第一BF:転移門 1
機内は、思っていたよりもだいぶ緩かった。
貸し切り、という響きからもっとこう、張り詰めた空気を想像していたんだけど、実際は逆だ。遠足をそのまま持ち込んだみたいな、浮ついたざわめきがある。
エコノミーの座席は2-4-2。
その中央の4席はごっそり外されていて、左右の2席ずつだけが残っている。
結果、一人で2シート。
妙に贅沢だ。
隣に他人が来ないだけで、こんなに気が楽になるのかと少し驚く。
就活の移動でぎゅうぎゅうの新幹線に乗せられてた身からすると、別の乗り物みたいだ。
窓側に座る。
肘掛けを独占できるのはいい。
前の席には、大渓さんがいる。
背もたれ越しに、肩の動きが見える。
新聞でも読んでるのかと思ったら、何もしてない。
ぼんやりしてるようで、たぶん周囲を見てる。
後ろ。
振り返らなくても分かる。
後さん。
後ろに後かよ。
「ジャンケン、作戦勝ちだったな」
案の定、後ろの座席からすぐ声が飛んできた。
「度胸あるよ。がはは」
豪快に笑う。背もたれが振動する。
節穴だな、こいつ。
あれを作戦勝ちって言えるなら、世の中だいぶ楽だろうな。
社長やってるっていってたけど、会社は大丈夫か?
……まあ、こいつがいないから、逆にのびのびやってるかもな。
俺が社員だったらそうなる。
前から、声。
「君は異世界は初めてかい?」
大渓さん。
「初めてです」
「じゃあ、『転移門』はしっかり見ておかないとな」
少しだけ振り返る。
その横顔は、なんというか、珍しく年相応に見えた。
「あれは……すごいよ」
言葉を選んでるような間。
「時間が見えるって感覚は、門に入って、出るまでの一時間だけの経験だ」
時間が見える。
意味が分かるようで、分からない。
「でも、転移門に入ったら、即ペーパークイズ始まるんじゃ?」
「……そうだね」
一瞬、間。
「悪い。私もはしゃいでるみたいだ」
ああ、この人でもこういうことあるんだな、と妙なところで感心する。
「帰りに見ましょう」
「負ける気かい?」
「勝ち負けは、まあ、どっちでも」
肩をすくめる。
「手は抜きませんけど」
前の席で、大渓さんの肩が少し揺れた。
「……子供の成長ってはやいなぁ。私も歳をとるわけだ」
「成人してますけど」
「あはは、悪い悪い」
軽く笑う。
「男子三日会わざれば刮目して見よ、と訂正しておくよ」
「男の子でもないんですけど。21です。」
「ああー……」
気まずい沈黙。
俺、何か変な事言ったか?
いや、言ったな。
自覚はある。
でも、どう訂正すればいいのか分からないタイプのやつだ。
「お、そろそろみたいだな」
その空気を切るみたいに、大渓さんが言った。
機内のあちこちで、スタッフが動き始めている。
さっきまでの雑談が、少しずつ薄れていく。
機内アナウンスが流れる。
『あと10分で転移門に到着します。同時に第一チェックポイント、時空の狭間で400問ペーパークイズが開始されますので、御用のある方は直ちに済ませてください。なお、これよりの私語は厳禁と致します』
空気が変わる。
さっきまでの遠足気分が、誰かに一斉に回収されたみたいに消える。
代わりに残るのは、妙に乾いた緊張。
みんな、自分の内側に引っ込む。
尿意は無い。
食べ物は喉を通らない。
水は飲んだ。
唇は渇いてる。
舌でなぞると、ざらつく感じがある。
『只今より問題と解答ペンを配ります。両手は膝の上に置き、決して問題のページをめくらないようお願いします』
言われた通り、手を膝の上に置く。
こういう指示には慣れてる。
説明会とか、面接とか。従っていれば減点されないやつ。
スタッフがやってくる。
無言で、しかし正確に。
渡されたのは、薄い冊子。
紙が軽い。少し頼りないくらい。
ピンクの文字。
四択400項目のマークシート。
おお……。
誰かの声。
いや、一人じゃない。
何人もの、抑えきれない感嘆。
窓の外。
巨大な穴が開いていた。
海の上。
空の下。
そのどちらにも属していない、異物。
あれが「転移門」。
地球と異世界をつなぐ、次元の穴。
向こう側。
うねうねとした空間が見える。
色が定まらない。
奥行きの感覚が狂う。
遠いのか近いのか分からない。
ただ、引っ張られる。
視線ごと、意識ごと、持っていかれそうになる。
飲み込まれる、ってこういう感じか。
機体が、わずかに軋む。
音は大きくないのに、身体の奥に響く。
「30秒前」
低く、よく通る声。
拡声器越しの黄石。
同じ飛行機に乗ってやがったか。
前後の座席を区切る即席カーテンが怪しいとは思ってた。
