エピローグ:北沢澪
最近、直也くんとよく連絡を取るようになった。
メッセージのやり取りは短くても、声を聞けば、すぐ分かる。
彼の中に――中高生の頃の “遊び” の部分が戻ってきていることが。
少し冗談を言って笑わせたり、昔みたいに「澪の局で流していたこのニュース、一体何なんだよ。突っ込みどころしかないな」なんて愚痴を言ったり。
それだけで、胸の奥がふっと温かくなる。
彼は言っていた。
「でも、阿蘇サミットまでは、結局なかなかワーカーホリック状態が解消されないな」
やっぱり、彼らしい。
けれど、あの屋上で「週末は仕事を離れる」と約束してから、本当に、週末は普通に連絡が取れるようになった。
「休む」ことを、ちゃんと始めている。
それだけで、少し誇らしい気分になった。
五井物産の人事部が相当動いたという話も直也くんから聞いた。
「働き方改革が形骸化している。
そのことで、大切な人材を壊してしまうような事は断じて許されない」
――そんな言葉が社内通達に載ったと。
直也くんは電話の向こうで苦笑していた。
「いや、理念としては分かるし、当事者として否はないけれど、
わざわざ完全に仕事を取り上げなくてもいいと思うんだよなぁ……」
“仕事を取り上げられた直也くん”。
想像しただけで、なんだか可笑しい。
それだけ彼が“走り続けること”に慣れすぎていたんだ。
私は、阿蘇のサミットで「一ノ瀬直也番」に任命された。
NHKを含めて、私の報道番組の影響で、直也くんへのメディアスクラムを自粛する空気がある中で、そういった事を気にせずアプローチできるというのは確かに絶対的に優位ではある。
でも今、そのことでちょっとした問題を抱えている。
「――私が直也くんに会うのを、岡島彩羽さん以外のそちらの皆さんが、一致団結して邪魔してるの。
もう事実上の “出禁扱い” にしようとしていて、正直本当に困ってるんだよ。
酷いよね。
絶対嫌がらせだよ」
電話の向こうで、彼は吹き出した。
「はははっ。
――まぁ、無理もない。
あのディレクターズカット版はさすがに無いんじゃないか?
亜紀も玲奈も麻里も滅茶苦茶怒ってたぞ。
義妹の保奈美まで少し怒ってた。
“ディレクターズカット版にしても、あんなの出すなんてひどい” って」
「……だって、伝えたかったんだもん。
“立派になる” より、“幸せに生きる” ってことを。
それに――約束でしょ。
阿蘇では、空いた時間にデートしてもらうからね」
「いやいや、こっちはサミット本番中だぞ」
「うん、だから “空いた時間” でいいの」
「交渉になってないな、それ」
電話の向こうで、彼の笑い声が聞こえた。
その笑いが、あの屋上の風を思い出させる。
少しだけ少年のようで、少しだけ弱くて――それでいて、ちゃんと生きている音。
「もしくは、独占取材をさせてくれるなら、時期を延期してあげてもいいけど」
「なんだよ。
オレのことを心配するフリして、結局メディア人らしい、いやらしさ満点の仕打ちだな」
「フリじゃないもん」
言いながら、思わず笑っていた。
笑っている自分の声を、直也くんに聞かれるのが、少し恥ずかしかった。
「……ま、いいや。
出禁扱いにするなとオレから言っておくから、大丈夫」
「ほんと?」
「ほんと。――ただし、阿蘇では仕事優先な」
「了解。
じゃあ “仕事として” デートしよう」
「それ、言い方が悪質だぞ」
また、笑い声。
電話越しに、ほんの少しだけ、春の風の匂いがした気がした。
――“立派になる” じゃなく、“幸せに生きる” を。
あの日、彼と約束した言葉が、ようやく現実を動かし始めている。
私は通話を切ってから、しばらくスマホを胸に当てた。
その温もりの向こうで、彼が息をしている。
それだけで、少し救われた気がした。
もうすぐ阿蘇。
今度こそ――彼の “幸せ” を撮りたい。
そして叶うことなら、私もまた “幸せ” になるんだ。




