18.旅先⑦~過去編 奏斗の幼少期編②
収穫祭当日の朝。秋晴れというにふさわしい、少し冷えた空ではあるが、カラッとした天気だ。
朝食をとり終え、午後からは少し散策するため部屋で少し休んでいると、ふと奏斗が言った。
「旅行って、冒険みたいでワクワクするよね」
「まあそうだな」突然だな、と思ったが、突然なのはいつもの事か、と気にせず、聞いてみる。
「お前の一番の冒険は?」
「そうだね、子供のころ、家出したことかな」
「は?」
「え?」
「いや、冗談だよな?小さいお前が家出とか、即誘拐されそうだよな」
「う~ん、もし誘拐されたら、犯人に同情するよ」
「なんでだよ」
「だって、うちの親に皆殺しにされるでしょ?」
「・・・。」でしょ、じゃない。「冗談分かりズレえよ」
「だって、家出したのはホントだし」
「・・・。」ほんとだと?
いたずらに目を細めて懐かしむように子供のころを思い出した。
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ミカドという少し変わった少年と出会ったことで、奏斗は家の中で出来る事だけに目を向け、満足しようとしている自分の生活に少しだけ葛藤を覚えた。
彼はこの日本のことを狭い世界だと言っていた。
例えば、本で読んで知っていることが、絵空事ではなく、この現実世界に存在しているはずなのに、一人で家にいてはあまりにも遠い感覚で、リアルに思えなかった。
人は母親から生まれ、両親や家族と一つのお家で育ち、使用人はあまりおらず、子供は親が働いている間は学校という施設に行き、夜には家にまた帰る生活をしているという。
生みの親がいない場合、引き取り手に恵まれなければ、子供のための養護施設があるそうだ。
奏斗の母親も養護施設出身で、その後養子縁組し家庭に迎え入れられたが、成人と同時に自立し、独りで働き詰めて育ての両親への義理を返そうとしていたと、このころの奏斗は実母について調べ上げていた。
保護施設、どんなところかな。
もし、自分に父親もいなければ、きっとそこに入っていた。
父上は僕を人生で1度だけ褒めてはくれたが、あれは父親としてではなく、経営責任者として出た言葉。
(父親として息子に接してくれたこと、あったかな…?)
奏斗は7歳になったが、現在の“両親”への誕生日祝賀会は毎年催されているのに対し、自分がその祝い事の主賓になることは、この先も存在しないことを知っていた。
(だって、僕が生まれたばっかりに…。)
家族の誰からも必要とされず、何不自由のない生活ではあるが、息苦しい毎日だった。
そしてある時、こう考えた。
親として接してこないのだから、息子としてここにいる必要が最初からなかったのでは。
考えたら止まらなかった。
僕がここからいなくなっても、しばらくは気が付かれないだろう。
むしろなぜ、今まで当たり前にここにいたのか。
世界への好奇心で、奏斗は家出を決意。僕もお母様と一緒の、養護施設の子になろう。
小さな心に宿った、初めての目標のため、一人計画実行に向けこっそりと準備を開始した。
まずは、お母様の居たという保護施設の場所の特定だ。
ここから抜け出せたとして、子供の取れる移動手段は限られる。
母様のいた施設は隣町にあったため、大人であれば行くのに1時間ほどだろう。
子供らしくバスや自転車(奏斗は乗れないことを思い出した)を使ったら、2時間は必要だろう。
服装はボタンが首まできっちりしまったアイロンもきれいにかけられた白のブラウスにハーフパンツ、というわけにはいかない。もっと、活発に動けそうなものは…よいしょ、よいしょと洋服ダンスを確認すること数分。
それらしく出てきたカジュアルな服は、しかしどれもブランドのトレーナーやらTシャツだった。
うーん、無地、がよさそう。ロゴがポイントで控えめな1枚を見つけて、シャツの上から着ることにした。
持っていくものは移動の際のお金と、地図、本を1冊、それから水筒も必要だ。
