。
早朝の図書館に頬を打つ音が反響して、思いの外大きな音を出してしまった事に『また怒られる』と一瞬焦る。でもまあ、たった一回だけなら気のせいだと思ってくれるんじゃないだろうか。
よし、切り替えてこう!
鬼軍曹から解放されたみたいだし、これからは邪魔される事に怯える必要は無くなった!
いつ終わってもおかしくない人生、好きに生きて何が悪い!
***
真面目な生徒なら授業を受けている筈の昼過ぎの時間帯。人目を避けるようにふたつの人影が蠢いていた。それが誰であるかなど、もはや言うまでもないだろう。
日の光からは縁遠いジメジメとした校舎裏で、わたしは胸を張って仁王立ちをすると、高らかに宣言した。
「それでは、これより『スリル満点!ドキドキ魔法実験』を開始します!」
「いえーい!」
悪友ネイトは待ってましたと言わんばかりに拳を突き上げ、興奮を隠し切れない弾んだ声で呼び掛けに応えた。
とは言っても、今回はあまり危険な事をするつもりは無い。危険は無いが、訓練場を使う許可は絶対に下りないであろう事をするんだけど。
わたしはその反応に満足して、悪巧みをする悪代官のように口元の笑みを深め、声を潜めて共犯者に問いかける。
「例のブツは忘れずに持って来ただろうな?」
「もっちろん!これでいいだろ?」
ネイトは勢いよく座り込むと、足元に置いていた大きめの木箱の蓋を開ける。わたしは木箱の中を上から覗き込み、事前に持って来るよう伝えていた道具が揃っているのを確認してから、目を合わせてグッと親指を立てた。
歯を見せてニヤっと笑い「お前は?」と聞かれたので、わたしも背中に背負っていた重量感のあるリュックを下ろして中を見せる。
どれも素晴らしく状態の良い自慢の代物だ。
「おおー!うまそう!」
「でしょ?」
目を輝かせて声を上げるネイトの様子を見て、わたしは得意げに鼻を鳴らす。
すると、リュックの中を覗き込んでいたネイトが不思議そうに「でもさー」と言葉を続けた。
「これでどんな魔法の実験するんだ?」
そんなの決まっている。
この場に集められたのは、四脚のコンロと新鮮な野菜にお肉、食器類。どう考えても魔法実験とは関係の無い、バーベキューが始まりそうなラインナップだった。
しかし、わたしの目的は変わらない。
「前から言ってた通り、改良したフェニックスのお披露目だよ」
「言ってたけど、野菜と肉はトーゼン食べるんだよな?」
「フェニックスの火で焼いてね」
「マジか!そーゆう使い方すんの!?」
「いや、本意ではないんだよ。フェニックスにはカッコイイ事させたいんだけど、丁度手元に実家から送られてきた野菜とお肉があってだね」
学園の人からわたしの不摂生を伝え聞いた両親が心配して、これまた学園からの厚意で防腐処理の魔法を施した状態で遠方から遥々送られて来たのだ。
夏休み中に手紙と一緒に届いたのだが、未だに半分も食べ切れていない。食べ物が無い訳じゃないんだから、こんなに送って来なくても大丈夫なのに。
まあ、家族の存在を感じられるのは嬉しいのだけど。
正直、フェニックスの魔法に危険はあまり無いし、訓練場を使う許可は得られるだろう。しかし、さすがに他の生徒が魔法の練習に勤しんでいる訓練場でバーベキューを始めたら、鬼の形相で先生が駆け付けて来る。
今こそこそしているのは、そういう理由なのだ。
なぜ魔法実験とバーベキューを別々にしないのかと聞かれれば、一回に纏めた方が手間も減って時間短縮になるからだ。
わたしは他にもやりたい事が山程ある。時間は必要以上に無駄にしたくないけれど、これだけは絶対に食べておきたいからこうなった。
「クレアの実家で採れた野菜なのか?」
「そうそう、お肉は行きつけのお店で買ったやつみたいなんだけどね。だから食べられないとか言わないでよ」
