旅人の適性 1
隣から響いてきた酒臭いいびきで、俺は目が覚めた。
第六バトルフィールド・スピリットフォレスト。
その手前の人族の街。
元国営鉄道の資本が入ったホテルの一室。
今日の朝食後から、エルフの領域という文明から隔絶された世界に入る。
……楽しみだ。
このワクワクする気持ち。
最近、この衝動に突き動かされて行動することが増えた。
短絡的だな、とは思う。
思考で感情を制御してこその大人じゃないのかって。
でも、大渓さんや椰子泉さんを見ていると、案外感情で動いている部分もある。
後さんなんかは言わずもがな。
はしゃぐし怒るし笑う。
悔しがる。
でも、なぜだろう。
大人だとは感じる。
振り回されてるようで、振り回されてない。
手綱はしっかり握れている感じ。
そこで握り切れてないのがイラちの垂須の兄貴だったり。
嫉妬の化身のナース双滝だったりする。
でも、あの人たちもまだこれからだ。
きっと成長していくんだろう。
大人になっても。
歩みは止まらない。
成長できる。
……なんか大事なことを言った気がする!
でも思考に沈みすぎちゃ駄目だ。
外部の刺激が欲しくなってカーテンをシャアッて開けた。
地平線が薄く白んできた。
南の太陽は深い森に閉ざされて、まだ暗い。
……そういえば俺、まだこっちに来て日の出って見てないよな。
二つの方向から一斉に昇る太陽。
東のはまっ平らな地平線から。
南のはもっさもっさの森から。
見たい。
見なくちゃじゃないかそんな景色!
俺は上着を羽織り、垂須の兄貴を起こさないようにそーっと部屋を出る。
廊下からエレベーターに乗り、パネルを見る。
屋上、行けるな。
ボタンを押すと、音も無くスーッと上昇する。
体だけが。
魔道エレベーター。
どっちかというと近未来の謎のテクノロジー風味を感じる。
やがて緑色と黄色のツブツブが小さくなると。
チン。
日本と変わらない到着音が鳴って扉が左右に開く。
眼に飛び込んできた朝焼け。
地平線が黄色に染まる。
その逆光に、一人の先客の影が大きく伸びた。
顔も服装も眩しすぎて見えない。
でも小柄で筋肉質で、首の太いシルエットを、俺は知っている。
「朝日に誘われましたか」
穏やかな口ぶり。
穏やかな低音。
「おはようございます、閑君さん」
閑君は三脚に大きなカメラを構えて、東の空を見つめていた。
カメラか。
カメラな。
俺も旅行に持ってくるべきだったな。
インスタントなやつでいいから。
ストローマンとか。
成層圏とか。
ティリザベス様の火口とか。
すごい景色、一杯見たのにな。
あれらは今、俺の頭の中にしかなくて。
それは日々の生活で少しずつ新鮮さが擦り減っていって。
思い出すことはできても。
どこか色あせてしまうんだろうな。
写真があればな。
街中でカメラ売ってないか、朝食の時にサンタフェさんに聞いてみるか。
ここにも緑のATMはあったしな。
「日の出というのは」
不意に背中越しに落ちてきた声。
視線は空に向けたまま、閑君は話し始める。
「瞬間瞬間で違う表情を見せてくれます」
プロっぽい発言だ。
経験に裏打ちされた重みがある。
俺は目を細めて地平線を見つめる。
ブラウン管越しにサバンナとかで見たあれが。
現実の空気と臭いを持って、立ち昇る。
「来ますよ」
短い予告。
それだけで、心臓の鼓動が少し早くなる。
まず、一瞬。
目も眩むほどの光の圧力。
耐えきれず一度瞼を閉じて、再び開く。
地平線に伸びる太陽の影。
太陽の影?
ああ、太陽が二つあるからか!
「凄い」
思わず零れた言葉。
説明も理屈も追いつかない。
光の乱反射。
そこにあるのは赤や黄色だけじゃない。
紫や黒も、確かにあった。
ギラギラと肩をぶつけ合わせる光の破片。
数瞬後、闇色は淘汰された。
すぐに紫色も。
黄色も隅に追いやられ、血潮のような赤の独擅場。
滲む輪郭。
空に空色の逃げ場なんかない。
全てが赤に照らされる。
最強だな!
でもそんな赤の天下も、太陽が頭を出し切ると終わる。
周囲には黄色が出張り、空には空色が幅を利かせだす。
そして、陽は昇った。
感じる目線。
今日は乾いてないほうの眼差し。
無視して太陽を眺めててもいいんだけど、閑君は会話を選択してきた。
「カメラ、お持ちでなかったんですね」
図星だ。
さっきまでの独り言を聞かれていたわけじゃないだろうに、
まるで見透かされたようなタイミング。
「正直、出発時点では頭になかったです」
少し肩をすくめながら答える。
言い訳にもならない言い訳だ。
「それは残念」
淡々とした返答。
責めるでもなく、慰めるでもなく。
「本当に残念です」
思っていた以上に、言葉に重みが乗る。
後悔は、案外しっかり自分の中にあったらしい。
「ここまでの旅で、フィルムに残したかったものはありましたか?」
試すような問い。
それとも、ただの確認か。
「多過ぎて後悔してます――」
言いながら、脳裏にいくつもの光景がよぎる。
どれもこれも、もう戻らない瞬間。
「でも?」
言葉の間を鋭く捕捉され、飲み込んでた言葉を促される。
続きを言え、と。
「その瞬間は見て、感じることに集中してたから。例えカメラを持っていたとしても、写真に残せたかどうか」
これは本音だ。
逃げでも、言い訳でもなく。
「旅人はそれでいいと。それだからこそと。私は考えます」
静かな肯定。
その言葉に、少しだけ救われる。
「そうですかね?」
それでも確認してしまう。
自分の在り方を。
「私は、のお話です」
あくまで主観。
押し付けない距離感。
「でもカメラ。持ってきたかったです。決定的な瞬間を逃したのだとしても、その周辺とか、仲間とか、残したいです」
今度ははっきりと言う。
未練を。
「そうですね……」
閑君はしばし目線を切って考え込むと。
ほんのわずかな沈黙。
その間に、何かを決めた気配。
カメラの首紐を外し。
「これは魔道具です。フィルムではなく、記憶に画像を焼き付けるための」
さらりと、とんでもない物を見せつけてくる。
焼き付けるって、こわいな。
「じゃあフィルム要らず?」
半信半疑で聞き返す。
「ええ、何枚でも撮れますし、専用の露光紙を使えば印刷も可能です」
便利すぎるだろ。
ちょっとした革命じゃないか。
自慢かよ。
「それ、この街で売ってますかね?」
思わず身を乗り出す。
「ワイズメンズタワー周辺では売っていましたが、ここは地方都市なので、残念ながら」
あっさりと希望を折られる。
「そうですか……」
肩の力が抜ける。
じゃあ見せびらかすなよ。
俺、貯金の半分叩いてでも手に入れようと思ったのに。
「あなたは自分のことを「逃げる方」だと分析していましたね」
唐突な話題転換。
けれど、どこかで繋がっている気もする。
「あなたに追い詰められた末にですけど」
苦笑混じりに返す。
「私はね、市籠さん」
静かに名前を呼ばれる。
少しだけ背筋が伸びる。
「逃避が根付いている人には、旅人の適性があると思っているのですよ」
評価なのか。
分析なのか。
一瞬、言葉の意味を測りかねる。
「カメラ、預けておきます。この旅が終わったら日本で返してください」
さらりと。
とんでもないことを言った。
「どんな画が収められているのか、非常に楽しみですよ」