(よし、これで準備できた。)
日々、使用人たちや宅配、清掃業者の出入りする時間は決まっており、人気が落ち着くのは、どうしても夜になり、みなが帰宅してからであった。
部屋の窓から外を見降ろすと誰もいない。部屋のドアから廊下にも人が来ないことをキョロキョロ確認すると、階段を急いでおり、外の空気を感じた。
トボトボと門の方へ進み、近くのバス停を目指す。
「うっ、少し涼しい、、ちょっと暗い…。」バスの時刻表を見ると、夜は向かう先が繁華街ではなく住宅街方面ということもあり、30分に1本しかない。
「…。今日じゃなくてもいいかな。別に怖くないけど、うん、明日の朝もう一回やってみよう」
早々に夜の出発は諦め、朝を待ち、昨日より1枚は織物を多く着込んで、使用人の目を盗んで抜け出し、隠れながらバス停に着いた。皆忙しなく自分の業務に勤しんでいるため、行動パターンさえ読んでしまえば簡単だった。
「よし。ひとまず次のバスは…」
時刻表と腕時計を見比べて待っていると、目的地域のバスがやって来た。
初めて乗る。
テレビで予習した通り、運転手さんに子供一人です、とお金を払い、運転手には何も言われず、流されたので、そのまま前の方の席に座った。
大体30分ほど揺られ、見慣れない景色を眺めていると、目的地を告げる表示に切り替わった。
ここで乗り換えだ。
すみません、次降ります。とボタンを押すと、向かいに座っているおばあさんが微笑んできた。
どうしたのかな、と思いながらも、無事に乗換駅に停車したので、ありがとうございました!とお礼を言って外に出た。初めてのバス体験は、なんとか大丈夫だった。十字路の道を渡り、少し行くとまた別の行先のバス停があった。運よく5分ほどで来るようだ。近くにはスーパーと向こう岸には病院も見える。
まだ土曜の朝ということもあり、車通りはあるが人通りは少ない。
早く来ないかな…。
これに乗ったら、また30分揺られ、終点の地点から少し徒歩だ。
先程のように途中駅で下車するよりは、終点だと思うと気が楽だ。
やって来たパスの行先表示も目的地が記載されていたため、こくんと一つうなずき、ステップを上がる。
走り出して間もなく、どんどんと建物が少なくなっているように思えた。
道路の車線もバス停を過ぎるたび、3車線から1車線になっていた。
ちょっぴりと心細くなってきたが、首を横に振り、気合を入れ直す。
もう少しで、母様の育った施設だから、頑張って入れてもらわないと。
はやる気持ちを落ち着けて、いよいよ終点でバスを降りるときには奏斗一人だけになっていた。
ありがとうございました。誰もいなく、少し響いた声を後にして、木々の間にある建物を目指す。
一つしかないから、きっとあれだろう。
門の前に行くと、中からは微かに子供の声が聞こえてきた。
きゅっとカバンの紐を握りしめて、建物の中に入った。
「ごめんください」
ひとりの若そうな女性がこちらに気が付いたようで、近づいてきた。
「こんにちは」
「ええ、はい、こんにちは。ぼく一人?大人の方は?」
「いえ、一人できました」
「そうなのね、とりあえず中にどうぞ。寒かったでしょう、何か温かい飲み物を持ってきましょうね」
そう言って、色とりどりの装飾で飾られた部屋に通された。小さい机といすがところどころに並べられているので、普段は教室のように使用しているのかもしれない。
「少しここで待っていてもらえるかな?」
「はい。分かりました」
スッとした立ち振る舞いに、小さな子供を相手にしていることを一瞬忘れそうになりながらも、女性の職員はにっこり笑顔を向けて立ち去った。
周りを見回すと、壁に貼られているのは、ここの子供たちが作った作品たちなのだろう。
奏斗も教育の一環で絵画や造形を教わってきたが、同年代の実際の子供の作品を見る機会は初めてだった。
ひときわ目を引いたのはカラフルな色彩の女の子が書かれた絵だった。
「お待たせしました、さあどうぞ。」いつの間にか戻った職員により紅茶を差し出されたのでお礼を言うと、最初にいた女性とは別に、もう一人ベテランの女性が一緒だったことに気づいた。