「あったりまえじゃん!俺嫌いな食べ物とかねーもん!あっ、この赤いの一番好きなんだけど、いっぱい食べていい!?」
「ふふふ、遠慮無く食べたまえよ。まだまだ沢山あるから、足りなければ持って来るし」
「さっすがクレア!ふとっぱらー!」
両親が精魂込めて育てた野菜でこんなに喜ばれると、何だか誇らしくなる。
力仕事はネイトに任せて、貧弱なわたしはこれから焼く予定の野菜とお肉を取り出したり、フェニックスの魔法陣の最終確認をする。
うん、見落としは無いかな。
「クレアー!準備終わった!」
「おつかれー。じゃ、早速始めようか」
「おう!」
「ネイトにあげる魔法なんだから、ちゃんと見ててよね」
わたしは魔法実験の主役である魔法陣の描かれた紙を取り出すと、魔法陣の形状を魔力で写し取って拡大したものを地面に再現した。
瞬く間に完成した淡く黒い光を放つ魔法陣を前に、ネイトは「おおっ」と感嘆の声を上げる。わたしの魔法陣を形成するスピードは夏休みを跨ぐ以前と比べて、確実に早くなっていた。
ふっ、わたしにかかればこんなもんよ。
続けて魔法陣に魔力を送り込んで行き渡らせれば、次の瞬間には光度を上げて鋭い輝きを放った。黒い光は中心に赤色を混ぜて、魔法陣から滝の如く溢れ出す。
やがて赤色は黒い光を飲み込み、とぐろを巻いた炎が姿を現した。そして、炎は周囲に細かな火の粉を飛ばして徐々にある一点に収束し、球状の繭のようになった炎は折り畳んでいた翼を大きく広げる。
途端に顕現したフェニックスの姿を象った炎が、ゴオッと咆哮を上げるように揺らめいた。
「おおー!なんかスゲー進化してね!?」
「召喚する時の演出に力を入れてみました」
「あと急に暑くなった気がすんだけど気のせいか!?」
「半径10メートルのフィールド効果も付与してみました」
「スゲー凝ってんな!」
「どうよ?」
「めっちゃスゲー!!」
語彙力。とは思ったが、それだけ興奮しているという事だろう。悪い気はしない。
わたしはドヤ顔をしながら、キラキラと火の粉を散らして空中を自由に飛び回るフェニックスについての説明をする。
ネイトの視線はフェニックスに釘付けだったから、ちゃんと聴いているのかどうかは怪しかったけど。
「火を取り込める量を少し増やしたから、最大でわたしたちの背丈くらい大きくなれるようになったんだよね。あと、要望通り火を吹けるようにもしたよ。瞬間的な威力と持続時間にはまだ課題が残るけど、次回以降に改善する予定。あとは……」
言葉を区切って暫くフェニックスを眺める。
フェニックスは丁度良い木の枝に留まり、忙しなく首を振ったり、羽を嘴で啄んで羽繕いをする。その仕草は普通の鳥の動きと非常に似通っていてリアルだ。
「ちょっと鳥っぽくし過ぎたかもしんない」
「えー!かわいーじゃん!」
「そう?有り難みって言うか、神々しさとか神秘的な魅力が欠けてない?」
「そこがいんだろ!」
バードウォッチングの成果が思っていた以上に出過ぎてしまったのだが、ネイトからは好評らしい。
うーん、ネイトがそう言うなら直さなくてもいいのかな。理想の『フェニックスらしさ』を思うと惜しい気もするけど、確かにこっちの方が可愛いしね。
「野菜と肉焼こうぜ!」
「そうだね。フェニックス、おいで」
木の上にいるフェニックスに向かって名前で呼びかけると、羽繕いを止めてわたしの方に顔を向ける。
わたしを見つめる瞳は渦を巻いて燃え盛る宝石のような光を放ち、その姿はわたしが心配するまでもなく十分神秘的に思えた。
火の粉を散らす翼を広げて、フェニックスは木の上から飛び立つ。わたしの頭上をくるくると旋回して、次の指示を待っているようだった。
「その火の粉って熱くないんだな」
「雰囲気作りのエフェクトだからね。本物にする事も出来るけど、そうすると周りが甚大な被害を被るし」
「あ、そっか」
「まあ、燃え移らないようにはしてるけど、さすがにフェニックス本体には熱くて触れたもんじゃないよ」