やつめ、どっちかに潜んでやがるな。
「ページに手を置いて」
反射的に、冊子の表紙に手を置く。
まだ開かない。
でも、その向こうに400問があるのは分かってる。
時間も、空間も、ぐちゃぐちゃになる場所で解かされる400問。
意味が分からない。
分からないけど、やるしかない。
「3.2.1…… スタート」
スタートの合図と同時に、ページをめくる。
余計なことは考えない。
考えると、止まる。
止まると、終わる。
マークシート式。4択。400問。
時間は一時間。
一時間は3600秒。
問題は400問。
一問あたり、9秒。
合宿で李野くんが教えてくれた数字が、そのまま頭の中に残っている。
だから俺だけじゃなくて、クイ研の連中は全員知ってる。
その上で、それぞれやり方を決めてきてる。
俺も、一応。
昨日の明け方、2時間くらいだけど。
ページを追う。
問題の文章量はばらばらだ。
選択肢抜きで20文字もないやつもあれば、原稿用紙半分くらい使ってるやつもある。
長い問題は読まない。
読んだら30秒は持っていかれる。
そんな余裕はない。
どうせ400問にはたどり着けない。
わからない問題も、山ほど出る。
だから。
最初から決めてある。
マークは「1」。
迷っている時間は無い。
問題文をざっと見る。
分かるかどうか。
それだけ。
歴史問題。世界史。中世。
たぶんいける。
これはと思う数字を塗る。
次。
時事問題。日本―異世界間。
これは、いける。
確信を持って塗る。
次。
芸能。
知らん。
マークは1。
次。
わかる。わかる。わからん1。
わかる。長い1。わからん1。
わかる。わかる。わかる。
ペン先が紙を叩く音。
それに混じって、どこかで小さな声。
「あーわからん」
「まずい、時間時間」
焦りがにじむ声。
でも、意味としては入ってこない。
ただの音だ。
処理しない。
処理すると、遅れる。
通路を歩く足音。
一定のリズム。
スタッフが巡回している。
監督官みたいに。
視線は上げない。
紙だけを見る。
足音が近づく。
止まる。
横。
気配。
覗き込まれている。
呼吸が、ほんの少しだけ浅くなる。
気にするな。
見られても、何も変わらない。
やることは同じだ。
次。
わかる。
塗る。
足音が離れる。
去った。
……今の、何秒だ。
10秒か。
20秒か。
三問くらい、持ってかれたか。
舌打ちするほどでもない。
でも、惜しい。
取り返せるかは、わからない。
だから、そのまま進む。
わかる。わからん1。わかる。
わからん1。わかる。わかる。
ペーパーに視線を走らせる。
判断。
塗りつぶし。
それだけ。
思考は短く、鋭く。
余計なものは切り落とす。
「残り10分です」
声が落ちてくる。
あと600秒。
残り問題は、ざっと見て100問。
計算通り。
少しだけ、安心する。
でも、ペースは変えない。
ここで焦ると崩れる。
わかる。長い1。わかる。
わからん1。わかる。わかる。
「残り60秒」
来た。
モードを切り替える。
ここからは、読むな。
読むと負ける。
問題文は見ない。
番号だけ追う。
1、1、1、1、1。
1、1、1、1、1。
1、1、1。
塗りつぶす。
機械みたいに。
リズムだけで進む。
四百問。
全部、埋める。
手が止まらない。
止めない。
最後の一マスまで。
――完了。
息を吐く。
13問残し、か。
想定よりいい。
少しだけ。
本当に少しだけ。
肩の力が抜ける。
「残り三十秒」
二問くらい見直す余裕はあるか。
……いや。
やめとく。
バタバタする方が怖い。
予定通りのことを、予定通りにやれた。
それでいい。
「5、4、3、2、1」
ホイッスル。
「ペンを置いて!」
言われる前に、置いていた。
指先がじんわり痺れている。
スタッフがやってくる。
解答用紙を、一人一人から回収していく。
「お疲れ様でした」
短い声。
でも、ちゃんと全員に向けられている。
それだけで、少しだけ気が抜ける。
軽くなる、というか。
俺のところにも来る。
解答シートを渡す。
持っていくのは、それだけ。
「問題とペンは?」
思わず聞く。
「お土産にしちゃってください」
「ありがと」
こんな状況で、土産って。
苦笑いが出る。
「全問埋めたんですね」
スタッフの声に、ほんの少しだけ感心の響きが混じる。
ああ、見てるんだな、ちゃんと。
なんか。
報われた気がした。
この程度で報われちゃう自分は、小物だな、と思った。
ふと、顔を上げる。
窓の外。
さっきまでの色とは違う光。
空の色が、微妙におかしい。
太陽が。
二つ、あった。