「あの、」
「こんにちは。おばさんは、みんなから岩田先生ってよばれているのよ。あなた、一人でここへいらしたのね、お名前を聞いてもいいかしら?」
「はい、えっと、」
名前を聞かれて、一瞬、本当の名前を言ってしまったら、すぐに父に見つかってしまうのでは、と頭をよぎり、咄嗟に思い浮かんだことを伝えることにした。
「かな、です」僕は石黒 奏と名乗った。少し悪いことをしているとは思ったが。
「カナくんね、今日はどうしたのか教えてくれる?」
「はい。できれば、僕をここの子にしてもらえませんか?」
おやおや、とスタッフが顔を見比べる。
「カナくん、ここがどんな場所だかわかってきて、やって来たのかな?」
「はい。僕には母様がいたのですが、病気で亡くなってしまって」(嘘ではない)
「あらまあ、お気の毒に」
「お気遣いいただきありがとうございます。それで、生前母上からこちらのことを伺っており、本日は突然のことで申し訳ないと思いますが、ここへ置いていただけないかと思い、参りました」
実際に奏斗は母との思い出はないが、まあ、人伝にだが話を聞いたことは本当だ。
「それで、お母様以外の大人のご家族は、どなたかいないかな?今日までどうしていたの?」
「僕が居てもいなくても、気にしないと思いますので、いないのと同じです」
…どうしたものか、と戸惑いつつも、勝手に(良家の出身だろう)子供をそうなのねと、預かるわけにも、それとてここまでしっかりと受け答えしていても、やはり子供には変わらないのだから、保護が必要なら、放り出すこともできない。上品さを兼ね備えた雰囲気の子なだけに、悪ふざけしているようにも見えない。
そろそろお昼ということもあり、いったん皆とは別の部屋で食事はどうかと提案された。
どうしてほかの子たちと一緒ではないのか、とも思ったが、得体のしれない存在を混ぜるわけにはいかないのだろうと自分で納得した。
「アレルギーといって、食べてはいけないと言われている食材はある?嫌いなものではないのよ」
「はい、大丈夫です」
「教えてくれてありがとう。今日のメニューは何だったかしらね?ちょっと確認してくるわ」
そう言ってベテランのおばちゃんがそそくさと出て行った。
戻ってきたときには、両手にサラダとスープ、パスタが載ったお盆を持ってきてくれた。
ちょうど今日は多めに準備があったみたいで、すぐに対応できたわよと笑顔で差し出された。
家を出る前にそれなりに朝食はつまんできたが、作戦の実行を前に、少し緊張していたのか、そこまで食べられなかったのもあり、急に空腹感が襲ってきた。ありがたく頂くことにした。
「それで、かな君をここで生活してもらうようにするには、いくつか手続きやら必要になるのね、警察への届け出もそのうちの一つとしてあるのだけれど、処理してきてもいいかな?」
「…。はい。お手数おかけします」
「いい子ね、ゆっくり食べてね」そう言って先生たちは部屋を後にした。
やっぱり、警察に連絡されてしまった。
偽名だし、すぐには見つからないだろうが、そういう人物がいなければ、偽名ということもバレてしまうだろう。
だけど、どうだろう、今頃僕が家のどこにもいないことを誰かが気が付いたとして、彼らは警察に届けるのだろうか?多分捜索願は出さないだろうと思っている。独自で人を雇って捜索はするだろうが、息子の失踪で身代金でも要求されるなら尚更、自分で直接解決したいだろうし、ただの家出と分かれば、騒いだら一族の恥となってしまう。そういったことは避けるはずだ。
そのころ、先生は知り合いの警察巡査部長に電話していた。
「もしもし、私だけど。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、今いいかしら」
「おう、岩田せんせ、久しぶりだな。どうした?」
