プロローグ 神ゲーは、異常者を想定しない
世の中には、二種類のゲームがある。
ひとつは、遊ばれるために作られたゲーム。
もうひとつは、壊されるために生まれたゲームだ。
たいていの人間は前者だけを遊んで終わる。
洗練されたUI、親切な導線、適度な難易度、快適なマッチング。
ストレスなく遊べて、ストレスなく勝てて、ストレスなく語れる。
だが、ごくまれに後者ばかりを渡り歩く人間がいる。
致命的なバグ。
死んだNPCが翌日には復活している世界。
地形判定が狂って壁の中へ落ちるダンジョン。
攻撃よりジャンプの方がDPSの高いクソ調整。
ラスボスより店売りパンの方が強い経済崩壊。
そういう“終わっているゲーム”を好んで遊び、笑い、攻略し、時に愛してしまう者たち。
その中でも、真波灰人は筋金入りだった。
「……で、この世紀の神ゲーを俺にやれと?」
マンションの一室。
安物のゲーミングチェアにもたれかかりながら、灰人は机の上に置かれたパッケージを見下ろしていた。
ケースには、金箔めいたロゴが浮かんでいる。
《Elysion Border/エリュシオン・ボーダー》
発売前から“完全没入型VRMMOの到達点”とまで呼ばれた怪物タイトル。
現実と見紛う描写、世界規模で同期する気象演算、プレイヤー行動に学習適応する群体AI、そして「千人が同じ場所に立っていても全員に違う体験が起きる」とまで噂された次世代機だ。
初回出荷はわずか数万。
先行テストには国際プロゲーマー、配信者、検証勢、企業スポンサー付きのランカー候補まで集まった。
言ってしまえば、**“デカい奴らがデカい顔で遊ぶためのゲーム”**である。
灰人はそういうゲームがあまり好きではない。
「神ゲーって言葉ほど信用できないもんはないんだよな」
独り言に返事をしたのは、通話越しの友人だった。
『うるせぇ。お前の信用基準が“地面をすり抜けるかどうか”なのは分かってるんだよ』
「違うな。地面をすり抜けたとき、そのゲームがどう扱うかだ」
『同じだろ』
「全然違う。設計思想が出る」
通話相手の名は志崎理央。
配信者ネームは《リキッド》。
FPS、格ゲー、PvP、TPS、MOBA、何でもそれなりにうまい器用型で、灰人とは高校時代からの腐れ縁だった。
灰人が「バグの向こう側」を見に行くタイプなら、理央は「ゲームとして面白いか」を正面から評価するタイプである。
『とにかくやれ。お前のために抽選枠流したんだからな』
「頼んでない」
『でも来たろ』
「……来た」
灰人はパッケージを手に取る。
ずしりと重い。物理媒体というより、専用インストールキーとVR同期認証モジュールのケースだ。
『《エリュシオン・ボーダー》はな、今までの全部と違う。バグも穴もない。マジで完成されてる』
「そんなこと開発が言うならともかく、お前が言うと逆に怪しい」
『お前、俺のことなんだと思ってんだ』
「ソフトの善し悪しで人間性まで変わる奴」
『否定できねぇのが腹立つ』
理央がため息をつく気配がした。
『でも一つだけ、気になる噂がある』
「ほう」
『このゲーム、“変なことをするプレイヤー”がいると、世界側の反応が変わるらしい』
「仕様だろ」
『その変化が、運営の告知してる範囲を超えてる』
「……へえ」
その一言で、灰人の興味が少しだけ動いた。
『先行組の一部で、明らかにおかしいログが流れてる。
出現しないはずのNPCが現れたとか、クエスト分岐に存在しない選択肢が出たとか、同じエリアにいるのに別の現象が起きたとか』
「捏造じゃなく?」
『検証勢が割れてる。フェイク説、隠し要素説、動的学習説』
「どれでも面白そうだな」
『お前が食いついた。珍しい』
「“完成された神ゲー”の方には興味ない。
でも、“完成しすぎて何が壊れるか分からないゲーム”は別だ」
灰人は椅子から立ち上がった。
部屋の隅には、数多の終わったゲームのパッケージが積まれている。
サービス三日で緊急停止したVRホラー。
プレイヤー全員が同じ座標へ湧いて圧死するMMO。
なぜかチャット欄から敵AIが侵入してきた海外インディー作。
灰人にとっては、どれもただの失敗作ではない。
設計が崩れたとき、人とシステムがどんな顔をするのかが見える“教材”だった。
そして今、机の上には、誰もが完璧だと信じているゲームがある。
「……まあ、見てやるか」
彼はケースを開き、認証モジュールをVRヘッドギアへ差し込んだ。
起動光が、部屋の薄暗さを青く塗りつぶす。
神ゲーだか何だか知らない。
ただ一つ確かなのは、どんなシステムにも境界線があるということだ。
人が想定した範囲。
世界がプレイヤーを受け入れる限界。
ルールがルールでいられる輪郭。
真波灰人は、その境界線を見つけて踏み抜くのが好きだった。




