春の匂い
# 『君と僕はどのように』
## 第一話 春の匂い
春は、何かが始まる季節らしい。
テレビでは「新生活」。
先生は「新しい出会い」。
親は「今年こそ頑張れ」。
みんな口を揃えてそう言う。
でも俺には、その意味がよく分からなかった。
始まるものがあるなら、終わるものもある。
だったら最初から何も始まらなければ、終わることもないんじゃないか。
そんなことを考えながら、窓の外の桜をぼんやり眺めていた。
「おい、悠真。」
肩を軽く叩かれる。
「……ん?」
「またボーッとしてる。」
親友の大地が笑う。
「始業式からそれじゃ先が思いやられるぞ。」
「まだ一時間目も始まってないやん。」
「だからだよ。」
教室のあちこちから笑い声が聞こえた。
俺もつられて笑う。
でも、その笑顔はどこか空っぽだった。
高校二年生。
友達はいる。
家族とも仲は悪くない。
成績は真ん中くらい。
部活もしていない。
特別不幸でもなければ、特別幸せでもない。
そんな毎日だった。
ガラガラ。
教室の扉が開く。
担任が入ってくる。
「今日は転校生を紹介する。」
その一言で教室がざわついた。
「入ってきて。」
静かに、一人の女子生徒が教室へ入ってきた。
肩まで伸びた黒髪。
少し大きめの制服。
教室を見渡すことなく、小さく頭を下げる。
「神崎 澪です。」
それだけだった。
拍手も、歓声もない。
静かな自己紹介だった。
「じゃあ神崎さん、窓際の席に。」
俺の一つ前。
彼女は静かに椅子へ座る。
その横顔を見た瞬間だった。
胸の奥が少しだけざわついた。
『どこかで会ったことがある。』
でも思い出せない。
そんな感覚だった。
---
昼休み。
クラスメイトが神崎の周りへ集まる。
「前はどこに住んでたの?」
「趣味ある?」
「休みの日何してるの?」
彼女は困ったように笑って答える。
「ごめんなさい。」
「人と話すの、あまり得意じゃなくて。」
その一言で輪はゆっくりほどけていった。
「なんか近寄りづらいな。」
誰かが小さく呟く。
神崎は何も言わなかった。
ただ窓の外を見ていた。
---
放課後。
忘れ物を取りに教室へ戻る。
夕日が差し込み、教室を赤く染めていた。
誰もいない。
そう思った。
「……。」
窓際。
神崎が一人、本を読んでいた。
ページをめくる音だけが教室に響く。
パラッ。
俺は静かに机へ向かう。
「あ。」
財布を見つけた。
その瞬間だった。
「落としましたよ。」
後ろから声がした。
振り返る。
神崎が俺の生徒手帳を持っている。
「あ、ありがとう。」
受け取ろうと手を伸ばす。
その時。
彼女の手が少し震えていることに気づいた。
「大丈夫?」
何気なく聞いた一言だった。
でも彼女は驚いたように目を見開いた。
「……どうして?」
「え?」
「どうして、大丈夫って聞いたの?」
「いや……手、震えてたから。」
少しの沈黙。
夕日の光だけが二人を照らしている。
やがて彼女は小さく笑った。
本当に小さく。
「その言葉。」
「久しぶりに聞いた。」
その笑顔は嬉しそうなのに、どこか泣きそうだった。
俺は返す言葉が見つからなかった。
---
帰り道。
駅へ向かう坂道を歩く。
夕焼けが街をオレンジ色に染めている。
頭の中には神崎の笑顔が残っていた。
「変なやつ。」
そう呟いて笑う。
その時だった。
ポケットに違和感があった。
紙が入っている。
「……?」
取り出す。
白い、小さく折りたたまれたメモだった。
開く。
そこには、たった一行。
**『今度は、忘れないで。』**
意味が分からない。
誰が入れた。
いつ入れた。
どうして俺に。
春風が吹く。
メモが震える。
そして、俺の心臓も同じように震えていた。




