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第13話 断罪の卒業パーティー

シャンデリアの煌めきが眼下の人波を黄金色に染め上げていた。

軽やかなワルツの旋律。

クリスタルグラスが触れ合う涼やかな音色。

給仕たちが運ぶ色とりどりのオードブル。


王立学園の大講堂は今、卒業パーティーの華やぎと熱気に満ちていた。

明日からはそれぞれの道を歩む若き貴族たちが今夜ばかりは身分を忘れ、青春の最後を謳歌している。


その喧騒の中心――壇上に、生徒会長レオンハルト・ヴァン・アスタリスクは立っていた。


「……時間だ」


彼は懐中時計を確認し、パチリと蓋を閉じた。

その姿は相変わらず「氷の彫像」と称されるほどに美しい。

完璧に着こなした燕尾服。一糸乱れぬプラチナブロンドの髪。

目の下にうっすらと浮かぶ隈さえも、憂いを帯びた美貌の一部として成立させている。


彼はマイクの前に立つと、片手を軽く挙げた。

それだけの動作で、オーケストラの演奏がピタリと止む。

生徒たちの視線が、一斉に壇上のカリスマへと注がれた。


「楽しんでいるだろうか、諸君」


よく通る、理知的な声。

そこには狂気も焦りもない。あるのは、すべてを掌握している為政者の自信だけだ。


「この素晴らしき宴の最中だが、私から一つ、個人的な……しかし、幸福な報告をさせてもらいたい」


レオンハルトは、うっすらと口角を上げた。

会場の令嬢たちが、その美しい微笑みに溜息を漏らす。

彼は信じているのだ。

これから自分が語る計画が、誰からも祝福される「完璧なサプライズ」であると。


「私、レオンハルト・ヴァン・アスタリスクは……明日、婚約者であるアルテミス・フォン・ローゼンバーグとの結婚式を執り行う」


会場がどよめいた。

祝福の拍手ではない。驚きと、困惑のざわめきだ。


「明日? 卒業式の翌日に?」

「招待状は?」

「おい待て、アルテミス嬢はまだ1年生だぞ?」

「在学中に結婚なんて聞いたことがない……」


そんな周囲の戸惑いを、レオンハルトは「驚きによる興奮」だと解釈したようだった。

彼は満足げに頷く。


「急な話に聞こえるかもしれないが、準備は万全だ。王家の許可も得たし、新居の改修も昨夜完了した。……多忙ゆえに彼女には寂しい思いをさせたが、これですべて報われる」


彼は胸を張った。

書類仕事も、領地の調整も、根回しもすべて完璧にこなした。

あとは、この最高の舞台に「主役(ヒロイン)」を招き入れるだけ。


「彼女は、照れ屋だからな。サプライズのために、少し遅れて登場する手筈になっている。……さあ、拍手で迎えてやってくれ」


レオンハルトが入り口へ手を差し伸べる。

彼が演出した「最高のハッピーエンド」が始まるはずだった。


その時。


ギィィィィ――。


重厚な両開きの扉が、ゆっくりと開かれた。

華やかな会場の空気が一瞬にして変わる。

流れ込んできたのは冬の夜の冷たく澄んだ風と、肌を刺すような「静寂」。


ざわめきが波が引くように消えた。

誰もが息を呑み、入り口に釘付けになる。

そこに現れたのは、レオンハルトの想定した「恥じらう花嫁」ではなかった。


「……なんて、美しい」


誰かが呟いた。

そこにいたのは、燃えるような真紅(ルージュ)のドレスを纏ったアルテミス。

かつて彼が好んだ淡い色ではない。

背筋を伸ばし、顔を上げ、その瞳には王妃のような気高さが宿っている。

唇に引かれた紅はまるで血のように鮮やかだ。


そして、その隣。

彼女をエスコートする「男」がいた。