「さっきね、新しい子供が一人でうちの園にやってきて、親はいないから置いてくれっていうのよ。だけど、どう考えても良いところの御子息でねぇ」
「なるほど、訳ありかねえ、名前は分かるか?」
「ここに来るくらいだから、何か困っているのは事実だと思うわ。とても礼儀正しい子なのよ。賢い子だし、警戒して名前も本当なのか分からないけど、石黒 奏くんと言っていたの。もし捜索願いが出ていたら教えてくれないかしら?」
「ちょっと待ってろ。うーん、そうだな。最近でそういった届けはまだ出ていないな。今朝のことならこれから何かあるかもわからんから、一応気にしてチェックしておくよ。それから、うん?何歳くらいだっけ?」
「あら、何歳だったかしら、小学2,3年生くらいだったかしらね」
「というと、8歳から10歳くらいってところか?」
―実際にはまだ7歳だが、平均よりも小さいうえ、知能が高ければ誤解されても仕方ない。
「あとで聞いておかないとねえ、でもあまり質問攻めにして心を閉ざされるより、まずは仲良くなってみせるわ」
「そうだな。虐待だとしたら、色々あんだろうからな。まあせんせに任しておきゃ間違いねえな」
「それじゃあ、何かわかったら教えて頂戴」
「了解。」
地域の行事等で、十年来の付き合いをしている内に、なにかと情報を共有するようになった。強面だが力持ちで、面倒見もよく、イベントで子供たちと過ごすといつも人気者になっている。今回も、力になってくれるだろう。
ガラガラ、と部屋のドアが開いたので、先生方が戻ったのかな?とパンをちぎる手を止めて入口の方を見ると、そこには小さな女の子が立っていて、こちらをじっと見てきた。
「こんにちは」奏斗は女の子に向かって挨拶をした。
「…。どうしてここでご飯を食べているの?」
「うーん、僕が今日来たばかりだからかな。僕はカナ。君は?」
「ヒメちゃんよ。ここに絵が描いてあるでしょう?これ、私が描いたのよ。とっても良くかけたねって、先生に褒めてもらって、嬉しくて、時々見に来るの。」
「ヒメちゃん、はじめまして。そう。これ、君が描いたんだね、とても色彩が鮮やかだと思っていたんだよ」
「しきさい?」
「うん、色がきれいだね、ってことだよ」
「ヒメもそう思う!カナくんも絵描く?」
「君ほど上手ではないけれどね」眉を下げて微笑んでみる。
「カナお兄ちゃんと遊びたい」
お兄ちゃん…慣れない響きだ。
「そうだね、でも、僕はここで先生たちを待っていないといけないから、君は先に遊んでいていいよ」
そうか、と理解したのか、そのあとはまた棚に置いてある自分の遊び道具なのか、次から次へと何かを引っ張り出しては床に並べている。自由だな、と眺めつつ、奏斗も食事を再開した。
しばらくすると食べられたかしら~?と言いながら今度は先生が戻ってきた。
僕がはい、ごちそうさまでした。と伝え終えるのと同時に、あらら?何か落ちて、うん?と、来訪者の存在に気が付いたようだ。
「あら、ヒメちゃんじゃない、どうしてここにいるの?今はお昼寝の時間じゃないかしら?さあ、いらっしゃい」
抱き寄せるようにすると、うーん、と眠そうな目をこすっていた。
「ヒメちゃん、カナ兄ちゃんと遊びたい」
「もうそんなに仲良くなったの?でも、今はネンネしましょうね」
頭をポンポンして、手を引く。
「この子が邪魔したみたいね、ごめんなさいね、お転婆でしょう?ちょっと連れて行くわね」
「いえ、とても絵が好きみたいですね。この食器はどこに片づければよいでしょうか?」
「あら、自分でやってくれるの?助かるわ。そしたら、部屋を出て突き当りが食堂なんだけど、その奥にキッチンもあるから、そこの大人に渡してもらえる?来て早々悪いわね」
「分かりました。大丈夫ですよ、教えていただきありがとうございます」
ヒメちゃんを2階に連れて行く背を見送り、食堂へお盆と空になったお皿を持っていく。
もう食事の時間は済んだようで、他の児童の姿は見えない。ヒメちゃんくらい小さい子たちみなお昼寝なのだろう。
奥の方からはカチャカチャと物音がするので、おそらくキッチンだ。