網を張ったコンロの上に、大皿に乗っていた生の野菜と赤みのお肉を移して並べる。そうして網を埋め尽くして下が見えなくなると、わたしはフェニックスの方へ振り向いて、コンロを指差しながら言った。
「よし、フェニックス!野菜とお肉に向かってファイアーだ!」
返事をするようにゴオッと炎を一瞬膨れ上がらせると、フェニックスはコンロへ近づき、嘴を開いて真っ赤な火を噴いた。
火を浴びた野菜は先っちょが焦げて黒くなったりはしたけれど、炭に火が燃え移ったので、後はこのまま弱火でジリジリと焼けば大丈夫だろう。
「それじゃ、火の管理よろしくね」
撫でる事は出来ないが、笑いかけてそうお願いすると、フェニックスはコンロの端に留まり、翼を広げて元気に返事をした。
かっこかわいい。
わたしが「よしよし」と言いながら魔法で出した火を与えると嬉しそうに火を飲み込み、先程より若干縮んだ体が元の大きさを取り戻した。
その様子を、ネイトは食い入るように眺めていた。
「俺もやりたい!」
「あんまりあげ過ぎないでよ」
「わかってるって!」
ネイトは子供らしくはしゃいで、少し手こずりながら魔法で出した火をフェニックスに与える。そして、自分の出した火を飲み込んだのを見て「おおー!」と見開いた目を輝かせた。
随分と気に入ってくれたようである。
わたしとネイトは野菜とお肉を、フェニックスは火をコンロの上から摘んで、誰にも邪魔される事無くバーベキューを楽しんでいた。
わたしは焼き上がった野菜とお肉を食堂のおばちゃんに分けて貰ったタレに絡めて食べる。当然のように美味しい。おばちゃんにもお裾分けしないとな。
暫くはネイトとくだらない話をして過ごしていたが、わたしは少し引っかかっていた事について野菜を頬張るネイトにさり気なく訊いてみることにした。
「そう言えば、鬼軍曹って元気にしてる?」
「ん?レナード?なんで?」
「最近……でもないけど、夏休みに入ってから見かけなくなってさ、どうしてんのかなーって」
「そーなのか?でも俺クラス違うし学年別の授業で一緒になるくらいだけど、特に変わったようなトコ無かったぜ?」
「ぜんぜん?」
「ぜんぜん」
じゃあ、やっぱり諦めただけかな。体調が悪いから顔を出せない、とかじゃないみたいだし。
「てゆーか、レナードのこと『レナちゃん』って呼ぶとか言ってなかったか?」
「そうなんだけど、暫く会ってないと熱も下がるって言うか、やめとこっかなとか思う訳ですよ。呼ぶ機会も無いし、怖いし」
「ふーん?そんなに気になるなら会いに行けばいーじゃん。普通に授業受けてるぜ?」
「いや、そこまでする程でもないんだよね」
「めんどくせーな」
あと、押してダメなら引いてみろ的な作戦にまんまと引っかかっているのかも知れないと思うと、逆に頑固として自分から行きたくなくなるのがわたしの性だ。
この話は終えてお肉を口に運んでもぐもぐしていると、ふと目に入ったフェニックスの姿に固まる。
「ネイト、火あげ過ぎないでって言ったよね?」
「え?俺はあげてねーよ?」
「じゃあ何でこんなに大きく……」
召喚した時よりも数倍膨れて、わたしたちの身長とそう変わらない大きさになったフェニックスは誤魔化すようにげぷっと火の玉を吐き出して若干縮んだ。
火の精霊に基本行動を任せている弊害だろうか。こいつ、自分でコンロの火を育てて、火力の調整に乗じて食べまくってやがった。自由行動が過ぎる。
わたしは驚くと共に、感心してしまった。
さすがブラッドリーの魔法を参考にしただけあるわ。要課題だな。
フェニックス含め全員が満腹になった後、バーベキューは無事終了した。
結局、今回は先生も駆け付けて来なかったし、鬼軍曹も現れなかった。その事について『良かった』と思えなかったのは、きっと気のせいだ。