この会場にいる誰よりも、圧倒的な存在感を放つ「男」だ。


夜空を溶かしたような銀色の髪。

凍てつく氷河を思わせるアイスブルーの瞳。

長身を包むのは北の大公家特有の、濃紺に銀糸の刺繍が施された軍礼服。

その歩く姿一つで、周囲の空気を支配するような、絶対的な捕食者のオーラ。


カツ、カツ、カツ。


音楽の止まった会場に、二人の足音だけが響く。

男はアルテミスの腰に手を回し、周囲を威圧する鋭さで守りながら、悠然と歩を進めた。

そのあまりに完成された「絵画」のような二人に、人々は海が割れるように道を開ける。


壇上のレオンハルトは、差し出した手を下ろすことも忘れ、呆然と二人を見つめていた。


「……誰だ?」


彼は眉をひそめた。

怒りよりも先に、理解不能な事態への困惑が口をついて出る。


「君は……どこの誰だ? なぜ私の婚約者をエスコートしている? ……それに、アルテミスのそのドレスはなんだ? 明日の挙式のために、白を用意したはずだ」


彼はまだ状況を理解していない。

自分の用意したレールから、彼女が外れることなどあり得ないと思っているのだ。


二人は壇上のすぐ下まで歩み寄り、足を止めた。

男はゆっくりと視線を上げ、レオンハルトを見下ろした――物理的な高さは壇上の彼が上であるにも関わらず、精神的な位置関係は完全に逆転していた。


「……初めまして、アスタリスク公爵令息」


腹の底に響く、低い声。

その声だけで、会場の空気がピリと張り詰めるのがわかった。


「招待されていないが、来させてもらったよ。……私の『婚約者』を紹介するためにね」


「……は?」


レオンハルトが間の抜けた声を上げた瞬間、会場中が爆発したような騒ぎになった。

「婚約者? アルテミス様が?」

「あの銀髪……まさか、ウィンターフェルド家の……?」


男はその喧騒を手で制することなく、優雅にアルテミスの肩を抱き寄せた。

そして、勝ち誇ったように微笑む。


「私の名は、シリウス・フォン・ウィンターフェルド。……ウィンターフェルド大公家の『嫡男』だ」


その名乗りが落ちた瞬間、会場は水を打ったように静まり返った。

ウィンターフェルド家。

北の国境を守護し、王家に匹敵する武力と権威を持つ名門中の名門。

そしてその「嫡男」といえば、長らく病弱で表舞台に出てこないと言われていた「幻の貴公子」だ。


「な、何を言っている……!」


レオンハルトがついに声を荒げた。

額に青筋を浮かべ、演台を叩く。


「大公家の嫡男だと? そんな話は聞いていない! それに、アルテミスは私の婚約者だ! 王家の承認もある! 泥棒猫のような真似が許されるとでも……ッ!」


「あら」


その怒号を遮ったのは、鈴を転がすような涼やかな声だった。


アルテミスが一歩、前へ出た。

シリウスの背に隠れるのではない。

自らの足で立ち、扇をゆっくりと閉じる動作一つで、レオンハルトの言葉を切り裂いたのだ。


「泥棒猫、とは異な表現ですわね。レオンハルト様」


彼女は微笑んでいた。

けれど、その笑みはかつての「儚げな微笑」ではない。

公爵令嬢として完璧に洗練された、しかし絶対零度の拒絶を含んだ「貴族の笑み」だ。


「アルテミス……?」

レオンハルトが怯んだように後ずさる。


「10年間、わたくしはずっと貴方様をお待ちしておりました」


アルテミスは朗々と語り始めた。

その声は凛として美しく、会場の隅々まで染み渡る。


「貴方様が書類の山に埋もれている間も、社交を欠席される間も、わたくしは『いつか見てくださる』と信じて、淑女の仮面を被り続けておりました。……ええ、まるで忠実な番犬のように」