手がふさがっているので、扉がないのがありがたい。
お疲れ様です、と声をかけてみると、調理場のスタッフがうん?と声の持ち主を探すように、目線を下に落として少し驚いた顔をした。
「おう、坊主どうした?今日来た新入りくんか?飯食ったか?」
「はい、とても美味しかったです。ごちそうさまでした。食器はこちらに持ってくるようにと岩田先生に言われたのですが、お渡ししてもよろしいでしょうか?」
「おお、合ってるぞ。まだここの中の紹介はしてもらってねえのか?先生も忙しいからな。いきなり一人で来るやつも珍しいもんだが、なんだ、お前さんだからかもな」
奏斗はきょとんと首を傾げているが、礼儀正しい目の前の少年は小さい大人といった印象だ。
「そういや、ちょうど金平糖があったな。お前さんにやるよ」
小さな瓶に入ったキラキラした、カラフルな金平糖だ。
「これは、ここのおやつでしょうか?」
「いや、まあ全員分あるわけじゃないんだが、特別な時に配る用って感じだな」
「そうですか、でも、それなら僕はまだここの子になれたわけではありませんので、いただくわけには…」
「遠慮すんなって。じゃあそいつはオレ個人からの歓迎の贈り物ってことでさ」
「あの、分かりました。ではこれを、その、ここの友達と一緒に食べるのは失礼ではないでしょうか?」
「おう、お前さんにやったんだ、好きにしていいんだぞ。もう友達出来たのか?」
「はい、さっき、ヒメちゃんという子とお話ししました。今はお昼寝に行きましたが、今度遊ぶ約束をしました」
「ヒメか。おうおう、そうか。おもしれえ組み合わせだな。いいんじゃねえの。全部取られるなよな」豪快に笑いながら肩をたたかれた。
落とさないようにカバンの中にしまい、さて、さっきの部屋に戻ったほうがいいのかな、と思っていたら、岩田先生がぱたぱたとやって来た。
「料理長と挨拶できたみたいね。この人が、ここでの食事を全部面倒見ている人よ」
…まだ若そうだが、料理長だった。
「案内はまだなんだってな、部屋はどうすんだ?」
「そうねえ、とりあえず個室があいているから、そこに案内するわ」
「だな。なんていうか、それが良さそうだ」
「じゃあまた夕飯、多めに宜しくね、行きましょう」
料理長に手を振られたので、お辞儀をして先生についていく。
1階には事務局、いくつかの教室、食堂、中庭があり、2階が居住スペースになっているようだ。
先程、ヒメちゃんと先生が上がっていった階段を上がると大広間のようなスペースと、子供たちが寝ているというエリアを静かに抜け、個室が並んでいる廊下に出た。大浴場や洗面所も教えてもらった。
扉の一つを空けると、ここをしばらく使ってくれるかと聞かれたので、お礼を述べる。
「それと、これに着替えると良いわ。着てきたお洋服は、大事にしまっておきなさい」
備え付けられている小さな洋タンスからはここの制服のような上下セットだった。
「15時になったら年下お昼寝組も起きて、年上組の各部屋で過ごしている子たちも自由時間になるから何人かは出てきて中庭とか校庭で遊ぶと思うわ。その時に、カナくんも一緒に過ごしてみると良いわ」
「はい。ありがとうございます。では、15時にまた下に行ってみます」
「騒がしいけど、みんないい子たちだから、すぐ馴染めると思うわ。何か困ったことがあったら言ってね」
そう言って部屋のドアを閉めて行ってくれた。
狭いけれど、日当たりのよい角部屋で、ベットの他に、勉強机と収納棚もある。
借りた服に袖を通してみると、軽くて動きやすい。今着てきたものも、カジュアルなものを選んだつもりだったが、言われた通り、畳んでしまっておいた。
程なくして15時を示す鐘が鳴った。
待ちわびたようにドアがパタパタと開き、足早に移動してく人の気配が感じられた。
持ってきた本や荷物を机に置き、中庭にでも行ってみようか、と部屋を出てみる。
すると、数人の子供がこちらに気が付いて、誰かな?とヒソヒソ話しているようだ。
