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殺せない殺し屋は、殺せる少女を護りたい。  作者: 暁月 愛結


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第十八話 あの背を追って

 窓の外が、ゆっくりと暗くなっていく。

 茜色と紺色が滲み合う狭間で、店内の照明が、少しだけ明るく感じられた。

 追加で注文し直したミルクコーヒーは、もうとっくにぬるくなっていた。

 ちらり、と壁掛け時計を見る。


 ――とっくに、退勤の時間のはずだ。


(……さすがに遅くない?)


 カップの縁をなぞりながら、もう一度だけ視線を時計に向ける。


(さっき、『待ってて』って言ってたよね)


 少し前のやりとりを思い出す。


『上がるまで、待っててください』


(……うん、確かに言った)


 だから、待っていた。

 別に、命令されたわけでもないのに。

 ただ、自分の意思で待っていた。


「……」


 指先でまた、カップの縁をなぞる。

 窓の外を眺めて、時計に目を向けて、ミルクコーヒーを飲んで。

 それでも、来る気配がまったくない。


「……ちっ」


 とうとう痺れを切らして、立ち上がった。

 ツカツカと歩を進めて、カウンターの近くにいた店員に声をかける。


「すみません。玖我山って――」


「はい? あぁ、玖我山さんなら」


 不思議そうに首を傾げられて、何気ない調子で言葉が返ってきた。


「少し前に退勤されましたけど……」


「……は?」


 一瞬、理解が遅れる。


「……もう帰ったってこと?」


「はい、そうなりますね」


 にこやかに返される。


「何かご用でした?」


 それ以上、何も言葉が出てこなかった。

 ただ、首を横に振って返すだけで、数秒、その場に立ち尽くす。

 やっとのことで席に戻った瞬間――。


「……っ」


 小さく、舌打ちが漏れる。


「ふざけんな……」


 ぎり、と歯を食いしばる。


「裏切りがトラウマっぽかったくせに……自分は裏切るんかよ」


 ぐしゃり、と伝票を握りつぶしかけて、慌てて力を緩める。

 少し皺の寄った伝票を手に会計を済ませて、とっくに暗くなった外へと出た。

 ひやりとした夜の空気が、頬を刺してくる。


(……まだ、遠くには行ってないはず)


 そう思った瞬間、身体は勝手に動いていた。

 迷うことなく、駆け出す。アスファルトを蹴る音が、やけに大きく響いた。


 ――いつも、並んで歩いていた道。


 ――他愛ない会話をしていた場所。


 ――よく立ち寄った居酒屋。


 けれど、どこにもその姿はない。


「……くそっ」


 だんだんと、息が上がってくる。

 じくじくと肺が痛んでくる。

 それでも、足を止められない。

 重くなってくる足をなんとか動かして、最後に辿り着いたのは、いつもの分かれ道だった。

 綺麗なY字路。

 いつも、ここで別れていた。


『それじゃあ――また』


 彼女の微笑みが、脳裏に浮かんできて――

 ぐっと、拳を握りしめて頭を振る。

 ここでいつも、詩花は右に帰っていく。

 けれど、その先は知らない。


「……」


 周囲を見渡すも、その先はただ、街灯の光が地面を照らしているだけの静かな道。

 人影は、特にない。


「……っ、はぁ……」


 肩で息をしながら、その場に立ち尽くす。

 人の気配のない、静寂に包まれた道。

 さっきまでの焦りや不安が、すっと抜けていく代わりに――


「……今日は、もう無理か」


 ぽつりと、諦めの言葉が落ちた。

 そのときだった。

 ブブッ、と。

 ポケットの中で、スマホが震えた。


「……今度はなに?」


 眉を顰めつつ、スマホを取り出して、画面を見る。

 差出人は、やっぱりジュジュだ。

 メッセージを開いて、その件名を見た瞬間――心臓が、ドクン! と跳ねた。


【緊急‼︎】


「……っ」


 嫌な予感が、足元から迫り上がってくる。

 呼吸が乱れていく。

 それでも震える指で、続きをスクロールした。


『黒閃んとこの連中が、動き始めた。

玖我山詩花、完全に狙われてる』


「……は?」


 間の抜けた声が、静かな道に響いた。

 理解が、追いつかない。

 視界が、ぐらりと揺れた。

 スマホを落としかけて、慌てて握り直す。


「……うそ、でしょ……」


 喉が、ひゅっと詰まる。

 乱れていた呼吸が、徐々に浅くなる。


「マスター……あいつのことは、あたしに任せるって……」


 そこまで言いかけて――


「……っ」


 止まる。

 違う、そうじゃないと。脳裏に、あの夜の光景がフラッシュバックする。


 本宅の冷たい空気。

 その中で見た、マスターの淀んだ笑み。

 そして――


『こちらでも手は打とう』


(……あのときの顔。あれ、最初から全部分かってた顔じゃん)


 ぞわり、と全身に悪寒が走った。


「……そういう意味、だったのかよ……」


 今更、気付いた。

 自分が任されていたんじゃない。

 "任せた上で"、別でも動かしていた。


 最初から――見透かされていた?


「……やばい」


 呟いた声が、自分でも驚くほど震え、掠れていた。

 うちの殺し屋たちには手練が多い。

 数十億単位の懸賞金がかけられた、見た目は弱そうなただの女《ターゲット》。

 狙わない……わけがない。

 今、この瞬間にも、どこかで何かが起きているかもしれない。


「っ……く」


 スマホをポケットにねじ込む。

 あいつは――詩花は。

 今、どこにいる?


(……間に合え)


 ホルスターに、手を添わせる。


「……っ、いそげ」


 再び、走り出した。

 今度は、迷いなく。

 こんな、表通りじゃなく。

 殺し屋が殺し目的として動くなら――こんな、目立つ場所は使わない。

 囲むなら、逃げ道の少ない人気のない場所。


「……裏、でしょ」


 サッと、進路を変える。

 表通りを外れて、薄暗い路地裏へと足を踏み入れた。

 瞬間、肌に触れる空気が変わる。

 不自然なくらいに静かな空間。

 まるで、作られたみたいな――。


「……」


 足音を殺しながら、進む。

 手は常にホルスターに添わせながら、左右に視線を走らせる。

 しばらく歩いた先。

 暗い影の中に、何かがいる気がした。

 そのとき、ふと――

 風に乗って、かすかな鉄の匂いがした。


「……っ」


 そっと、顔を上げる。

 暴れていた鼓動が、さらに早まっていく。


(……いる、この先に)


 確信した瞬間――

 優絃は、濃紺の影の奥へと駆け出した。

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