「そ、そうだ。だから私は、君のために……!」


「いいえ」


アルテミスは首を横に振った。

その赤い瞳が、冷ややかに彼を射抜く。


「貴方様が見ていらしたのは、わたくしではありません。『完璧な公爵夫人』という役職と、ご自身の『有能な計画』だけ」


彼女はゆっくりと階段を上り、壇上の彼に近づいた。

そして、手袋を外した左手を差し出す。

薬指には、大粒のダイヤモンドが輝く、新しい指輪が嵌められていた。

ウィンターフェルド家の紋章が刻まれた、契約の証。


「レオンハルト様」


彼女の声色が、ふっと柔らかくなる。

それは怒りではなく、深い諦念と長い時間をかけて枯れ果てた情の残滓だった。


「わたくしは、疲れました。……10年待ち続け、これ以上、冷たいお部屋で貴方様を待つ孤独には、もう耐えられません」


「ア、アルテミス……?」


「どうか、解放してくださいませ。……わたくしは、これからは『人形』ではなく、『一人の女性』として生きていきたいのです」


会場から、すすり泣く声が漏れた。

誰もが知っていたのだ。彼女がどれほど尽くし、どれほど待ち、そしてどれほど放置されてきたかを。

同情と、納得の空気が会場を満たしていく。

「アルテミス様は十分頑張ったわ……」

「あんなに素敵な婚約者を放っておくなんて……」

それは不貞への断罪ではなく、長年の献身への「労い」だった。


「私の心はもう、枯れ果ててしまいました」


アルテミスは再びレオンハルトに向き直ると、優雅にカーテシーをした。

それは、最大の侮蔑を含んだ、完璧な別れの挨拶。


「ごきげんよう、アスタリスク公爵令息。……貴方様の『完璧な計画』と添い遂げて、どうぞお幸せに」


その言葉は、どんな罵倒よりも鋭く、レオンハルトのプライドと心臓を貫いた。


「……待ちたまえ!!」


悲痛な叫び声が広い講堂の天井に反響した。

レオンハルトが演台から転げ落ちるようにして駆け下りてくる。

その顔は蒼白で、額には脂汗が滲んでいた。


「君は……何を言っているんだ、アルテミス。完璧な計画なんだ。君の好きなバラも、南の島へのチケットも、全部ここにある……!」


彼は震える手で、懐からくしゃくしゃになった書類の束を取り出した。

床に散らばる「新婚旅行の日程表」や「リフォームの設計図」。

それらは全て、彼が寝る間も惜しんで作り上げた「愛の結晶」だったのだろう。

だが、その愛は一方的で、あまりに独りよがりなものだった。


「無様だな」


冷ややかな声が落ちてくる。

シリウスが、アルテミスの肩を抱き寄せ、冷徹な瞳でレオンハルトを見下ろしていた。


「彼女の父君、ローゼンバーグ公爵の承認はすでに得ている。……王家への根回しも済んだ。彼女は正式に、私の婚約者だ」


「な、なんだと……?」


「君の敗因は一つだよ、レオンハルト」


シリウスは、勝ち誇った猛獣の笑みを浮かべた。


「君は、彼女を『鳥籠』に入れて安心していた。……だが、私は彼女と一緒に空を飛ぶ覚悟を決めた。その違いだ」


圧倒的な格の違い。

レオンハルトは膝から崩れ落ちた。

散らばった書類の上で、彼は抜け殻のように呆然としている。


「行こう、アルテミス。ここにはもう、君を縛るものは何もない」


シリウスは優雅にマントを翻し、私を促した。

私たちは呆然と立ち尽くすレオンハルトと静まり返った群衆を背に、ゆっくりと出口へと歩みを進める。


ざわめきすら起きなかった。

あまりにも堂々とした退場劇に、誰もが言葉を失っていたのだ。

ただ令嬢たちの熱っぽい視線だけが、私たち――特に、私を守るように歩く「大公家の美しき嫡男」に注がれている。


ギィィィ……。


重厚な扉が、衛兵の手によって開かれる。

冬の夜の凍てつくような冷気が、熱った頬を撫でた。


カツ、カツ、カツ。


私たちは長い廊下を抜け、人気のない馬車止めへと出た。

背後で重い扉が閉まる音がドォンと腹の底に響く。

その瞬間、会場からの光と音が完全に遮断された。


あとに残ったのは、静寂と月明かりだけ。


「……ふぅ」


隣で深いため息が聞こえた。

見ると、シリウス様が肩の力を抜き、夜空を見上げている。

先ほどまでの「絶対的な捕食者」の顔から、私に見せるいつもの優しい表情に戻っている。


「……終わったね」

「はい……。終わりました」


私は張り詰めていた糸が切れ、その場にへたり込みそうになった。

けれど、温かい手がすぐに私を支えてくれた。


「よく頑張った。……本当に、立派だったよ」


彼は私の背中に腕を回し、愛おしそうに髪を撫でた。

その手は大きくゴツゴツとしていて、もう二度と離さないという強い意志を感じさせる。

冷たい夜風の中で、彼の体温だけが燃えるように熱い。


「さあ、帰ろう」


シリウス様が手を差し伸べる。

その先には、ウィンターフェルド家の紋章が入った漆黒の馬車が待機していた。


私はもう一度だけ学園の方を振り返った。

分厚い壁の向こうでは、まだパーティーが続いているのだろうか。

それとも、主役を失って混乱の渦にあるのだろうか。


どちらでもいい。

あの煌びやかで息苦しい鳥籠はもう過去のものだ。


「はい……!」


私はレオンハルト様への未練も、断罪への恐怖も、すべてあの場所に置き去りにして、彼の手を取った。


馬車に乗り込むとふかふかのシートに身体が沈み込む。

シリウス様が隣に座り、すぐに私の腰を引き寄せた。

窓の外で、学園の時計塔が遠ざかっていく。


「……愛しているよ、アルテミス」


狭い車内で、彼が吐息混じりに囁く。

重なる唇。

それは契約のキスでも、演技のキスでもない。

これからの未来を誓う、甘く、溶けるような口づけだった。


冬の星座が瞬く夜空の下、馬車は北へと走り出す。

私の「悪役令嬢」としての物語はここで終わり、彼との新しい人生が今まさに始まろうとしていた。

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