「あの、こんにちは。先ほど来たばかりで、ご挨拶ができていませんでしたが、今日からお世話になる予定のカナです」
すると、一人の男の子がよろしく!と元気よく叫んで走って行った。また別の子も、オレは 俺は と名まえやらあだ名など次々に言って流れるような瞬間的な自己紹介が始まった。
名前もそこそこに、一緒にドッチボールやる人~となにやら募集を始めている。
近くにいた一人が、やるやる!お前も行くぞ!と、強制連行された。
「ドッチボールやったことないけど、できるかな?」
「楽しいよ!2つのチームに分かれて、枠の中にいる敵にボールを当てて、外に出す。最後に枠の中に人が多く残ったほうが勝ちだから、とにかくボールをぶつけて、ぶつけられ異様にすればオッケ!まあやってみようぜ」
流れで参加することになったが、初手、早速ボールを避けきれずに食らってしまった。普通に痛い。
外野という外に出されたので、戦力外かと思ったが、外からも中を攻撃して得点が決まれば中に復活もできると。あまり復活はしたくないけど、チーム戦だし、ボールを当ててきた人に一発お見舞いするのは悪くないだろう。
そう思って狙い通り自分を外野に追いやった彼の足をめがけて投げた瞬間、結構いい体格にもかかわらず、彼は自分のチームの子をとっさに盾にしてボールを避けた。
盾にされた子は予想外の方向に引っ張られた、ボールをくらい、よろけてしゃがみ込んでしまった。
当の本人は悪びれもせず、オレが中にいたほうが有利なんだから必要な犠牲だよな、と言った。
僕はドッチボールのルールは正直どうでもよかった。
倒れこんでいる子の元に行き、膝をつき、手を貸して立てそうか顔を覗き込むと、耳まで真っ赤にしたかれは、こくりとうなずき、お礼を言ってきた。
僕も安心して、それならよかった、と一緒に休憩しないか提案したら、また頷いたので、チームに1人ずつ抜ければ、公平だよね?と確認して続きを再開させておいた。
僕らが手を取り抜けた際、周りで見ていた女子の方から黄色い歓声が上がっていた。
「君、すごいね、どうして助けてくれたの?女の子が悲鳴を上げる気持ちも分かるよ。王子様みたいだ」
「いや、僕が投げたボールが君を狙っていたわけではないけど、結果としてぶつけてしまった訳だし、ごめんね」
「いやいや、ドッチボールはそういう遊びだからね」
「痛い遊びがあるのは、知らなかったよ。毎日やるなら慣れないといけないね…」
「無理に参加しなくても大丈夫だから、変なことに慣れなくてもいいと思うよ」顔を青くしたり白くしたりしながら必死に説明をしてくれている。
それもそうか、と思い直し、コンクリートの段差の部分に腰かけて、改めて怪我がないか確認した。
本人も具合の悪いところはないと言っているので、大丈夫だろう。
今までの生活ならすぐに使用人が飛んできて、あれこれ世話を焼かれていたのに、ここは周りに必要以上の大人の目はない。子供たちだけでもそれなりの秩序を保ちながら、必要に応じて大人の手を借りるのだろうか。
他にはどんなことをして過ごしているのか聞いてみた。
体を動かすのが好きな子は、高級なものはないけれど、施設にはそれなりに様々な種類のボールやラケットなど備品があるそうで、自由に使って走り回っているそうだ。
さすがに音楽の方はアップライトピアノが1台しかないため、自由にとはいかず、譲り合って使っているらしい。
絵を描くこともあるけど、時々壁や床や服まで汚して掃除までがセットになるから、少数派かなと言っていた。
あの絵の少女は、きっと汚しても後のことは気にしないのだろうなと思った。
ふと、カナくんは何が好き?と聞かれて、答えに困った。
今まで必要以上に時間があったし、なんでも教えられたことは習得してしまったので、これと言って好きなことはなかった。
「そうだね、今のところ趣味はこれと言ってないけれど、ここで色々と好きを増やしていけたらいいな。君は?」
「ぼくはね、変かもしれないけど、勉強するのが一番楽しいかな」
「何の勉強をしているの?」
「国語と算数と、あとは料理!」
「料理ができるの?」
「そうだよ。ここでは野菜も作れるから、種から育てて、収穫して、美味しいものを作って食べたら最高なの。将来は料理人になれたらなって」
「すごいね、ここの料理長さんみたいに?」
「うん!料理が出来たら美味しいものが食べられるし、みんなも喜ぶし、節約にもなるんだって!」
「なるほど。僕もいつか君の料理をするところを見てみたいな」
「いいよ!今度一緒にやろう」
「見学だけではなく、僕も一緒に料理をしてもいいの?」
「もちろんだよ。誰かと一緒だともっと楽しいよ」
にこにこと人懐っこく笑う姿がとても生き生きとして見えて、ミカドとは違うけれど、この子も目標に向かって過ごしているのだな、と尊敬だ。僕にも、目的が必要だ。
おしゃべりをしてのんびり過ごす子供たちを他所に、大人はいつものようにバタバタと職務をこなしていた。
土曜ということもあり、平日のように学校の授業もなければ、ついてくるのは三食の準備他、それぞれの成長に合わせた持ち物の用意や進路のこと、成績の確認やメンタルのケア、先生だって休みたいなんて言っている暇はない。関係各所への電話や資金繰りの計算、イベントの計画、日誌の作成だってある。
それに加えて今朝は突然の礼儀正しい男の子の訪問とあっては、色々と予定が吹っ飛ぶ。
慌てていて、乳幼児~幼児クラスのお昼寝タイムに一人足りないことを見逃してしまった若い女性職員は、後から岩田先生が引きずるように連れてきたヒメちゃんを見て背筋が凍る想いだ。
「先生、申し訳ありません。ヒメちゃんどこにいましたか?」
「それが、“彼”にお昼を取ってもらっているいつもの教室に」
「あ~、そうでしたか…本当にすみません」
「いいのよ、無事なんだから、それに、なんだか2人で楽しそうだったわよ。さあ、預けていいかしら?私は戻ってやらないと。ヒメちゃん、おやすみなさいね」
「せんせい、おやすみなさい」
「はい、いい子ね」
カナくんと言った不思議な男の子みたいな手のかからない子供ばかりだと楽なのかなと思いながらも、小さな手を引かれ、今にも寝てしまいそうな自由が歩いているような子供も、やはり可愛いものだ。
背中をトントンしているとあっという間に寝息に変わった。布団にくるまっている無防備な寝顔の子供たちを見回し、一番平和で幸せな光景を自身もウトウトしそうになりながらも、手元の洗濯物や散らばった荷物を片付ける。
小一時間してお昼寝タイムの終了を知らせるベルが鳴ると、それぞれ目をこすりながらも食堂や外などお気に入りの場所へ散らばっていった。後ろからエブロンの裾が引っ張られたので、何かと振り返ると、ヒメちゃんがこちらを見上げていた。
「どうしたの?」しゃがんで声をかける。
「ヒメちゃん、さっきお兄ちゃんに会ったの、それで、あとで遊ぶって約束したから、会いたいの」
「ああ、カナくんと教室で会ったんだってね、う~ん、でも先生もカナくんが今どこにいるのか分からないのよ」
「じゃあ探してくる」
そう言って駈け出そうとしたので、また行方不明にでもなられたらたまらないと一緒に探そうといって捕まえた。
なんたってヒメちゃんは学園一の迷子率だ。
ちらっと彼にあてがわれた部屋を除いても人気はなく、おそらく15時に下に降りるように岩田先生が伝えたのだろう。ヒメちゃんと学園内の捜索ごっこだ。次に食堂に顔を出したら、料理長がこちらに気づいて声をかけてきた。「よう。ヒメ。さっきお前のこと話していたところなんだよ。元気か?」
「クッキー頂戴」
「開口一番それかよ。なんであること分かるんだ?嗅覚すげえなあ、お前は。1枚だけだぞ」ほらよ、とバタークッキーを1枚渡す。自分と職員たち用の差し入れにさっき焼いたものだ。
にっこり笑って大事そうに食べる姿を見たら、まあいいか、と言う気になるのだが。
「この子の話しとは?」女性職員が話を促す。
「ああ。さっき新入りの坊主が来てよ、そいつと友達になったとか言ってたんだよ」
「カナくんですね、いま私たちも、彼を探していまして。ヒメちゃんが一緒に遊びたいと言って」
「なら外じゃないか?小学生組はだいたい外で遊んでんだろ」
「ええ、行ってみることにします」お礼を言って手を振ると、クッキー先生の分も職員室の机に置いておくよと愛想よく言われた。空き時間(夜の)お楽しみができ、自分でも単純だと思うが足取りがすこし軽くなった。
「ヒメちゃんは、カナくんと何をしたいの?」
「絵描くんだよ」
「ああ、そうだよね」この子は本当にお絵描きが好きだ。止めなければ永延とやっている。
その後、無事カナくんが友達とおしゃべりして過ごしているところを発見し、合流することができた。
「やあ、さっきぶりだね。先生も、僕を探してくれたのですよね、お手数おかけしました」
「ねえ、ヒメちゃんと一緒に遊ぶ?」大きな瞳で断られることを想定していない顔がこちらを伺う。
ここまで探しに来てくれたのを断るわけにはいかない。
それまで話していた彼にも一緒に行くか確認したが、やはり絵を描くことにはそれほど興味がなさそうだったので、また後日一緒に料理しようと言って別れ、ヒメちゃんに、と教室へ戻ることにした。
興味本位で奏斗にお絵描きは得意なの?と聞いてみたら、いえ、僕はたしなむ程度ですよ、と返答が返ってきて、やっぱり何者なんだろうという感想を抱かざるを得なかった。
教室に戻るなり、ヒメちゃんは床いっぱいに道具を広げだした。
先生が慌てて新聞を広げているが、お構いなしに画用紙と筆を得意そうに僕にも渡してきた。
どこかで集めてきたと言う枯葉や木の板なんかもあり、これはどうするのかと聞くと、それにも色を付けたりするという。なるほど、そんな遊び方があるのかと感心していると、さらにあれこれと説明をしながら、鉛筆でさらさらと似顔絵を描き始めた。
「これが、にいに。こっちがヒメよ」
「僕たちを描いてくれたのかい?それじゃあ、僕も…」
お返しになるか分からなかったが、自分なりにお姫様をイメージして将来のヒメちゃんを描くことにした。
「う~ん、女の子って、難しいですね。髪型ひとつで印象が変わるでしょう?ヒメちゃんが大きくなったら髪を伸ばすのでしょうか?」
「あらあら、素敵じゃないの、この子はお転婆だけど、案外キレイ系になるかもわからないしねえ、」
「ヒメちゃんは姫なの。だから髪も長いの~」
みんなで顔を見合わせてひとしお笑ったあと、服の色はピンクがいい、リボンの型はこうで、髪の色は黄色で、と
色々リクエストされ、結局誰なのかは分からないが、プリンセスが誕生した。
途中でさきほど料理長から授かった金平糖を広げてやると、また目の色を輝かせて喜んでくれたので奏斗は妹が居たらこんな気持ちなのかな、と慈しむ気持ちで彼女の髪を梳いてやった。
夕飯の時間になり、宿舎の中にも人が戻り始めたので、せっせとお片付けをして、食堂へ向かうことにした。
今日はハンバーグらしく、カレーが良かっただの、ご飯おかわりするだの、みんな好き好きに言いながらも、お礼を言って自分のトレーにお皿を載せてもらい席についていた。
奏斗も右へ倣えとそれに従った。ここでは3歳以上はみな自分で配膳もしているようだ。
運ぶ途中で転ばないのかと心配しながら見守るのを他所に、ヒメちゃんもしっかりと料理を受け取り、テーブルまで運んでいた。
好きな場所で良いみたいなので、せっかくならと、先程の男の子の姿を探し、一緒に座った。
明日は日曜で、厨房でなにか一緒に作らないかと聞かれたので、楽しみだと伝えた。
そのまま子供たちとたわいもない会話をしながら食事をし、皿を片付け、各々就寝までは年齢ごとにお風呂に行き、あっという間に一日が過ぎていった。
奏斗も、先生にお休みなさいとあいさつして、自室に向かった。
先生の方も、特に警部からの連絡もないし、それまではとほかの子と奏斗を特に区別することもなく、受け入れることにした。まあ、何とかなるだろう。




